映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ともしび(2017年)

2019-03-26 | 【と】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 ベルギーの小さな地方都市のアパートで、慎ましやかな日々を送る老年に差し掛かったアンナ(シャーロット・ランプリング)と夫(アンドレ・ウィルム)。小さなダイニングでの煮込みだけの夕食は、いつものメニュー。会話こそないが、そこには数十年の時間が培った信頼があるはずだった。

 だが翌日、夫はある疑惑により警察に出頭し、そのまま収監されてしまう。

 しかし、アンナの生活にはそれほどの変化はないかに見えた。豪奢な家での家政婦の仕事、そのパート代で通う演劇クラスや会員制のプールでの余暇など、すべてはルーチンの中で執り行われていく。自分ひとりの食事には、煮込み料理ではなく、簡単な卵料理だけが供されることくらいがわずかな変化であった。

 ところがその彼女の生活は、次第に狂いが生じていく。上の階から漏れ出す汚水、ぬぐうことができなくなった天井のシミ、そして響き渡るような音を立てるドアのノックの音……。なんとか日常を取り戻そうと生活を続けるアンナだったが、そこに流れ込むのは不安と孤独の冷たい雫。やがてそれは見て見ぬふりが出来ないほどに、大きな狂いを生じていく……。
 
=====ここまで。
 
 『まぼろし』『さざなみ』ときて、『ともしび』。邦題、ひらがな4文字が続くけど、これってやっぱり意図的だよね?


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 シャーロット・ランプリングが好きなので見たかったのだけど、なかなか都合が付かず行けず仕舞いか、、、と諦めていたところ、ぽっかり時間が出来たので、終映ギリギリに滑り込みで見に行って参りました。『まぼろし』も『さざなみ』もまあまあだったと思うのだけど、これは、、、うぅむ……という感じ。


◆老いるということ。

 ほとんどセリフがないのよね、これ。ほぼずーっと、シャーロット・ランプリング演ずるところのアンナの姿を追っている感じ。だから、彼女の演技がほぼ全ての映画とも言える。

 夫が収監された罪状は分からないけど、まぁ、多分、幼児性犯罪だと思われる。序盤で、外から女に「あんなことして恥ずかしくないのか?」みたいなことを叫ばれていたり、息子には「迷惑だ、帰れ!」と激しい拒絶に遭ったり、動かした洋服ダンスの裏から夫が隠していた写真(何が映っているのかは映画では映らないから分からない)が出て来てそれを見てアンナが愕然としたり、、、という辺りでそれを臭わせる。

 老いて、夫婦ふたりの生活をささやかに楽しもうと思っていたであろう老女が、突然独りぼっちで世間に放り出されてしまった、、、というお話なんだが、正直なところ、見終わった後の気分は悪かった。テーマがテーマだから重くなるのは仕方がないが、どうも悲観的に過ぎる気がして、、、。

 夫がそんな犯罪で刑務所行ったら、息子だけじゃなくて友人などの他人だって冷たくなるだろから、独りぼっちになってしまうのは、まあ道理だと思う。しかし、飼っていた犬にまでそっぽを向かれるのは、何だかあんまりな気がする。犬ってどこまでも裏切らない生き物だと思うけどなぁ、経験上。序盤のシーンで、アンナが食事の支度をしている側で彼女を見上げていた姿は、決して懐いていない感じではなかったと思うんだけど。ダンナにより懐いていたとしたって、あれはないだろう。

 まぁ、犬のことを抜きにしても、何かこう、、、ただただ現実に押しつぶされていく老女の様を描いているのがなぁ。アンナはずっと受け身なんだよね。唯一、自ら動いた、孫の誕生会に出向いたというシーンも、息子にあそこまで拒絶されるという結果になるし。その後、駅のトイレの個室で号泣するアンナが気の毒すぎて見ていられない。

 老いるってそういうことなのかね? そこまで無抵抗になるってこと? そこまで現実は老いに非情なのか? あまりにも老いに対してネガティブすぎる感じがするんだけど。

 息子とは、夫の逮捕以前からそもそも確執があったらしいのだけど、それらを含めて、アンナという一人の女性はこれまでいろいろな現実に向き合ってこなかった、見て見ぬふりをしてきた、自分と向き合ってこなかった、そういう“事なかれ主義”的な生き方の代償がこれなんだよ、みたいなことを、監督は言っている。

 「『ともしび』では献身といった思いに囚われ、不安や依存によってがんじがらめになってしまった、現実から目をそらす女性の悲痛な内面を描いています」
 「(この映画の)核心というのは、夫が逮捕されて去ったことでアンナは自分自身と折り合いをつけなければならなくなるということです。(中略)ストーリーの中心が依然として主人公の内面、彼女の当惑、絶望であるということが重要なのです」


 ……確かに、自分と向き合うことをしようとしない人間は、どこかでしっぺ返しを喰らうとは思う。しかし、私は、アンナと息子以上に、親とは断絶しているが、母親がもし手作りケーキを持参で出向いてきたら、いくら私でも、あの息子みたいに追い返すことはしない(できない)だろうと思う。喜んで招き入れはしないが、少なくとも、家には迎えるだろう。父親が犯罪を犯したこととは別次元の話では? あるいはそこは、息子と娘の違いなのか。もしくは、日本と欧米の文化の違いなのか。

 いずれにしても、とにかく、この監督の言っていることは分かるのだけど、描き方は好きじゃない。

 
◆71歳のシャーロット・ランプリング

 衝撃的だったのは、思った以上にシャーロット・ランプリングが年老いていたこと。『さざなみ』(2015)は本作の2年前の作品だけど、グッと老いた感じがしたのは私だけ?

 アンナが着替えるシーンが頻繁に出て来て、その度に、彼女の下着姿が晒される。プールで泳いだ後にシャワーを浴びるシーンでは、全裸になっている。あそこまで露出する必要性があったのだろうか、、、? 私的には、ちょっと過剰な気がしたのだけど。あんなに脱ぎまくらなくても、十分、彼女が老いたことは伝わっているのに。

 終盤、海岸に打ち上げられたクジラを見に行くシーンが何というか、非常に哀しい。ただ死んだクジラを見に行くだけなんだが、それを見ているアンナの姿が痛々し過ぎる。

 あと、ラストシーンも怖い。ずんずんとヒールの音だけを響かせて地下鉄の階段を降りていくアンナの後ろ姿を映しているんだけど、私は、あのままアンナが、、、と思ってドキドキしながら見ていた。心配した展開にはならず、呆気ないエンドマークで、思いっきりどよよ~んとなる幕切れだったけど。

 シャーロット・ランプリングも撮影時71歳。『さざなみ』までは本当に美しいと思っていたが、本作では、哀しいかな美しく見えなかった。やはり、あまりにも受け身過ぎる役ってのは、彼女の魅力をも曇らせているのではなかろうか。それが本作を見て一番残念に思ったことかも知れない。









演技のレッスンシーンが面白い。




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