駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『マチルダ』

2023年04月01日 | 観劇記/タイトルま行
 シアターオーブ、2023年3月29日18時。

 5歳のマチルダ(この日は三上野乃花)は図書館にある難解な本をすべて読み尽くすほど、高い知能と豊かな想像力を持った少女。しかし、社交ダンスに夢中の母親ミセス・ワームウッド(この日は霧矢大夢)は、マチルダが生まれたときから彼女に興味がない。息子が欲しかった父親ミスター・ワームウッド(この日は斎藤司)はマチルダが女の子であることが不満で、今でも彼女を「坊主」と呼んでいる。だがマチルダは「正しくないなら正しくしなきゃ」とイタズラで仕返しするなど、へこたれることなく暮らし、やがて学校へ初登校するが…
 脚本/デニス・ケリー、作詞・作曲/ティム・ミンチン、脚色・演出/マシュー・ウォーチャス、振付/ピーター・ダーリング、翻訳/常田景子、訳詞/高橋亜子、演出補/西祐子、藤倉梓、振付補/前田清実。ロアルド・ダールの児童文学『マチルダは小さな大天才』を原作にしたミュージカルで、2010年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのコートヤード・シアターで初演。22年には映画化もされた。全二幕。

 先日上演が発表された『チャーリーとチョコレート工場』の原作小説『チョコレート工場の秘密』がダールの代表作とされているんだそうですね。ずいぶんと人気がある印象ですが、私は映画をテレビで見たことがある程度で、確かに「なるほどおもしろい、人気なのはわかる」と思った記憶はあるのですが、何がどうおもしろかったのかは例によって覚えていない体たらくです。『マチルダ』に関しては原作も未読、映画も未見で、海外ミュージカルファンに好評のようだったのと、きりやんとゆうみちゃんが出るというのでそれ目当てでチケットを取りました。確かホリプロの先行抽選に申し込んだんだと思いますが、12列目どセンターという超好みの席でしたありがたや。そして本物の子役が出ていることもあるのか、お子さんが多い客席でした。
 なのでそういう視線で観るべき作品だったのかもしれません。いや、子供向けというか、お子ちゃま仕様の作品だったということではないのですが…なんかもっと、童心を持って観るべきだったのかな、でも私そーいうのがない人間なんだよねー、とかずっと思いながら、やや退屈して観てしまうことになったからです。
 メインスタッフが外国人なこともあり、わりと海外プロダクションのママの上演だったのでしょうか? 非常にとっつきにくいというか、作りが不親切な印象を受けました。わかりづらい、というのともちょっと違うのかもしれないけれど…ただ、私はワクワクした図書館の本の壁なんかを始めとするセット(美術/ロブ・ハウエル)もアルファベット押しで、まあ知性の象徴ということなんでしょうけれど、黒板に出てきたり書かれたりする文章もすべて英文で(そして薄くて遠目にはとても読みづらそうだった…)、上手く日本語の駄洒落にされていたアルファベットの歌みたいなもののおもしろさとかも、とても子供にわかるものではない気がしたんですよね。でも、作品世界はどうやらマチルダから見たものとして描かれているようじゃないですか。だからミス・トランチブル(この日は木村達成)は男性が扮して、あんなグロテスクな肉布団姿なんでしょう? 違うのかな?
 そのあたりが私にはよくわからず…子供視点だからリアリティのなさやファンタジックなところが許容されているということなのかな、でもこれホントの子供にはワケわからなそう、では私はどこ視点で観ればいいの…?ととまどったのです。もしかしたら、元はマチルダのような少女であったらしいミス・ハニー(咲妃みゆ。絶品!)の立場から観ればいいのかな?とか…私もかつては5歳の少女だったことがある身なのですが、天才だったことはない人生だったので、どうにもヒロインにシンクロできずよくわからなかっただけなのかもしれません、すみません。あとは、欧米とはお行儀の流儀が違うということなのかもしれませんが、本を愛する者として本の束を椅子代わりに腰掛けるとかホント耐えられませんでした…読書好きの天才少女? どこが?? と思ってしまいました。正しくない!と叫びたいくらいでしたよ…子役ちゃんはもちろんかなり達者でしたが、そういう芸を愛でるものではないと思っているので、なんかホントよくわからなかったんです、ホントすみません。
 ラストも、親戚でもない赤の他人で結婚もしていない若い女性が、里親だか後見人だか知らないけれどヒロインを引き取れるものなのか?とか、いくら毒親とはいっても血のつながった親なんだしこんなに簡単に関係を切って許されるのだろうか、とかが、気になってしまいました…まあこれは私がありがたいことに毒親と無縁の育ちだったので、血縁なんてさしてありがたがるものではない、子供をネグレクトや暴言暴力から隔離することが何より大事で常識だ、というならハイすみません、なのですが…まあそもそも本来ならさっさと行政が介入すべき案件ですよね、この家庭もこの学校も。ちょっと前のモチーフなんだとしても、さすがに欧米は日本よりはマシで、こうしたことはちゃんとしているんでしょう…?
 ただ、マチルダは自分が思いついたことをそのままお話として語っていただけのつもりだった物語が、実はミス・ハニーの過去だった、というのは、つまりやはりこれはむしろミス・ハニーの物語で、マチルダはそのイマジナリー・フレンドないしもうひとりのヤング・ハニーだったのだ、ということなのかしらん…? ふたりして綺麗な側転を決めて舞台奥にハケていくラストはとても素敵で胸がすきましたが、しかし私はやっぱり意味がわからなかったのでした。分析するものではないのだ、考えるな感じろ、ということならもっとそういう方向で宣伝してほしかった…融通の利かない客ですみません…
 本当の子役は他にブルース(この日は片岡蒼哉)とエリック(この日は渡邊隼人)だけで、あとは子供役を大人の役者が演じていましたが、これくらいの子供って学年は同じでもまだまだバラバラで、太っている子もノッポもいるよね、という感じが出ていてよかったです。というかアンサンブルはみなさんけっこう大忙しな舞台だったかと思いました。
 台詞も訳詞も日本語として明晰でストレスがなく、「♪何もしなきゃ/それでいいと言ってるのと同じ/それは 正しくない/正しくないなら/正しくしなきゃ」というのはとてもいい歌で、そうありたい、と思いました。腰に手を当てて仁王立ちしてちょっとふんぞり気味に斜め上を見上げるポーズがマチルダのアイコンなんですね。生意気と言われようが、その意気やよし、です。それは見習いたい。
 ただすみません私はよくわからなかった、あまりおもしろくなかった…観る人が観ればむしろずっと刺さるのかもしれない、とも思えた演目でした。キャストはみんな素晴らしかったです。

 ちなみにアフタートークショーが取っ散らかっていて全然おもしろくなかったのも悪印象を強めました。サービスとして開催しているのでしょうが、どの層にどういうサービスをするつもりでやっているのかよく考えてもらいたい。パンダでもないなら出てくるだけで喜ばれるなんてありえなくない? 意義のある話をするか芸をする必要があるのでは…? でなきゃ観客の貴重な時間を奪うなよ、と思います。イヤ参加は自由とされているんだけどさ、普通は終演後そのまま居残りさせられるような形になるわけじゃないですか。それだけの価値があるものが提供されると期待して残ってるんだから回収してよ、と思います…








コメント (3)
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