駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『レ・ミゼラブル』

2010年02月02日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 帝国劇場、2007年。

 1815年、ツーロン。ジャン・ヴァルジャンは19年の刑を終えて、今、仮釈放の身となった。だが世間の風は冷たい。司教に人間のあり方を教えられ、改 心するが…作/アラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルク、原作/ヴィクトル・ユゴー、音楽/クロード=ミッシェル・シェーンベルク、作詞/ハーバート・クレッツマー、潤色・演出/ジョン・ケアード、トレバー・ナン。翻訳/酒井洋子、訳詞/岩谷時子。1987年日本初演。

 だいぶ前に一度観劇して、ロンドン・オリジナルキャスト版CDは愛聴しているのですが、今回はキャストをいろいろ変えて5度観劇しました。

 6月14日ソワレ。
ジャン・ヴァルジャン…橋本さとし。
 去年の個人的大ヒット作『トーチソング・トリロジー』の出演者で、「ナニ、次はジャン・ヴァルジャン役!? 観なくては!!」と思った人。
 ミュージカルもこなす俳優さんだそうですが、音程は問題なかったものの発声というか声の響きがあまり通らないタイプに聞こえてしまいました。
 でも、真面目で贅実そうな感じはよく出ていてよかったと思います。
ジャベール…石川禅。
 なんと初代マリウス。いかにも、という感じの朗々とした歌声が本当に聴いていて気持ち良かったです。
 「星よ」といい自殺するときの歌といい、ジャベールは大きな持ち歌がある、主役ジャン・ヴァルジャンに匹敵する大きな役なのだと改めて実感しました。
 ジャン・ヴァルジャンと対決する二重唱なんか、聞きごたえたっぷりでした。
エポニーヌ…坂本真綾。
 私にとってはアニメ声優さんのイメージでしたが、なかなかどうして。03年から現役。
 しかしコゼットはお人形というかお姫様役なので、みんながエポニーヌやファンティーヌをやりたがるわけはよくわかります。
ファンティーヌ…渚あき。
 元宝塚歌劇団星組娘役トップスター。あの独特の声音は健在で私はうれしい。
コゼット…辛島小恵。
 …というかこの役ってホントしどころなさそう…
マリウス…山崎育三郎。
 登場シーンでアンジョルラスと間違えました。あっちの方が服をちゃんと着ているからさ…シャツの襟を立てているのは首や肩がスマートに見えないし、タイがラフすぎるのは真面目な学生に見えないぞ。
 声は「ザッツ二枚目」で王子様役のマリウスにぴったり。
テナルディエ…三谷六九。
 独特の特徴ある声で自由自在にイヤらしさとたくましさを表現して好感。
マダム・テナルディエ…森公美子。
 歌唱力はすばらしいが、いかんせん体積がものすごいぞ…
アンジョルラス…坂元健児。
 クールな天才肌、というところまでは演じきれていなかった気もしますが、若き革命リーダーという感じは出せていたかな。
 03年から現役。『ライオンキング』のシンバでブレイクした人ですね。
リトル・コゼット…赤石玲子。
 「リトル・コゼット」の歌に泣かされそうになりました。十分達者でした。
ガブローシュ…新井海人。
 小四ということですがずいぶんと小さいなオイ! でも粋で元気なガブローシュでした。ボーイソプラノで「ブタ野郎」なんて歌わされちゃって大変でしょうが、がんばれ!

 6月20日ソワレ
ジャン・ヴァルジャン…別所哲也。
 確かに歌うよりは語るような感じで、演技が勝った感じでした。さすが俳優さん。03年から現役。
ジャベール…岡幸二郎。
 特に若いころなんか多分わざとだと思うのですがちょっとキンキン目に歌っていて、理想に燃える生真面目な官吏、という感じが出ていてとても良かったと思います。
 94年アンジョルラス、ジャベール役は03年から。
エポニーヌ…笹本玲奈。
 5代目ピーターパン、03年から現役。
 「オン・マイ・オウン」はちょっとはりきって歌いすぎじゃなかったでしょうか。あまりドラマチックにやりすぎちゃうとメロディを殺してしまうと思います。
ファンティーヌ…シルビア・グラブ。
 素敵なアルトで色っぽくてよかったです。
コゼット…豊田麻帆。
 コゼットにしては地声が低くないかな? あと、ちょっとオペラっぽい歌い方というか、高音部があまり美しく響かない歌い方で、聞き苦しくて残念。
マリウス…泉見洋平。
 03年からマリウス役とのこと。これまた正統派二枚目声でした。
テナルディエてん駒田一。
 こちらもなかなかパンチのある特徴的な声で熱演でした。
マダム・テナルディエ…またも森公美子。
 …でかい…
アンジョルラス…原田優一。
 『タイタニック』のときから期待していました!
 怜悧な印象を与える若きカリスマ革命家、という感じが非常によく出ていて素敵でした。94年にはガブローシュを演じているんだそうです。
リトル・コゼット…大下夕華。
 わりと大人っぽい詠い方をする子役さん。愛らしい。
ガブローシュ…原田光。
 もうボーイソプラノではなくて、かなりしっかりした「男の子声」を聴かせてくれました。

 7月3日ソワレ 6列目で観劇
ジャン・ヴァルジャン…山口祐一郎。
 実は初めてこの人を観るのですが、どちらかというと声が高いというか細いというか軽い人なんでしょうか?
 それとも単にキーが合っていないのか? あまりよく聞こえませんでした。芝居っ気はあってよかったのですが…
ジャベール…岡幸二郎。
 今回は席がだいぶ前で表情まで良く見えました。カーテンコールでにこにこ笑っているのが似つかわしくなくておかしかったです。
 山口バルジャンに引っ張られていたのか、自殺の歌がハイテンションでした。
エポニーヌ…坂本真綾。
 これまた山口バルジャンのせいかはたまたこなれてきたからなのか、「オン・マイ・オウン」はずいぶんと引っ張り気味で歌っていました。
ファンティーヌ…今井麻緒子。
 あんまりよくなかった気が…
コゼット…富田麻帆。
 前回観たときよりは高音がよく出ていましたが、キャラクターとしては本当にどうしようもない役だなあという思いが日々深まるばかりです…
マリウス…山崎育三郎。
 ちょっと大きめな口が印象的なハンサムさんだったんですね。
 でも同行した知人が「マリウスってなんにもしないんですね」と言ったのはおかしかった…
テナルディエ…駒田一。
マダム・テナルディエ…田中利花。
 憎々しい感じがよく出ていました。過不足なし。
アンジョルラス…東山義久。
 05年よりアンジョルラス役とのこと。せっかくのハンサムなのに、オールバックのひっつめ髪がおっさんっぽいよ…
 あと、赤いタイがアンジョルラスのモチーフだと思うのですが、ファーストシーンで黒いタイをしていましたね。なぜ??
 歌はよかったです。
リトル・コゼット…高橋りか。
 しっかり歌って聞かせてくれました。
ガブローシュ…原田光。

 7月11日マチネ 5列目で観劇。
 ソワレに比べてマチネは濃いリピーターがいないようで、わざとらしい拍手や手拍子がなかったのはよかったです。しかしカーテンコールはどんどん長くなっていますね。
 芝居も濃くなってきている気がします。
ジャン・ヴァルジャン…別所哲也。
ジャベール…岡幸二郎。
 このふたりの「対決」はとても聴かせてとてもよい。
エポニーヌ…笹本玲奈。
 やはり「オン・マイ・オウン」は訳詞が悪いんじゃなかろうか…
ファンティーヌ…渚あき。
 前回観たときよりぐっと深みが増していて、とても素敵だったと思います。
コゼット…菊地美香。
 同行の知人が「デカピンク!」と喜んでいましたが、とてもとてもよかったです。
 コゼット役者はみんなソプラノ歌手みたいなタイプの女優さんを選んでいるのかもしれませんが、『心は愛に溢れて』などのコゼットの高音部がちゃんと出ていたのを初めて聴きましたよ。
マリウス…藤岡正明。
 05年から現役。はっきり言って役不足なくらい深みのある声と演技力で、生き生きとしたマリウスですばらしかったです。
テナルディエ…安崎求。
 初演はマリウス役だったとか。ダミ声役者を当てることの多い役ですが、この人はいい声で、役もダンディな感じでまたよかったです。
マダム・テナルディエ…田中利花。
アンジョルラス…原田優一。
 マリウスが熱かった分、浮世離れした理想家という感じが強く出ていてとてもよかったです。
リトル・コゼット…赤石玲子。
ガブローシュ…横田剛基。
 これでこの役は全員観ましたが、一番芝居っ気があるタイプで好感持てました。ただしその分歌詞が聞き取れない部分もありましたが…

 7月19日ソワレ 初めて下手側で観劇。
ジャン・ヴァルジャン…山口祐一郎。
 前回よりずっとよかったです。
ジャベール…岡幸二郎。
 橋本さとしのヴァルジャンとの組み合わせも観てみたかったなあ…
エポニーヌ…新妻聖子。
 健闘していたとは思いますが、歌詞がやや聴き取りにくくて残念。声量が足りないのか? どちらかと言えば正統派ヒロインタイプの方がニンの女優さんなのかも。
ファンティーヌ…山崎直子。
 深いアルトでとても素敵でした。
 でも身びいきかもしれませんが、ファンティーヌはソプラノがやった方がいいと思うので、アキちゃんが一番よかったかなあ…
コゼット…富田真帆。
 やっぱり良くない…
マリウス…山崎育三郎。
テナルディエ…駒田一。
マダム・テナルディエ…瀬戸内美八。
 これまた元タカラジェンヌですが、残念ながら今ひとつ…?
アンジョルラス…坂元健児。
リトル・コゼット…赤石玲子。
ガブローシュ…新井海人。
 ちょっとお疲れなのか声量が落ちていて残念。がんばれ!

 さて、では、好きな舞台かと言われると、微妙かも…
 歌を聞かせる歌芝居、オペラに近い作りの舞台です。リプライズが多いので歌はすぐ耳馴染みしていいんですけれどね…

 最近初めて原作を読んで、話の脇筋への脱線ぶりに仰天したのですが、とにかくまあくだくだと長い話を舞台は基本的にはわりと真面目に追っかけていて、だ から展開がむやみに早く、また「スターはいらない、みんながアンサンブル」ということで、ドラマ的にも特別焦点があたる人物がいるわけでもなく、大きく感 情を掘り下げることもなくやや群像劇っぽく進むので、キャラクターに感情移入してストーリーやドラマに浸りたい私としては乗りづらいところがあるのです。
 本来は物語の主役ともなる「あわれなお姫様とそれを救う王子様」はコゼットとマリウスなのですが、これは書き割りみたいなもので役割以上の個性がないキャラクターにすぎません。
 むしろドラマとしてはヴァルジャンとジャベールの間にこそあるのでしょうね。というか主にジャベールに。
 ヴァルジャンはただ不当な罰から逃れようとしているだけで、基本的にジャベールに対し含むところはないわけです。
 でもジャベールはちがう。原作ではジャベールもまた囚人の女が産んだ子供で、だからこそその出身階級に深い嫌悪を抱いて国家権力を志向し警察官になっ た、という設定になっていますが、とにかく「法と正義を守り司る人間であること」に己の存在すべてをかけている人なわけです。
 だからヴァルジャンのことが見逃せない。そして何度か煮え湯を飲まされるうちに、彼を追い彼を捕らえようとすることこそが人生そのものになってしまう。 ヴァルジャンに執着してしまうのです。ヴァルジャンなしではジャベールの人生はないも同然なものにされてしまったのです。
 だけれどもヴァルジャンの方にはそこまでのこだわりはない。砦の中でスパイとして囚われたジャベールを、学生のリンチにあわせて死なせるのは忍びないと逃がすのも、実はあまり深いこだわりはないですることなのです。
 ジャベールが自殺する展開は変だとは原作に関しても言われているそうですし、あれを「回心」ととらえるのは確かにちがう気がしますが、私が思うに、要するにジャベールはヴァルジャンにフラれたから腹いせに死んだってことなんじゃないですかね…
 自分は人生をかけて相手に迫ったのに、相手は自分のことを何ほどとも思っていなかった。その絶望。自分の人生が一気に無に帰す瞬間。だから、もう、死ぬしかなかった…
 (しかしあの自殺の演出は人によっては飛び降りだと解釈できないのではなかろうか…もちろん人が奈落に飛び降りるとかいうことはなくて、セットの橋の方が上がっていくのですが)
 ま、要するにBL的に読み解けば理解しやすいってことですな。
 ジャベールが飛び降りる橋の欄干の街灯ふたつは、ヴァルジャンが神父からもらい最後のときに点す燭台の灯ふたつに通じるんですねえ。せつない。

 でもこの「対決」以外は、意外と観るものがない…革命に関しても、今ひとつ何と戦い何を目指しているものなのか見えづらいので共感しづらくないですかね?
 でも、大ラスはやはり感動させます。それはたいしたものだと思います。
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『お気に召すまま』

2010年02月02日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアターコクーン、2007年7月18日ソワレ。

 舞台はフランス。不幸な身の上の青年と娘がいた。青年オーランドー(小栗旬)は前公爵の忠実な部下だった父亡き後、兄オリヴァー(鈴木豊)に不当な扱い を受けていた。娘ロザリンド(成宮寛貴)は公爵だった父が弟との政権争いに敗れて追放され、今は従姉妹のシーリア(月川悠貴)だけが心の支えだ。オーランドーとロザリンドは宮廷のレスリング大会で出会い、恋に落ちるが…演出/蜷川幸雄、作/W・シェイクスピア、翻訳/松岡和子。2004年初演のオールメー ル・シリーズ。

 ロザリンドが男装し、青年ギャニミードとしてオーランドーと出会い、恋に悩むオーランドーの相手をロザリンドのふりをしてし、恋の愚かさを説こうとする…というような筋だ、とは知っていましたが、他にもいろいろと登場人物の多い舞台なんですね。これでほぼ元の戯曲どおりなんでしょうか。
 後半になると地口が増えて楽しくなりましたが、「詩的」と評される長セリフは私には若干退屈に感じられましたし、オリヴァーやフレデリック公爵(外山誠二)が急にいい人になってしまったり、オーランドーのキャラクターが一貫していなかったりするところ(前半はハムレットかと思った。後半はただのお坊ちゃんで、どちらかというとその方が愛らしい)は、もしかしてシェイクスピアってやっぱり古いとは言わないまでも現代の演劇にはそぐわないところがあるんじゃ ないの?なんて僭越ながら思ってしまいましたよ。でもそこを刈り込んだり整えたりするのはちがうってことなんでしょうかね…

 オールメールでやっているということもあって、アーデンの森での、男装のロザリンドとオーランドーないしシーリアとのやりとりのシーンが楽しく白眉なのは確か。成宮くんは大健闘で客席を沸かせていました。このお芝居はなんてったってロザリンドが主役ですものね。
 あとはドレス姿がもう少しだけなんとかなればねえ…やはりずん胴に見えてしまってつらいのでした。

 シーリア役は女形さんらしく、宝塚歌劇の男役にも見え、不思議でした。このキャラクターも不思議で、ロザリンドとはどちらが年上なんでしょうかね?
 伯父が追放されてもその娘のロザリンドがいないと夜も日も明けないと言って父に留め置かせるシーリアですが、だからと言ってロザリンドがいないと何もできな いお姫様ではなく、むしろシーリアの方がクールで現実的なところがあるようです。なのにオリヴァーとは一目惚れし合ってすぐ結婚しちゃうんだけれどね。

 タッチストーンの田山涼成がさすがの芸達者ぶり。

 しかしやはり立ち見も出ちゃうこの盛況ぶりは、『花男』ルイルイ(笑)の小栗くんによるものなんでしょうねー。彼が走り抜けていく側の通路際の席だったのだ大ラッキー! 頭が小さくて背が高くて細くてそれはそれは素敵でした。
 オーランドーってしどころのない役だと思うのですが、王子さまとしてただ立っているってだけのこともけっこう大変ですよ。よかったと思います。
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Kバレエカンパニー『ドン・キホーテ』

2010年02月02日 | 観劇記/タイトルた行
 新国立劇場、2007年7月17日ソワレ。
 
 今回のキャストはキトリが吉田都、バジルがスチュアート・キャシディ、メルセデスは樋口ゆり、エスパーダは宮尾俊太郎。

 熊川くんが怪我をする前に買ったチケットですが、結果的に吉田都が観られることになってラッキー、と思っていましたが…な、なんかあんまりぱっとしない印象を受けてしまいましてですね…
 キトリとしてはこの間の上野水香の方がパキパキしていてよかったかな?

 ううーん、残念。期待しすぎたかな???
 ガマーシュのサー・アンソニー・ダウエルがさすが芸達者で沸かせてくれました。
 カーテンコールに登場した熊川くんはスモーキー・パープルのベルベットのスーツ。どこの韓流スターだ!
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オーストラリア・バレエ団『白鳥の湖』

2010年02月02日 | 観劇記/タイトルは行
 東京文化会館、2007年7月13日ソワレ(初日)。

 結婚式前夜、憂いに沈んだオデット(カースティ・マーティン)は、婚約者であるジークフリート王子(ダミアン・ウェルチ)の愛情に不安を感じている。結婚式のあと、愛する新郎の心が、実はロットバルト男爵夫人(ルシンダ・ダン)のものだったことに気づいたオデットは、悲嘆にくれ狂気に陥り、サナトリウム に入院させられてしまう…振付/グレアム・マーフィー、音楽/ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、構成/グレアム・マーフィー、ジャネット・ヴァーノン、クリスティアン・フレドリクソン、装置・衣装/クリスティアン・フレドリクソン。2002年初演、全4幕。

 ベタだろうがなんだろうが、私はバレエの演目では『白鳥の湖』が一番好きで、何度でも、どんなバージョンでも観てしまいます。
 マシュー・ボーンも『アクロバティック白鳥の湖』も刺激的でしたが、今回の版もたいそうスリリングでした。なんてったってモチーフはダイアナ妃です。
 今回、席は一階後方でしたがどセンターで、舞台が非常に見やすくて感動的でした。

 さて、舞台のイメージは1900年のジュネーヴなのだとか。
 いわゆるプロローグはおびえるオデットと、愛人と切れない王子。オデットは、結婚へのときめきや恥じらいや幸せの予感におののいているのではなくて、明らかに不安におびえています。
 そして第一幕はいきなり結婚式、というかそのあとの披露宴。ポスターなどに使われた、長く裾を引いたウェディングドレスで踊るオデットには躓かないかとヒヤヒヤでしたが、そのあとは軽いドレスに着替えます。しかしこのペチコートの裏地が黒なんですね。

 一般に『白鳥』の世界では、白と黒が、聖と俗、善と悪に対応していますが、この作品ではそうではないのです。私は最初、ロットバルト男爵夫人のファーストネームはオディールなのかなと思ったのですが、オディールはむしろふたつに別れて、オデットの中にも夫人の中にもいるのです。
 オデットはただの無垢で純真なだけの娘ではない。というのは、何もしていないくせして王子に愛されたがっている、驕慢があるからです。王子に不穏な噂があるのを承知していながら、結婚に応じた、ある種の打算があるからです。

 男爵夫人は、優しい夫も愛らしい子供たちも年下の情熱的な愛人も何もかも手にしていて、大得意の悪人かもしれない。しかし彼女は家柄か何かの関係で王子 との結婚を許されなかったか、男爵との結婚を選ばざるをえなかったかして、「一番愛している人の妻の座」にはつけなかった女性です。彼女にも手に入れられ なかったものはあり、その口惜しさをおしてでもなお王子とつきあっているということは、そこにはたしかにある種の真実の愛があるということなのです。彼女 はあらゆる努力をして王子との関係を育んできたのかもしれない訳ですし。実際に第三幕で黒い衣装で踊る夫人のペチコートの裏地は白であり、誠意を表しているのです。王子がオデットの手を取ったあとの夫人の嘆きのソロは劇場を最も沸かせるものでした。

 チャイコフスキーのもともとの楽譜では、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」は第一幕にあったとのことですが、この曲は披露宴で、王子と夫人が人目もはばからず仲睦 まじいのにキレたオデットが、いきなりその場の青年貴族たちと戯れ踊り始めるのに使われます。なんたる皮肉。そのあと、32回転はありませんが、おぞましくも悲しいパ・ド・トロワになります。そしてオデットは惑乱し、絶望し、狂気の淵に立ち、冷たい氷の湖に身投げしようとするのです。
 第一幕ラストに、あのいわゆる「ザッツ・白鳥の湖」のメロディが流れ、普通この曲は、王子が森へ出て湖に誘われるのに使われると思うのですが、この作品 ではサナトリウムとは名ばかりの精神病院へオデットを収監しようと現れた看護師の登場の音楽に当てられます。なんたる皮肉。

 第二幕はオデットの幻想シーンです。入院している若い娘たちはみんな浮世離れした白鳥のよう。見舞いに訪れた王子を拒むオデットは、いっそ汚い人間なんかやめて鳥になりたいと願います。でも王子が夫人と立ち去るのを見れば心は乱れる。
 幻想の中で、オデットは王子の幻と楽しく美しく踊りますが、それを中断させる白鳥たちは『ジゼル』のウィリたちのようです。ここの「四羽の白鳥の踊り」 はポピュラーな振付を踏襲しつつもマイナーチェンジしてあっておもしろかったです。また「大きな白鳥の踊り」もことに素敵でした。下手で踊ったダンサーは すばらしかったなあ。

 第三幕は男爵夫人の夜会。王子とはほぼ公認の恋人同士のように振る舞っています。そこへ、普通ならオディールの登場に使われるファンファーレとともに、幽霊のような白いドレス姿のオデットが招かれてもいないのに乱入します。
 ここでのオデットと王子のアダージョに使われた音楽は知らないものでした。一般的な『白鳥の湖』にはカットされてしまっている曲なのかな? そういえば民族舞踊も第一幕で夫人からの結婚祝いの出し物に踊られたチャルダッシュ以外はカットされています。

 さてこのアダージョですが、これはなんとも解釈がしづらかったです。
 オデットは王子をことさらに誘惑している訳ではありません。ただ、幽霊めいた、幻めいたところはずっと続いていて、要するに別に完全に健康になったり 吹っ切れたりして病院を出てきた訳ではないのです。彼女は現実をきちんと見てはいず、ただ王子の隣にいるべきは自分だとばかりに振る舞っているうちに、王 子の方が、折れてくるという訳でもないんだけれど、同情なのか少しはあった愛情が再燃したのかはたまたここで初めて本格的に自分の妻に恋したのか、とにかくふたりはほぼずっと組んで踊り、夫人は王子に拒絶されます。
 そうなると客も現金なもので、正当な夫婦の方の味方をしたりします。王子とオデットは去り、客たちも去り、夫人はひとり広間に残され、椅子に座ります。 かつて第一幕幕切れの同じ場所で、夫人は王子に、女王も座った玉座に自分を上がらせ王子を跪かせました。王国そのものを狙うくらい、いっときは不遜なもの を抱いていたというのに、いまやこうです。

 第四幕で、オデットと白鳥たちは黒いドレスを着て踊ります。これはある種の葬送なのでしょうか。王子は追いかけてきた夫人を再び拒絶し、オデットと踊り ますが、結局オデットは黒衣の娘たちに紛れて去り、暗黒の中に消えていきます。暗い夜の湖に身投げした、というようにも、見えました。あとに残るは王子ひとり…

 というわけで、設定が現代的な分、結論も現代的な「愛の敗北」を描くもので、全然ロマンティックではありません。
 物語というものは不思議なもので、この世は大昔から男社会であり物語をものすのも男性に決まっていたのですが、描かれる物語世界では真実の愛とかなんとかいう「女性原理」が働いているんですね。でもこのルールの前に男性キャラクターってけっこう無力です。

 今回の王子も、単に新しい女に気が移ったってだけなら、やっぱりそんな愛は「真実の愛」からほど遠いし、王子はそれに足る相手ではありません。夫人との 愛も本物だったしオデットとの愛も本物だった、ただ時が移ろっただけだ、というのが現実に近いところだろうという解釈もありますが、それはやはり「真実の 愛」というには俗っぽすぎてしまう。世の男性物語作者たちは、我が身と、物語が進むべき真実の道との乖離に悩んだでしょうが、その上手い融合を5000年くらいかけた今でも見つけられていないということなんでしょうね。そういう意味では不完全燃焼だったし不愉快なお話なんですがね。でも「悲しいけど、でも 現実ってこんなもんかもしれないなあ」という感想があまりに強くて、理想を打ち砕いてしまうのでした。
 しょせんこの世に真実なんかない、しょうもない男どもは現世に残して、真実を求める女たちはさっさと神の国へ行くしかない…というほどニヒルな結論でも ないとは思うんですけれどね。でも、とりあえず現世では誰も幸福になれていないという事実の前には、理想論も悲しいのかもしれません…

 たとえば『ミス・サイゴン』なんかだと、明らかに男が悪く見えて、「ヒロインの代わりにおまえが死ね」と思えるんだけどなあ…うむむむむ。

 ところでオデットはブロンドでやってもらえると、ブルネットの夫人と対照が出てよかったと思います。
 あと個人的にはオデットに冷たい女王(シェーン・キャロル)が妙にツボでした。映画『クイーン』をちょっと思い起こしてしまった。結局夫人の存在を知りながらも、夫人との結婚は許さずつきあいもなかば黙認しつつ、王妃を迎えさせた女王が元凶なんじゃん、とは言えると思うので…
 悲しいことです。
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