駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

竹宮惠子『風と木の詩』

2010年02月25日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名た行
 小学館フラワーコミックス全17巻

 19世紀後半。かつて父がその青春時代をすごした南仏のラコンブラート学院に、セルジュ・バトゥールはやってくる。学院の問題児ジルペール・コクトーと寮で同室になり、ふたつの魂の相克が始まる…少女漫画史に燦然と輝く金字塔。

 小学校高学年の頃に単行本で読みました。学校で休み時間に読んでいて、クラスメイトに
「何読んでるの? わ、ヤラシー」
 と言われたときには、その子をひっぱたいてやろうかと思ったこともありました。当時すでに、これは世に言われているような少年愛漫画なんかではないと考えていたからです。
 狼少年じゃないけれど、人は人に育てられないと人になれないのだ、ということを知った作品でした。

 オーギュストは父と兄の歪んだ愛情を受けて育ちそこね、それを倍増してジルベールにぶつけてしまった。だからジルベールは人の愛情を肌でしか計れなくなってしまった。学校や社会といった共同体で生きていけなくなってしまった。それはまっとうな人のあり方ではない。人種差別を受けながらも両親の深い愛情によってまっすぐに育ったセルジュをもってしても、ジルベールを変えることはできなかった。ジルベールはオーギュを追って馬車に轢かれたのだから…
 なんてひどい物語でしょう。人間が人間の尊厳をどこまで痛めつけられるかという物語なんですもの。セクシャルでセンセーショナルだった部分や、当時の少女漫画の読者にとって主人公が少年たちであったことの意味、同性愛が描かれたことの意味などにも深いものがあるとは思いますが、私にとってはこの作品は、以上のことに尽きるのです。
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竹宮恵子『ファラオの墓』

2010年02月25日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名た行
 小学館フラワーコミックス全8巻

 紀元前1700年頃のエジプト。エステーリアはウルジナの侵攻に会い滅亡する。第二王子サリオキスは妹姫のナイルキアを河に流して逃がすと、自身は砂漠へ逃れるが…今も残る「エステーリア戦記」を伝える大ロマン。

 卑近な感情移入など拒むような高潔なキャラクターたちと、手に汗握る大冒険、醜い政争、戦争の悲劇。時代を超えた名作ですね。よくできたNHK大河ドラマでもこれだけのものはなかなかないんじゃないでしょうか。
 私は昔からアンケスエンがけっこう好きでした。あんまり読者に人気なさそうですけれどね。戦時下の女の生き方を説く彼女はひたむきで正しい。そしてスネフェルとナイルキアのあまりにも悲劇的な恋にかき消されがちですが、アンケスエンとサリオキスの恋のまた悲しくかつ激しいものだったと思います。そしてまた、アンケスエンとスネフェルとの間にありえたかもしれない恋も…
 かわいらしい少女が苦手と言いつつ産み出した、清潔なナイルキアの存在もすばらしいものでした。そしてもちろん、竜虎サリオキスとスネフェルも。
 余談ですが、私はこの作品を宝塚歌劇で翻案して上演してくれないかしらんと夢見たことがあります…「そして今でも…」(『カサブランカ』イルザふうに)
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竹宮恵子『変奏曲』

2010年02月25日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名た行
 朝日ソノラマサンコミックス全3巻

 音楽評論家のホルバート・メチェックが語る、夭折した天才ピアニスト、ハンネス・ヴォルフガング・リヒターと、その親友にして最大のライヴァル、ヴァイオリニストで指揮者のエドアルド・ソルティーとの魂の軌跡。

 心が通い合ったもの同士がすばらしい音楽を紡ぎ出す、というのにあこがれています。
 ニーノに手を出す(!)あたり、結局ボブってただの美少年趣味なのね、という感じでちょっと興ざめしました。年食っておじさんになったエドはいい感じなのになあ。
 アレンとニーノで続編があるとのことだけど、あんまり興味ありません。
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永井豪『デビルマン』

2010年02月25日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名な行
 講談社漫画文庫全5巻

 高校生の不動明は、親友の飛鳥了から、焼身自殺した考古学者の父・飛鳥博士の「恐怖の遺産」を受け取るよう言われる。博士は地球の先住人類デーモン、いわゆる悪魔を研究していたのだ。デーモンはよみがえりつつある。デーモンと戦って人間を守るためには、明がデーモンと合体し、なおかつ人間の心を失わない「デビルマン」になるより道はない…

 アニメの主題歌は歌えます。でも内容はまったく覚えていませんでした。
 原作漫画もこれまで読んだことがありませんでした。
 整った絵や物語を好みとする私は、この作家を、その絵柄の激しさから、もっとキレて崩壊した作品世界を持つ人だと勝手に誤解してきたのです。友人からコミックスを借りて感動し、開眼し、すぐさま書店に走って買ってしまったのでした。

 この文庫版は、連載当時の作品に『新デビルマン』を加え、加筆された特別編成版だそうです。巻末に著者のコメントや各界著名人の解説が付いています。そこですべてが語られているようなものですが、ひとつだけ。

 やはりこの作品での圧巻は、「ヒロインを殺し、人類を滅ぼし、主人公を屠る。その壮絶な展開の果て」(高千穂遥の解説より)のラストシーンの美しさでしょう。
 私も初めて読んだとき、これには本当に驚き、胸打たれました。海の向こうに輝く翼ある者たちは、デーモンでしょうか、再び地球にやってきた神々でしょうか。サタンは自らの愚かさを知りました。二度と同じ過ちは犯さないでしょう。地球はこの先汚されることなく、神と悪魔に愛されていくのでしょう。でも、その未来に、人類はいないのです。すごい物語を描いたものです。

 作者はこの物語を「反戦をテーマにした作品と考えている」(「デビルマン黙示録」より)そうですが、このラストシーンではそうは思えないのではないでしょうか。
「いかなる戦争にも正義などないし、いかなる殺し合いにも正当性などない」とも書いていますが、この物語は、明が「きさまらこそ悪魔だ!」と叫んだように、人間こそが悪であり、人間には正義などなく、人間が地球上に生き延びる正当性もない、としているように思えます。
 サタンの計画にはめられたのだとはいえ、人間はその悪の心から、ほとんど自滅したようなものなのですから。その無常感は、下手をすれば、「人間なんてダメだ。滅んでしまった方がいいんだ」と取られてしまって、反戦を訴えるどころか逆効果なのでは、と思ってしまったのです。もちろん、人間の中には明のような、美樹を愛し、了を信じて戦った美しい者もいるのだ、というのが物語の大前提ではあるのですが。だからこそサタンは明を愛したのですが。人間にはそんなふうに、神に愛される部分もまたあるのです。

 とすれば、ラストシーンの翼ある者とは、明以外の生き残ったデビルマンたちであるのかもしれません。明は死んでしまったけれど、人類はデビルマンというニュータイプ(『機動戦士ガンダム』より)になってのみ、この先の未来を生きていくことができるのだ、ということを、この物語は語っているのかもしれません。(2001.5.12)
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