駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ブレイキング・ザ・コード』

2023年04月14日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタートラム、2023年4月12日18時。

 1952年、冬の午後。アラン・チューリング(亀田佳明)は空き巣の被害に遭い、警察署を訪れる。彼から話を聞いていた部長刑事のミック・ロス(堀部圭亮)は、彼の説明に違和感を覚える。母親のサラ・チューリング(保坂知寿)、シャーボーン校の学友クリストファー・モーコム(田中亨)、パブで出会うロン・ミラー(水田航生)、暗号解読を依頼するディルウィン・ノックス(加藤敬二)、同僚のパット・グリーン(岡本玲)、そしてチューリングの過去を知るジョン・スミス(中村まこと)ら、チューリングと関わってきた人間との対話が、彼の心の内を露わにしていく。わずか41歳で非業の死を遂げた彼の人生が、複数の時代を交錯しながら描かれていき…
 作/ヒュー・ホワイトモア、翻訳/小田島創志、演出/稲葉賀恵、音楽/阿部海太郎。1986年ロンドン初演、翌年にブロードウェイ上演、日本初演は劇団四季による1988年。全二幕。

 映画『イミテーション・ゲーム』が最近テレビで放送されていて、昔見たことがあったと思うけれど今回も見て、臨みました。理系オタクとしては、暗号解読に雇われた話と同性愛者だったという知識は以前からあったかな。もちろん、物語としてどう切り出すか、という問題はありますが、非常に優秀な数学者であり、こだわりが強く社交性は低いタイプの人だったかもしれないけれど、ものっすごい天才だとか変人だとか障害や精神疾患があったとかいう人ではなかったのではないか、というのが個人的な印象です。数字や数式のみならず、機械の知性や心に思い馳せ、宇宙の真理を想う、ロマンティストだったのだと思うし、SOGI的に生きづらかったことは確かだろうけれどとても愛情深い人でもあったのではないか、と思います。彼なりに、ではあったかもしれませんが。でもそれはどんな人でもそうですよね、たとえ健常者だとかマジョリティと言われる人であっても。そうしたことを、繊細に、端正に描き出した静謐で濃密な舞台に見えました。
 木目の床を表すようなマットで正方形に仕切られた舞台の上で、机やいくつかの椅子やソファや本棚はときおり動かされまた端に寄せられて、そこはチューリングの自宅にも実家のリビングにも職場の執務室にも警察の取調室にもなる。ひとつの場面はふたりないし三人の会話で綴られ、時間軸は一直線ではなく行ったり来たりし、思い出や証言のフェーズになることもある。それは『藪の中』めいてもいるし、ひとつの事実が当事者にまったく同じように受け取られているとは限らない、ということの表現でもあります。けれどそうした中で浮かび上がるのは、ほぼ全場面にいるチューリングの、ごくシンプルな、そして真摯な生き方です。
 政治とか戦争とかに思うところはあっても、暗号解析が依頼されてできそうだったから引き受ける、そして成し遂げる。軍事機密だから黙っておけと言われれば従い、そしてまた自分の研究に戻りコツコツ働く。空き巣は犯罪だから通報する、というのも彼にとっては自然なことで、被害はわずかだったのだし自分には別件で後ろ暗いところがあるのだから泣き寝入りしておく…というような発想は彼にはないのでした。性犯罪に関する法律があることはもちろん知っていたでしょうが、国家や法律が間違うことがあることも彼はまた知っていました。成人同士(ロンは二十歳前だったようで、これが当時未成年に当たったのかはこの作品では語られていませんが)が、合意して、自宅で、ふたりきりで行う行為は誰にもなんの迷惑もかけておらず、なんら裁かれるべきことではない、と彼は考えていたのです。だから一応ロンのために嘘はつくものの、追及されれば事実を答えてしまう。もっと上手くごまかしたり目をつぶったり公然の秘密にしている人もいたけれど、彼はそういうことに気づかないし同じようにはできない人なのです。ロス刑事も、彼のそういう人となりについては理解しつつも、でも職務として目をつぶれなかったのでしょう。個人的な嫌悪の情はなかったように見えたけれど、チューリングが上手く隠してくれれば上手く目をつぶったでしょうけれど…
 それで、当時の法律で裁かれ、薬物治療が施され、彼は壊れていってしまう…ただ、この舞台では彼の死は、単なる薬物中毒とかはたまた自死に近いものだとはされていませんでした。あくまで研究の一環で、宇宙の真理に迫る実験をした上での結果、としていたのです。その崇高なまでの美しさ、あるいは子供のような無邪気さ…本当のところは誰にもわからない。でも彼をこの舞台でこう描いたこの作家の、演出家の、役者の心ばえに、泣きました。そしてやっぱり悔しくて泣きました。チューリング自身は前向きだったのだとしても、やはり彼の人生は途中で不当に暴力的に奪われたのであり、その後名誉が回復されたりなんたりしても、命は決して取り戻せるものではないからです。知性も心もあるはずの人間の、なんと愚劣に残酷になれることか…その証左のような事件であり、物語なのだと思います。

 切り取られた場面で瞬時にかつ適切にその人物になってみせる役者たちと、特に主役の膨大な台詞の量に感嘆しますが、蛍光灯の効果(美術・衣裳/山本貴愛、照明/吉本有輝子)も素晴らしく、すべて本当に緊密でいい舞台でした。あまり客の入りが良くないように見えたのは残念です。
 何で勧められたかはよく覚えていないのだけれど、ずいぶんと昔にお友達から水田航生はいい、と聞かされて、以後なんとなく注目してきたつもりなのですが、今回もとても素敵でした。いうなればチューリングがパブで買った若い男、という役なんですけど、役が求める色っぽさと屈託がしっかりあって、本当にすごーくすごーーくよかったです。
 まあゲイが出会いというかナンパによく使う店だったんだろうし、それもわかっててそれでもただ本を読んでいたチューリングに近づいたのは彼の方で、ちゃんと納得ずくで家に行ったし寝たし再会も約束して、でも財布から金を抜いたし、でもそれを疑われると否定して怒ってみせる、そういう若者。子供のころに化学者になりたいと思ったことがあるのは本当なんじゃないかしらん、たとえ試験管の色が変わることとかにときめく少年ってありがちだよね、というレベルでも。その後は経済的に苦しくて、あるいは学力的についていけずに進学できず今は肉体労働者、というのが実際のところで、だからって文学作品を読まないわけではないんだろうけれど、チューリングは彼に対して明らかにそういうことでの対話とか議論とかを求めていなくて、対等な関係を結ぼうとはしません。言うなれば彼の身体しか求めていない、セックスのことしか考えていない。チューリングにはそういう蔑視があるし、それならロンの方だって、偽証かどうかは明確ではないかもしれないけれど売春というよりチューリングの買春で自分は被害者だ、くらいのことは言っちゃうんですよね。その人間臭さよ…
 後半の ニコス(田中亨の二役)といい、BLめいたイチャイチャ場面が出てきて楽しいんだけれど(オイ)、残念ながら恋愛になっていないのはチューリングの側にも責任がある、という描かれ方をしていると思いました。主人公に対するこういうクールな視線もいい作品です。甘ったるくなくて実にいい。パットからの愛情とか友情とかも、そういう感じがすごくよく出ていて秀逸だと思いました。母親の、愛しているけれど理解していないし受け入れきれていない感じとかも、すごくリアリティがある。
 そういう意味ではジョン・スミスだけが死神みたいな悪魔みたいなファンタジックな存在にすら見えるキャラクターなんだけれど、もしかしたらこれはチューリングの幻覚の中の存在だったのかもしれません。また妙に声が良くて圧があって怖いんだ…てかみんなホント役者が達者で、ストレスがありませんでした。
 隣の男がずっと寝ていて、ただ寝ているだけならいいんだけど船漕ぐもんで視界の邪魔で、起きると腕時計を見るので幕間で帰れと呪ったこと以外は(最後までいました。絶対関係者だろこんなの…)満足な観劇でした。





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