映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

さざなみ(2015年)

2016-11-24 | 【さ】



 結婚45周年のパーティーを土曜日に控えた週の月曜日、夫ジェフ(トム・コートネイ)に手紙が届き、何かいつもと違う様子で妻ケイト(シャーロット・ランプリング)に言う。「彼女が見つかったらしい、遺体だけどね。僕のカチャの……」

 カチャとは、ジェフの元カノ。一緒に山登りをしたが事故でクレバスに落ちたのか、救出できないままジェフだけ帰ったということらしい。2人は、外面上は夫婦ということにしていたため、遺体が見つかった連絡が“元夫”のジェフの下に届いたわけだ。しかも、カチャの遺体は亡くなった若い時の姿のままのようである。

 ケイトは、カチャの存在は知ってはいたが、夫の「僕のカチャ」の言葉に思いの外、衝撃を受けていた。次第にざわつくケイトの心。夫が屋根裏に隠していたカチャと思しきスライドを発見し、こっそり見てしまう。どうやら、カチャは妊娠していたようである。ジェフの子なのか……。

 パーティー前日、ケイトはジェフに「ぶちまけたいけど抑えてるのよ!」とブチ切れるが、どうにか、パーティー当日を迎え、2人そろって会場へ。笑顔を浮かべて招待客と談笑するケイト。スピーチ中に感極まって「私の人生の最良の選択は君だった」と言って泣き出すジェフ。ケイトの心はふたたび波立つ。そして、、、。
 

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 シャーロット・ランプリングさまが、とてもとても好きなので、本作は劇場に見に行きたかったのですが行きそびれ、、、。ようやくDVDで見ました。


◆ケイトにとってジェフは初恋の人なのか?

 ケイトという女性は、結婚する前に夫以外の男性を愛したことがないのですかね? 今は年金暮らし(?)の様子ですが、若い頃は教師だったみたいで、まあ、きっとお堅い真面目な女性だったのだろうとは推測できますが、、、、。

 自分だったらどうかなー、と考えてしまいました。仮に、ウチの人の所に、その昔結婚を考えていた女性(仮に名前をハナコとかにしておきます)のその当時のまんまの冷凍保存遺体が発見されたと連絡があって、彼が気もそぞろになっている姿を見たら、、、。でもって「オレのハナコ……」とか言っていたら、、、。

 オレのハナコ~~?? ……とは思うね、多分。それは、嫉妬というより唖然とする感じかな。だって、自分と出会う前の話だし、ハナコが死んだから私はウチの人と出会った訳で。正直、私にも彼と出会う前に死ぬほど好きになった男(生きてるけど)がいるので、自分も自分だから彼の醜態を責める気にはなれないかなぁ、、、。

 そう、だから、冒頭書いたように、私は、ケイトの恋愛遍歴が気になったのです。もし、初めて死ぬほど好きになった男がジェフだったら、そりゃ、本作に描かれたような反応になっても仕方がないのかも。


◆愛がなくても子どもはできますが、、、それが何か?

 ケイトは、よせばいいのにジェフに、「カチャが生きていたら彼女と結婚してた?」なーんて聞いちゃう。案の定、大アホなジェフは「そのつもりだった」とバカ正直に答える。ケイトの心はますます波立つ。でもって、さらに、よせばいいのに、夫の私物を漁って、カチャの妊婦姿のスライドを見てしまう、、、。気持ちは分かるけど、自分で自分の傷口広げているのよね、ケイトは。

 子どもがいないことが、さらに衝撃度を増した、という描写。、、、こういうの、キライだなぁ。ケイトの心をよぎったのは「私以外に、ジェフの子を身ごもった女がいるなんて!」なのか、「私は子を産めなかったのに……!」なのか、それ以外なのか、分からないけど、妊婦姿を見せるというシナリオは、なんというか、もの凄く通俗的で安っぽい感じになった気がする。

 ちなみに、自分だったら、かつて死ぬほど好きになった男の子どもを誰かが産んでいても、別にそのこと自体には何も感じないような気がする、、、。むしろ、ウチの人に隠し子がいたと聞いた方が、ビックリはするよなぁ。養育費もろくに払ってなかったのか!! とは思うだろうけど。

 とにかく、“子ども”をケイトの心をさらに波立てる要素にしたのがイヤ。

 すごく、ケイトをステレオタイプな女に貶めた気がするのです。この夫婦にどうして子がいないのかは分からないけど、だから、カチャの妊婦姿に衝撃を受けるだろう、という下種な想像。夫婦の愛がテーマの物語に、子どもという要素が入り込むと、それはゼンゼン別の話になってしまう。夫婦、というか一組の男女のカップルの物語でいいじゃないの。夫婦の物語に子どもは必須アイテムなのか?

 さらに捻くれた見方をすると、原作者も監督も男性だけど、“女だったらこれが決定打になるんじゃね?”という思惑が透けて見えるような気がしちゃう。安易だと感じる。


◆ラストのケイトの行動は、、、

 本作の宣伝文句は「衝撃のラスト!」みたいなのだったので、一体、どんな幕切れなのかと思って見ていたんだけれど、、、、ううむ、そう来たか。

 確かにね、あのジェフのスピーチは、ある意味サイテーです。彼としては、最高の賛辞を妻に送ったつもりなんだろうけど、その前に夫婦間に起きた出来事を考えると「選択」という言葉はあまりに無神経。そこに気が回らない恐るべき鈍感さ。さらに最悪なのは、自分の言葉に陶酔して泣き出すところ。こういうのって、傍から見たら(妻でなくとも)白けるだけなのに。ジェフという人は、自己陶酔型&鈍感な根っからの良い人。だけど、救いようのないバカと言ってもよい。

 そうしてみると、ケイトがラストにあの行動に出たのは分かる気がする。激しく夫に幻滅したのだろうなと。あれを夫への怒り=愛情の裏返し、と解したレビューなども目にしたが、私は“大いなる幻滅”による行動だと思った。そうであるなら、ケイトに非常に共感します。夫への幻滅と共に、自分への怒りかもね。こんな程度の男に私の人生捧げてしまったのか、みたいな。それなら分かるわ~。

 何十年も大過なく夫婦をやって来た者同士なら、破れ鍋に綴蓋で、自分もその程度ってこと。だからこそ、ケイトは自分に苛立ったのかもしれないけれど、それは自分で受け止めなきゃね。自分の人生には自分しか責任はとれないのだから。

 あのパーティーの後、2人はどうなるのか。

 もし、大いなる幻滅によって、ケイトがあのラストの行動に出たのだとしたら、恐らく2人は離婚でしょう。私がケイトなら、もう一緒にいるのもイヤだと思うので。

 でも、夫への怒りが原因だとしたら、、、。離婚も出来ず、2人の余生はずーっと修羅場かも。どこかでケイトが諦めるまで。それも疲れるしイヤだなぁ。


◆ランプリングさまの麗しきお姿に溜息。

 とまあ、さんざん難癖をつけてしまったけれど、我が敬愛するランプリングさまは、もう、それはそれは神々しいほどの存在感&演技でございまして、そういう面では十分堪能させていただきました。

 本作の良い所は、独白とか、回想シーンとかでケイトの心情を説明するシーンが一切ないこと。全て、ランプリングさまの演技だけで見せている。それは、彼女の表現力が豊かだから可能だったわけで、演出過多でないところは素晴らしいと思います。

 あと、ランプリングさまの美しさですねぇ。御年70歳で、もちろん経年変化はしているけれど、どうすればあんなふうに美しく年齢を重ねられるのか。決してムダなアンチエイジングなどしていないし、すっぴんに近い顔も晒しているけれど、それもとても美しい。皺もたるみも、ゼンゼン醜くない。内面から滲み出る、、、なんて当たり前すぎるものではない、何かやはり、特別なオーラがあるのでしょう。

 ジーンズ姿のカッコイイこと。パーティーのドレスもシンプルでセンス抜群。ああ、、、ステキ。

 登場人物はほとんど老人ばかりだけれど、秘めたエネルギーを感じる作品であることは確かです。



 




珍しく原題より邦題の方が良い作品。




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