駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

本日の言葉

2010年02月15日 | MY箴言集
「一度起こったことが、毎回起こるってものじゃないわ。たった一回しか起こらないから素敵なのよ」

    矢作俊彦『ロング・グッドバイ』より
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森川久美『スキャンダルムーンは夜の夢』『嘆きのトリスタン』

2010年02月15日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名ま行
 竹書房文庫マスターピースコレクション。

 時は15世紀、イタリア屈指の商業都市ヴェネチアを治める元首は、男よりも男らしい若き男装の麗人だった!? 中世ヨーロッパを舞台に繰り広げられる享楽・陰謀・忍ぶ愛を描いたロマンチック・コメディ「ヴァレンチーノ・シリーズ」、20年の時を越えて文庫化。

 これまた息の長い作家さんですが、今回初めてきちんと読みました。場面展開にわかりづらい点があったりと、ちょっと読みづらいところも多いのですが、おもしろかったです。気に入ってしまいました。

 シリーズ作品の中では、やや外伝っぽい匂いのある『月空遥かに……』が一番好きかな。
 12歳のヴァレンチーナと今は亡きイスファハーンの姫君シーリーンとの交情(残念なことに「情交」ではない)を描いたエピソードで、おそらくはこれがヴァレンチーナの初恋だったのでしょうね。それが、『スキャンダルムーンは夜の夢』のロマンツァへの想いにつながっていっているのだと思います(このエピソードのラストシーンの、高級娼婦ラウラの素敵なこと!)。

 ヴァレンチーナという人は、単なる男嫌いとか潔癖症とかいうのではなくて、真性のレズビアンなのでしょう。そしてそういう性向を育んだのは、実母アンナ・マグダレナではなかったかと思います(厳密には性的嗜好というものはほぼ先天的なものなのだそうですが)。女として生まれながら、嫡子として父親の跡を継ぐべく教育され、それが気に入っていたであろうおてんば娘ヴァレンチーナは、「人格高潔謹厳実直--悪く言やカタブツの/あの父上」を愛していたのと同じくらい、「人の迷惑考えず/あの手この手で欲しいものを手に入れようとする」「はた迷惑なくらい正直な」「生きてること自体がトラブルの」母親を愛していたのだと思います。
 でも、アンナは自分の恋人にだけ忠実で娘をあまりかまわなかったのだろうし、アンナの魅力である女ならではのわがまま元気なバイタリティといったものはヴァレンチーナ自身は持ち合わせていず、好きなのにものにできないとなると「かわいさ余って/憎さ/百倍」でアンナを厭うようになり、かわりに女性らしい女性に惹かれるようになっていったのではないかしらん、と思うのです。
 描かれてはいないのですが、父親はおそらくヴァレンチーナを丸ごと愛していて、彼女が男であったならなどと言ったことなどなかったのでしょうし、だからヴァレンチーナも性的嗜好は別にして自分の性や自分自身を嫌うようにももならなかったのでしょう。ヴァレンチーナはトランスセクシャルにも見えませんものね(これまた本来は後天的なものではないのですが)。

 ホモセクシャルを扱う少女漫画は少なくありませんが、女性が女性としてごく自然に女性を愛するさまを描いた作品はあまりありません。むしろ少女漫画には、自身の女性性を不当に厭う不自然で不健康な感覚の方が根強いくらいです。ですがこのシリーズは、アンナといいカスティリアの女スパイ・マリアといい、女の女らしい健全な強さ・元気さがあちこちで爆発していて、その「自然さ」がえらく好ましく感じられる作品だと思います。
 まあ、こういったある種のフェミニズム的視点を別にしても、繊細な描線で紡がれる華麗なる西洋歴史絵巻として、また爽快なアクション・ロマンとして、ハートフルなコメディとして、非常に楽しい作品だと言えるでしょう。キャラクターとしてはスカしたオリヴィエ・マイヤールがツボでした。(2002.5.17)
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大島弓子 『綿の国星』

2010年02月15日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 白泉社文庫、全4巻。

 時夫に拾われた白いチビ猫は、いつか自分が人間になれると信じている。作家のお父さんと猫嫌いのお母さんと時夫との生活の中、チビはどんどん成長していって、世界のたくさんのことを知っていく…

 「大島弓子はこんな万人受けするような甘ったるい作品を描いてちゃ駄目だ、もっとシュールで哲学的なものをやらなきゃ駄目だ」というような評論を読んだことがありますが、お門違いですね。ただのファンタジックな動物擬人化漫画とは一線を画した名作です。
 個人的には避妊手術を施された雌猫がなくしたものを思い出そうとするエピソードが好きです。
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山岸涼子『アラベスク』

2010年02月15日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名や・ら・わ行
 白泉社文庫、全4巻。

 ソビエト連邦キエフ共和国のバレエ学校に通うノンナは、背が高すぎるのが悩み。だがそのダイナミックさを“ソビエトの金の星”と呼ばれるユーリ・ミロノフに見出され、レニングラード・バレエ団の新作に抜擢される…バレエ・ロマンの傑作。

 縁がなくてわりと最近になるまで読むことがありませんでした。一読して驚きましたよ、有吉京子『SWAN』が新書版で30巻余もかけてやっていること、そしてそれ以上のことをすでにこの当時この巻数で描いてしまっているんですもん。芸術性かテクニックか、クラシックかモダンか、基本か個性か、プリマかキャラクターか、精霊か人間か、追うことと追われること…同じ写真資料を使っているせいなのか似た構図やポーズの絵も多いですしね。ストレスで踊れなくなるというエピソードや、シルフィードで幽玄を語るところも共通しています(どちらももちろんパターンではあるのですが…)。それとも『SWAN』には『アラベスク』へのオマージュの要素があるというようなことが公然と知られていて、私が知らないだけなんでしょうか。
 もちろん絵なんかは有吉京子の方が格段にうまいのですが、でも漫画の絵柄というのはデッサンの正確さとかペンタッチや処理の美しさ・ていねいさだけでは語れないものでもあって、山岸涼子の絵にはやはり強い魅力があります。

 お話としても、たとえば何故ユーリはノンナでなければならないのか、ラーラとノンナのモルジアナは何がそんなに違ったのかはきちんと描かなければならなかったでしょう。『SWAN』では、真澄が亜鷺さんとオーロラを争ったときに、真澄の役の解釈の方が正しかったのだというきちんとした理由が説明されていました。これは正しい。でもこの点以外では本当にこの作品は『SWAN』の先を行っていますね。
 コーチに恋愛感情を抱く、という物語は数多くあります。ここでも『SWAN』より優れているのは、ノンナが最初からユーリを愛していて、それがきちんと表現されていることでしょう。真澄の方は、初めのうちは草壁さんという存在が、後半はレオンがいたからでもありますが、セルゲイエフ先生に対しては尊敬だけなのか愛情もあるのがどっちつかずでした。セルゲイエフ先生の方も、真澄は自分を捨てた父親が愛した女の娘なんですが、それだけなのか憎んでいるのか愛しているのかよくわからない。だから因縁がわかったときも盛り上がらない。恋愛ものとしてはこれはかなりマイナスでしょう。愛情というのは不可思議なものではありますが、物語の中ではきちんと段階や順番を踏ませて明確に描かないと、読者を不安にさせてしまうんです。ユーリは、作者の絵柄のせいもあって一見クールに見えますが、わりと素直でけっこうしゃべるので、本心が全然見えないセルゲイエフ先生に比べて安心できます。ノンナへの愛情が言葉できちんと表現されるのは最後の最後なのですが、そのちゃんとした言葉があるかどうかで物語の座りのよさは決まるのです。
 レオやエーディクやアレクあたりは本当はもっとノンナとからんで複雑な恋愛模様にしてもおもしろかったんでしょうけど、何せノンナがユーリ一筋ですからねえ。そんな訳で、完璧な完成度を誇る、というわけではありませんが、でもとにかく恋愛漫画としても芸術漫画としても名作中の名作です。

 蛇足ですが、巻末の解説としてバレリーナの草刈民代のインタビューがありますが、テープ起こしそのままのこの駄文を載せるセンスが信じられません。話し言葉と書き言葉は違います。仮にもライターがいるならもうちょっとなんとかしてください。あるいは文庫の担当編集者が手を入れればいいだけのことなんですから。本は中の作品だけではありません。もっと愛情を持って一冊一冊を作ってもらいたいものです。(2001.3.17)
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