駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

本日の言葉

2010年02月12日 | MY箴言集
 われわれはみな、われわれを愛した人たちによって作りあげられ、作りなおされる。そしてその愛が消えても、いつまでも彼らの作品でありつづける――多くの場合、その作品は作った人にもわからない。しかも、夢見ていたとおりの作品ではない。

   フランソワ・モーリヤック『愛の砂漠』より
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『ファントム』

2010年02月12日 | 観劇記/タイトルは行
 青山劇場、2008年2月19日ソワレ。

 19世紀後半のパリ、オペラ座通り。クリスティーン・ダエー(徳永えり)が歌を口ずさみながら楽譜を売っていると、その声に魅せられたオペラ座のパトロン・シャンドン伯爵(この日はパク・トンハ。ルカス・ペルマンとのWキャスト)が、彼女がオペラ座でレッスンを受けられるよう取り計らう。そのオペラ座では、支配人のキャリエール(伊藤ヨタロウ)が解任され、新支配人ショレー(HISATO)とその妻でプリマドンナのカルロッタ(大西ユカリ)が乗り込んできた。キャリエールはショレーに、オペラ座の地下には「ファントム」(大沢たかお)と呼ばれる幽霊が棲んでいると告げるが…原作/ガストン・ルルー、脚本/アーサー・コピット、作詞・作曲/モーリー・イェストン、上演台本・演出/鈴木勝秀、翻訳/伊藤美代子。1991年初演、日本では2004年に宝塚歌劇団により上演。

 ロイド・ウェーバー版『オペラ座の怪人』より、ストーリー的には好みかなと思っていた作品だっただけに、ドキドキで出かけました。
 訳がちがいますが、楽曲や展開、演出はほぼ同じで安心しました。

 とはいえ…宝塚版とのちがいが目につくからかもしれませんが…「スズカツ初のグランド・ミュージカル」ということですが、それは失敗だったのでは…この人は、もっと小さい劇場の、地に足ついた緻密なお芝居の方が上手いと思う。
 私はまさかタカラヅカ以上の学芸会を見せられることになるとは思っていませんでしたよ。衣装も装置もチャチかったなー! 宙吊りも意味がわからない…
 第2幕後半の親子の芝居をたっぷりやっていたところが一番良かったもん。やはりそっちの人なんだと思うなー。

 ミュージカル初挑戦の大沢たかお、初舞台の徳永えりとも、歌がいかにもつらく、それも残念でした。
 正確には、ミュージカルの歌はものすごく上手くなくても、役の感情を乗せたものであればいいという考え方もありますが、それでも上手いに越したことはないわけで、特にクリスティーンの歌には「天使の声」の説得力が必要なわけで…ううーむ。
 ソウル・シンガーだというカルロッタの「This Place Is Mine」くらいかな、聴けたのは…なんと姿月あさとがベラドーヴァを演じているのですが、「You Are My Own」も微妙だったかも…元男役でハスキーだし。

 でも、萌えなかったのかと言われればそれはそれ、脳内補完は完璧なワタクシのことですから、楽しみはしましたけれどね。大沢たかお、素敵は素敵でしたよ。徳永えりがもう少し上背があればなー。

 そして、いろいろと考えさせられました。
 ラストシーン、瀕死のエリックの顔からクリスティーンが仮面を外すと、そこには傷なんかまったくありません。それは、これまで仮面で隠してきたり影の中に置くばかりだった主演男優のきれいな顔を最後に見せる、という演出意図もあったとは思いますが、要するにこここそが、「ファントムは怪人なんかじゃない、人間だったんだ」というキャッチコピーの部分だったわけですね。
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったもので、幽霊を怖がる人こそが幽霊を見るのであり、心の汚れた者こそが相手の顔に汚れを見るのです。

 要するに悪いのはキャリエール、というか、彼が属した貴族社会、ということなのでしょう。キャリエールには妻がいた。だから愛したベラドーヴァが身ごもっても何もできなかった。絶望したベラドーヴァは麻薬に溺れ、その影響でエリックは醜い顔に生まれついた。と、されていますが、本当は醜くなんかなかったのかもしれない。ただベラドーヴァは狂信的になってしまっていたというか、心を病んでいたのでしょう、エリックをオペラ座の地下で純粋培養で育てることにして、外界に触れさせなかった。外の人間はみんな汚いから、卑怯だから、裏切るから、愛してくれないから…
 社会の非難を恐れて愛を選べなかったキャリエールや、それに打ち勝って愛を貫き通せなかったベラドーヴァの弱さ、そういうものがエリックをファントムに育ててしまったのです。

 人間は人間の手で人間になるように育てられなければ人間にはなれません。これは、竹宮恵子『風と木の詩』にも通じる、社会不適合者に育てられてしまったがゆえに反社会的な人間に育ってしまった、「怪人」として生きざるを得なかった悲劇の男の物語なのです。

 もちろん、キャリエールは単に俗人だっただけでそれほどの悪者だったとは言えない、という考え方もあります。でも、みんながみんな、少しずつ、自分の心の中の闇をエリックひとりに押し付けたのです。エリックと共に心の闇を地下に押し込めて、自分だけが涼しい顔で地上を闊歩し世の幸せを満喫してきたのです。そんなことが許されていいはずはないのです。

 エリックを救うチャンスが、クリスティーンには一瞬だけ、あったのに、彼女はそこで怯えて逃げてしまった。彼女のまた弱き者だったのです。
 みんなの悪、醜さ、弱さをエリックがひとりで引き受けて、だから彼はこれ以上生きられなかった。彼が最後に死を、父親の手によるものだとは言え死を望む流れは、日本人の死生観からすると引っかかるところもあるのですが、西洋的には贖罪という部分もあるんだろうなあと思います。でもスケープゴートひとりに罪を負わせて救われる人類なんて救われる価値もない、というのが日本人の、仏教徒の、八百万の神がしろしめす世に生きる者の考え方なんだけれどなあ。

 でもまあ、これはそういう物語です。
 三角関係に特化した『オペラ座の怪人』とは、それはちがいますわな。
 でも、最後にクリスティーンがエリックにするキスは、頬なんかにじゃなくて唇にするべきだったは思います。エリックが彼女に結局は母親を見ていたのだとしても、それ以上のものが与えられてこそ女というものではないかクリスティーン!
 ああ、花組版も観たかったなあ…
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ユーミンソング・ミュージカル『ガールフレンズ』

2010年02月12日 | 観劇記/タイトルか行
 銀河劇場、2008年1月31日ソワレ。

 真理子(この日は鈴木蘭々、Wキャストは堀内敬子)と裕子(池田有希子、Wキャストは島谷ひとみ)は、高校時代からの親友同士。真理子は、一足先に結婚していく裕子に、結婚式の前夜、祝福の電話をするうち、十数年前の自分たちの学生時代を思い出す。内向的で奥手だった真理子は、陽気なサーファーの文男(中村昌也)に想いを寄せ、活動的で恋の手練手管にも長けた裕子はスキー場で出会った徹(加治将樹)に一目惚れした…作曲・作詞/松任谷由美、作・演出/馬場康夫。2006年12月初演の再演版。

 ユーミンの曲は荒井由美時代のものとか、ものすごく流行ったものしか知らないので(アルバムを買ったことがない)、知らないとつまらないかと敬遠していたのですが、知人が誘ってくれたので行ってきました。でも、おもしろかったです。
 台詞はなく、全編が真理子と裕子がほぼ交互に歌うユーミンの歌のみでつづられ、他のキャストはアンサンブルの女性4人のみ。バンド5人もすべて女性の舞台。
 初演時は男性役も女性が演じていたそうですが、これは改善されて今回の方が良かったのではないでしょうか。ただし中村昌也は背が高すぎて浮いていましたけれどね…

 台詞がなくても充分わかるというか、類推できる、つまりは単純にストーリーなのですが、この境遇そのものは経験したことのある観客はそうは多くないでしょうけれど、恋の過程のいろいろの感情のどれかひとつは経験したことがあるはずで、そういうのにいちいちきゅんきゅんするはずです。
 つまりそれくらい、ユーミンの歌詞はすごい。あのディテールの描き方はやはり半端ではなく、だからこそ中途半端な台詞なんか必要なくなるということなのです。
 逆に楽曲としては非常に難しいものが多いのではないかという印象でした。キャストはふたりとも、あえてうまく歌おうとはしていず、むしろ感情を乗せることを優先しているようでしたが、それでいいというか、そういうふうにしか勝負できない曲なんだと思います。でも、楽しく聴けました。

 鈴木蘭々はいい舞台女優さんになってきていて、メガネ姿もきれいに変身してからも素敵でした。池田有希子もさすがの芸達者ぶりでしたが、若々しさには欠けたかな?
 もはやレトロと言っていい当時のファッションは、下の世代の私なんかからするとご愛嬌ですが、もっと若い世代の観客にはどうなんだろう…とちょっといらぬ心配をしてしまいましたが、まあいいか。

 ABBAの楽曲で組んだ『マンマ・ミーア!』と同じスタイルですが、これは日本がちょっと誇っていいステージだな、と思いました。
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ロン・ティボー国際音楽コンクール ガラ・コンサート

2010年02月12日 | 観劇記/クラシック・コンサート
 サントリーホール、2008年1月22日ソワレ。

 2007年度ピアノ部門優勝者・田村響によるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、同第2位のキム・ジュンヒによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、及びゲストで1989年度第3位だった横山幸雄によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番と、ピアコン3連続の贅沢なステージ。指揮は金聖響、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。

 初めてのオケ、二度目のサントリーホール、堪能しました。

 くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』で取り上げられていたので知ったラフマのピアコン2番が生で聴けるなんて! 竹宮恵子『変奏曲』で知った「皇帝」が聴きたくて買ったCDに同時収録されていた4番を生で聴けるなんて! そして今回の予習で聴いて一番好きになったラフマの3番が生で聴けるなんて!! 本当に贅沢で、ミーハーにはぴったり(^^)。

 ゲストであり受賞者の露払いの意味もあったと思う横山さんのピアノが、さすが一日の長ありで一番良かったと思いました。さすがにこういう人がいないと客が呼べない、ということもあるのかもしれません。スーツに赤いネクタイのおじさんがステージに出てきたときは「譜めくりの人なんてつかないよね!?」とか思ってしまいましたが(受賞者ふたりはちゃんと燕尾でした)、こういうソリストもいるもんなんですね。椅子に座ってすぐ弾き出したのにも驚かされたものでした(受賞者ふたりは緊張や精神統一もあるのか、座ってから弾き始めるまでにずいぶんと時間をかけました)。
 何がどうちがう、というのは全然言葉にできないのですが、聴き比べると、やはり受賞者ふたりは若いというか荒いというか、強い・激しいだけで深みがない、気がしました。でも、きっと受賞はきっかけで、これから磨かれていくものなんでしょうからね。がんばっていってほしいものです。

 オケは聴くものだから目をつぶっている、という観客もいるとか聞きますが、そんなもったいない! 観ていて本当に全然飽きませんでした。
 まず、ピアニストの演奏スタイルがみんな全然ちがう。鍵盤に覆い被さる人、手許なんか全然見ないで天井ばかり仰いでいて背筋が強そうな人…
 さらにオケってみんながみんなずーっと吹いたり弾いたりしているわけじゃなくて、休みがけっこうある。だからそろそろ、となるとささっと用意を始めたりして、そうすると「ああ、次はこのフレーズが来るんだっけ」とか「あのメロディはこの楽器のものだったのか」とかが、私なんかにはやっとわかってとても楽しいわけです(素人っぽくてすみません)。

 そしてそして、指揮者がとてもよかった。1970年生まれというのは指揮者としてはお若いのでしょうか、ほっそりした青年のような後ろ姿で、当然ですが音楽に浸りきっていて、もちろんこの人が音楽をリードしているのでしょうが、なんか音楽に一番乗って踊りまくっているような、音楽が体現されるのを目の当たりにしているような感じがありました。玉木くんももっとがんばらないとね!(笑)

 うん、本当に楽しい経験でした。次はヴァイオリンも聴いてみたいものです。チャイコ、メンデルスゾーン、ブラームス、ラロ、ヴィバルディ…
 またひとつ、楽しい趣味が増えました。
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