新国立劇場オペラパレス、2023年4月19日18時。
ファラオ時代の古代エジプト。エジプトとエチオピアは衝突を繰り返している。メンフィスの王宮では、エチオピア軍との戦いに備えて総司令官を選ぶ神託が行われていた。若き警備隊長ラダメス(ロベルト・アロニカ)は、司令官としてエジプト軍を率いることを夢見る。彼の恋人である女奴隷のアイーダ(セレーナ・ファルノッキア)は実はエチオピアの王女だが、ラダメスはそのことを知らない。エジプトの王女アムネリス(アイリーン・ロバーツ)もまたラダメスに恋していた。ラダメスに恋人がいることに気づいたアムネリスは、その相手がアイーダではないかと疑い…
台本/アントニーオ・ギスランツォーニ、作曲/ジュゼッペ・ヴェルディ、指揮/カルロ・リッツィ、演出・美術・衣裳/フランコ・ゼッフィレッリ、再演演出/粟國淳、合唱/新国立劇場合唱団、バレエ/東京シティ・バレエ団、管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団。イタリア語上演、全四幕。
キエフ・オペラで観たときの記事はこちら。劇団四季『アイーダ』はこちら、宝塚歌劇団の『王家に捧ぐ歌』なら直近はこちら。
楽しくゆったり観ました。もっとコンパクトなオペラももちろんあるけれど、これは兵士だの女官だの神官だの巫女だの民衆だのもたくさん出てくる大所帯の人海戦術グランドオペラで、神殿だの王宮だののセットも豪華で天井の高い舞台をいっぱいに使って、ゴージャスできらびやかでデーハーで眺めているだけで楽しい。そしてもちろん聴いていても楽しい。人の声って本当にすごい! そしてタイトルロールのわりにアイーダって意外と出番がないしそんなに歌わないのかもしれない、やはりドラマの中心になってガンガン歌うのはアムネリスなんだな、とか考えたりしました。
というかここから『王家』を作ったキムシンってマジ天才だな、と改めて思いましたよね…オペラを観ていると「あ、ここが♪そ~れ~はナイルの流れ~の、よーおーにー、にあたるところね」とか「わあ、♪そ、れ、は、ファラ~オの、むすーめだからっ、の場面まんまやん」とかはもちろんたくさんあるんだけれど、オペラにはウバルドたちもいないしケペルたちもいない、ファラオ暗殺もない。どちらかというとごく卑近な、単なる三角関係のメロドラマで、神への祈りみたいなものはあるんだけれど、戦争反対というような大きな思想的なテーマは全然ないわけです。なのにこれを、アイーダに「♪戦いは新たな戦いを生むだけ」と歌わせ、ラダメスに「♪この世に平和を、この地上にこそ希望を、人みなあふれる太陽浴び微笑んで暮らせるように、そんな世界を私は求めていく」と歌わせる物語に進化、変化させたのは本当に天才的な所業だと言えるでしょう。深みが圧倒的に違います。まあもちろん、オペラは歌が主役であくまで歌を楽しむものだから、ストーリーは単純なもので十分、というのはあるんでしょうけれどね。
以前はラダメス役者がおっさんだったことにがっかりした記憶もありますが、今回はもうオペラ歌手とはそういうものだと思って観ることができるように成長したので(^^;)、違和感は特に感じませんでした。ただ、場が終わるたびに、カーテン前に主要キャストが出てきてお辞儀して拍手を受けるんだけど、物語は続いているので、それはちょっとなんだかな、と思ったかな…その場面だけに登場してもう出てこないゲストキャラ役者みたいな人が挨拶に出てくるのはいいんだけど。まあでもバレエとかでもソリストがレベランスして拍手もらってから去るから、同じかな…
あとは、かの有名な凱旋行進場面で、囚われてきた奴隷ということなのか、黒塗りというか焦げ茶色の肌着を着たバレリーナたちが半裸のお衣装で踊り、それはまあバレエなのでアフリカン・ダンスとかではないんだけれど、このなんちゃってアフリカの表現は今はどうなんだろう…とかはドキドキしました。まあアモナズロ(須藤慎吾)以下は日本人キャストですし、観客もほぼ日本人だろうし、それでいうならラダメスもアムネリスも金髪碧眼の白人だったらしいこのころのエジプト人にはあまり見えないんですけどね…
リアル馬が二頭登場していて、蹄が床に滑っていそうでこれまたドキドキしましたが、お利口に行進していたのでよかったです(乗馬マネージャー/砂田一彰 スターライトステーブルス)。
いわゆるアイーダトランペットが見られたのもアガりました。演奏者が役に扮して舞台上で吹いていたのかなあ?
そういえばスタッフ欄に「かぶりもの」というのがあったのですが(かぶりもの/スタミーニャ・バザール)、ツタンカーメンがつけているようなアレが白と青のストライプで、「『王家』初演ママ…!」と震えました。考証、ちゃんとしてるんだなあ…(のちに金ピカになりましたが)
ことほどさように、物語やドラマに没入して感情移入して観るというよりは、眺めてあれこれつっこみつつ考え楽しんでしまったのですが、こういうグランドオペラはそれでいいのかなと思いました。客席は満員でブラボーの声も飛び、でもまだ最前列には客を座らせていないようでした。3回の休憩含めてたっぷり3時間50分という贅沢な娯楽、堪能しました。
ファラオ時代の古代エジプト。エジプトとエチオピアは衝突を繰り返している。メンフィスの王宮では、エチオピア軍との戦いに備えて総司令官を選ぶ神託が行われていた。若き警備隊長ラダメス(ロベルト・アロニカ)は、司令官としてエジプト軍を率いることを夢見る。彼の恋人である女奴隷のアイーダ(セレーナ・ファルノッキア)は実はエチオピアの王女だが、ラダメスはそのことを知らない。エジプトの王女アムネリス(アイリーン・ロバーツ)もまたラダメスに恋していた。ラダメスに恋人がいることに気づいたアムネリスは、その相手がアイーダではないかと疑い…
台本/アントニーオ・ギスランツォーニ、作曲/ジュゼッペ・ヴェルディ、指揮/カルロ・リッツィ、演出・美術・衣裳/フランコ・ゼッフィレッリ、再演演出/粟國淳、合唱/新国立劇場合唱団、バレエ/東京シティ・バレエ団、管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団。イタリア語上演、全四幕。
キエフ・オペラで観たときの記事はこちら。劇団四季『アイーダ』はこちら、宝塚歌劇団の『王家に捧ぐ歌』なら直近はこちら。
楽しくゆったり観ました。もっとコンパクトなオペラももちろんあるけれど、これは兵士だの女官だの神官だの巫女だの民衆だのもたくさん出てくる大所帯の人海戦術グランドオペラで、神殿だの王宮だののセットも豪華で天井の高い舞台をいっぱいに使って、ゴージャスできらびやかでデーハーで眺めているだけで楽しい。そしてもちろん聴いていても楽しい。人の声って本当にすごい! そしてタイトルロールのわりにアイーダって意外と出番がないしそんなに歌わないのかもしれない、やはりドラマの中心になってガンガン歌うのはアムネリスなんだな、とか考えたりしました。
というかここから『王家』を作ったキムシンってマジ天才だな、と改めて思いましたよね…オペラを観ていると「あ、ここが♪そ~れ~はナイルの流れ~の、よーおーにー、にあたるところね」とか「わあ、♪そ、れ、は、ファラ~オの、むすーめだからっ、の場面まんまやん」とかはもちろんたくさんあるんだけれど、オペラにはウバルドたちもいないしケペルたちもいない、ファラオ暗殺もない。どちらかというとごく卑近な、単なる三角関係のメロドラマで、神への祈りみたいなものはあるんだけれど、戦争反対というような大きな思想的なテーマは全然ないわけです。なのにこれを、アイーダに「♪戦いは新たな戦いを生むだけ」と歌わせ、ラダメスに「♪この世に平和を、この地上にこそ希望を、人みなあふれる太陽浴び微笑んで暮らせるように、そんな世界を私は求めていく」と歌わせる物語に進化、変化させたのは本当に天才的な所業だと言えるでしょう。深みが圧倒的に違います。まあもちろん、オペラは歌が主役であくまで歌を楽しむものだから、ストーリーは単純なもので十分、というのはあるんでしょうけれどね。
以前はラダメス役者がおっさんだったことにがっかりした記憶もありますが、今回はもうオペラ歌手とはそういうものだと思って観ることができるように成長したので(^^;)、違和感は特に感じませんでした。ただ、場が終わるたびに、カーテン前に主要キャストが出てきてお辞儀して拍手を受けるんだけど、物語は続いているので、それはちょっとなんだかな、と思ったかな…その場面だけに登場してもう出てこないゲストキャラ役者みたいな人が挨拶に出てくるのはいいんだけど。まあでもバレエとかでもソリストがレベランスして拍手もらってから去るから、同じかな…
あとは、かの有名な凱旋行進場面で、囚われてきた奴隷ということなのか、黒塗りというか焦げ茶色の肌着を着たバレリーナたちが半裸のお衣装で踊り、それはまあバレエなのでアフリカン・ダンスとかではないんだけれど、このなんちゃってアフリカの表現は今はどうなんだろう…とかはドキドキしました。まあアモナズロ(須藤慎吾)以下は日本人キャストですし、観客もほぼ日本人だろうし、それでいうならラダメスもアムネリスも金髪碧眼の白人だったらしいこのころのエジプト人にはあまり見えないんですけどね…
リアル馬が二頭登場していて、蹄が床に滑っていそうでこれまたドキドキしましたが、お利口に行進していたのでよかったです(乗馬マネージャー/砂田一彰 スターライトステーブルス)。
いわゆるアイーダトランペットが見られたのもアガりました。演奏者が役に扮して舞台上で吹いていたのかなあ?
そういえばスタッフ欄に「かぶりもの」というのがあったのですが(かぶりもの/スタミーニャ・バザール)、ツタンカーメンがつけているようなアレが白と青のストライプで、「『王家』初演ママ…!」と震えました。考証、ちゃんとしてるんだなあ…(のちに金ピカになりましたが)
ことほどさように、物語やドラマに没入して感情移入して観るというよりは、眺めてあれこれつっこみつつ考え楽しんでしまったのですが、こういうグランドオペラはそれでいいのかなと思いました。客席は満員でブラボーの声も飛び、でもまだ最前列には客を座らせていないようでした。3回の休憩含めてたっぷり3時間50分という贅沢な娯楽、堪能しました。