映画 ご(誤)鑑賞日記

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親愛なる同志たちへ(2020年)

2022-04-17 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76704/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1962年6月1日、フルシチョフ政権下のソ連で物価高騰と食糧不足が蔓延していた。第二次世界大戦の最前線で看護師を務め、共産党市政委員会のメンバーであるリューダは、国中が貧しい中でも贅沢品を手に入れるなど、党の特権を使いながらも父と18歳の娘スヴェッカの3人で穏やかな生活を送っていた。

 そんな中、ソ連南西部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが勃発。生活の困窮にあえぐ労働者たちが、物価の高騰や給与カットに抗議の意思を表したのだ。

 この問題を重大視したモスクワのフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために高官を現地に派遣する。そして翌2日、街の中心部に集まった約5000人のデモ隊や市民を狙った無差別銃撃事件が発生。リューダは、愛娘スヴェッカの身を案じ、凄まじい群衆パニックが巻き起こった広場を駆けずり回る。

 スヴェッカはどこにいるのか、すでに銃撃の犠牲者となって“処分”されてしまったのか。長らく忠誠を誓ってきた共産党への疑念に揺れるリューダが、必死の捜索の果てにたどり着いた真実とは……。

=====ここまで。

 アンドレイ・コンチャロフスキー監督作。コンチャロフスキーの弟、映画監督のニキータ・ミハルコフは熱烈プーチン支持者で、ウクライナでは逮捕状が出ているらしい。

 
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 制作は2年前だが、日本での公開が、こういうタイミングになるとはね、、、。このご時世で、ロシアものは何でもかんでも排除せよ、とか言っている人たちがいるみたいだけど、こういう時こそ、あの国のことをよく知るべきでしょ。

 ……と思って、劇場まで行ってまいりました。


◆期待ハズレ、、、がーん。

 ストーリー自体はいたってシンプルで、序盤はいささか退屈でさえあった。ストが起きて、デモ隊へ発砲された辺りから緊迫するものの、展開としては非常に単調、全体的には平板な印象を受けた。

 まず、画角がスタンダードサイズ(プログラムによると1.33:1とのことなので、微妙に違うみたいだが)で、さらにモノクロなのだが、これで過去の史実を扱う映画っぽい演出にはなっているが、そこに映っている画は割とフツーで、テレビドラマを見ている感覚に近かった。技術的なことは分からないけど、もう少しカメラワークとか何とかならなかったものか。

 とはいえ、細部の描写などは凝っていて、女性が後頭部に銃弾を受けて、その血が飛沫となる様は、明らかに心拍に応じて細かい血飛沫が窓ガラスに当たるなど、こだわりが伺える。

 けれども、肝心の展開が凡庸なので、私の気持ち的には、喰いつきが良くないまま終わってしまった感じだ。


◆リューダの人物造形が、、、

 ロシアものは結構面白く感じることが多いのだが、本作がこれほどピンと来なかったのは、主人公リューダの描き方にあると思う。

 彼女は、共産党員で、ゴリゴリの共産主義者でありながら、ストの現場で国家による国民の虐殺場面を目撃したことで、共産党への信頼が揺らぐわけで、それは本来ジレンマなどと言う甘っちょろいものではない。自身の足元が崩れていくアイデンティティの崩壊に直面しているはずなのだ。

 けれども、スクリーンの中の彼女は、スト現場で銃弾飛び交う中を娘を必死で探し回ったり、娘が殺され埋められたという場所で狂ったように地面を掘り返したりするシーンはあるものの、それは、母親としての葛藤にしか見えず、彼女自身の共産党への信奉が崩れていくこととは直截的には結びついていない。

 リューダの父親は、元コサックで、コサックの制服をいまだに着ている、隠れ反共産党という設定なんだが、強いて言えば、この父親とリューダが酒を飲みながら話すシーンが彼女の共産主義への揺らぎが垣間見えるくらいである。

 思うに、リューダのキャラ設定が甘かったのではないか。アイデンティティ崩壊を描くのであれば、母親<共産主義者、というキャラにした方が良かった。リューダは娘の身の危険を知ってからは、ほぼ母親全開なのだ。これでは、母と娘の物語になってしまい、ソ連の矛盾にまで切り込めないのは無理もない。


◆ロシアは偉大なり、、、ってか。

 KGBの描写も多いのだけど、あんまし必要性が感じられなかった。もっと言うと、ちょっと弁解がましく見えたというか。監督は、本当にこの虐殺事件を批判しようとして本作を撮っているのだろうか、とさえ思ったくらい。

 なので、本作を見終えて劇場を後にしたときの正直な感覚としては「消化不良」であった。感想も書けないかも知れないなぁ、、、とも思った、

 その数日後、新聞に本作の紹介と併せて、監督のインタビューが載っていたのを読んで、私の消化不良感の根っこを見た気がした。

 彼は現在のウクライナ情勢について質問され、こう答えている。

 「西欧と東欧の対立は何世紀にもわたる古い問題だ。西側のリベラルな哲学に誘惑されたウクライナ人に深い同情の念を抱いているが、彼らは東欧の人間で西欧の人間とは違う」「今起きているのはロシアとウクライナのコンフリクト(衝突、紛争)ではなく、ロシアと米国のコンフリクトだ。ウクライナ人はその犠牲者なのだ」

 あーー、そういうことね。

 同じ記事で、監督は本作について「自分が信じていた理想が崩れていく人間の悲劇を描きたかった」と語っているが、監督自身、ソ連に対して幻滅しながらもアイデンティティの崩壊にまでは至らなかったのだ、多分。でなければ、「東欧の人間」とか「西欧の人間」とかいう属性の仕分け方はしないだろう。そして、飽くまでも「VS アメリカ」であって、ロシアが帝国主義からソ連を経験しても脱し切れていないことに何の疑問も抱いていないのだ。イデオロギーは大したことではなく、偉大なロシアであることが監督自身のアイデンティティに厳然と根を下ろしているということだろう。

 道理で。だから、この映画はこういう作品になったのね、、、と、私的にはかなり納得できてしまった。

 コンチャロフスキー監督作は『マリアの恋人』(1984)しか見たことがないが、結構良かった記憶がある(みんシネでも7点付けてるし)。ニキータ・ミハルコフ監督作だと『12人の怒れる男』(2007)だけだが、この方あの『黒い瞳』も撮っているのよね、、、。いずれ見たいと思っている映画の一つだけれど、プーチン万歳の人だと分かった上で見るというのもなかなかツラいものがあるなぁ。

 コンチャロフスキー監督は、あからさまなプーチン支持ではないものの、おそらく弟と断絶もしていないのだろう。

 ロシア人の80%がプーチン支持というニュースも眉唾だと思っていたけど、案外実態に近いのかもしれない、、、。

 

 

 

 

 

 

主演の女優ユリア・ビソツカヤさん('73年生まれ)は監督('37年生まれ)の妻だそうです。

 

 

 

 

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