映画 ご(誤)鑑賞日記

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ちいさな独裁者(2017年)

2019-03-24 | 【ち】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 第二次世界大戦末期の1945年4月、敗色濃厚なドイツでは軍規違反を犯す兵士が増えていた。

 命からがら部隊を脱走したヘロルト(マックス・フーバッヒャー)は、道端に打ち捨てられた車両のなかで大尉の軍服を発見する。それを着てナチス将校に成りすますと、ヒトラー総統からの命令と称する架空の任務をでっちあげるなど言葉巧みに、道中で出会った兵士たちを次々と服従させていく。

 “ヘロルド親衛隊”のリーダーとなり強大な権力に酔いしれる彼は、傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついには大量殺戮へと暴走を始めるが……。
 
=====ここまで。
 

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 どうやら、日本公開版はカラーだったようですが、私が見たのはドイツ公開版のモノクロでした。予告編はカラーですね。私が見に行ったのは、1週間限定のモノクロ上映期間中だったみたい。そうとは知らなかったけど、なかなか面白かったです。こんなことが実際あったなんて、唖然、、、。


◆制服脱げばタダの人。

 制服の持つ力は、思いのほか怖ろしい。本作のストーリーの前提は、この“制服の威力”にある。

 制服って独特の魅力があると思う。個人的に制服にまつわる思い出と言えば、高校進学の際、その学校の制服にちょっと憧れていたので、実際に着ることが出来たときは嬉しかったなぁ、、、くらいのささやかなもの。そんな具合に、自分自身は制服には高校卒業後まるで縁のない生活をしてきたが、身近なところで制服の威圧感を覚えると言えば、そらなんつったって「警察官」の制服でしょう。あれこそ、日常的に目にする“権力”の象徴だ。

 つまり、着ている“人”がどんな人であれ、着ている“モノ”がモノを言う、それが制服。

 ヘロルトも一兵卒でありながら、大尉の制服を着ただけで、周囲が一変してしてしまう。制服の怖ろしいところは、それを着ることで、周囲だけでなく、自分自身もその制服を着る人間になったような錯覚に陥ることではないか。ヘロルトも、何やらしぐさや佇まいがちょっと偉い人っぽくなるのである。脱走兵だったときは背を丸めてこそこそちまちま動いていたのに、大尉の制服を着た後は胸を張って堂々とした動きになるのだ。しゃべり方まで偉そうになる。この変貌ぶりがかなりリアルで気味悪い。

 とはいえ、制服に騙されない人もいる。大尉の制服のズボン丈がヘロルトの脚より長いことを見逃さず、ヘロルトがニセ将校だと見抜きながらも、敢えて自分の身を守るために行動を共にする輩もいるのだ。というのも、脱走が横行していたこの頃、単独で行動していると脱走兵とみなされるリスクが高く、皆、脱走兵でなくとも兵士たちは必ず複数で行動したがったという。また、脱走兵が複数で行動していても、ただの雑魚兵の塊よりは、上官がいる塊の方が脱走兵に見えなくて良かったということだろう。それで、ヘロルトがニセ将校と分かっても、こいつと同じ塊にいた方が安全だという判断が働いたということらしい。いずれにしても、“制服の威力”を利用しているということに違いはない。

 ヘロルトは実に巧みにウソをついて、身元がバレそうになる危機をいくつも回避するのだけど、このウソの巧さは天性のものかも。制服を着たからウソも巧くなるってもんじゃないだろうし。見ている方は、いつバレるかと冷や冷やもの。特に、ヘロルトが脱走したとき追い掛けてきていたのがアレクサンダー・フェーリング演ずる将校ユンカーなんだけど、このユンカーと、ニセ大尉ヘロルトが顔を合わせ、同じ車に乗り合わせるシーンがある。ユンカーがヘロルトの顔をマジマジと見て「前にどこかで会ったな」と言うところなどは緊迫感MAX。ヘロルトはしどろもどろになることなく適当に答えてその場をしのぎ、結局ユンカーはヘロルトが誰だったか思い出さずに去って行くのだけど。

 調子づいたヘロルトは、遂に、同志であるドイツ兵を大量に虐殺した後、ベルリンに戻ってやりたい放題しているところを見つかって捕えられる。

 本作はナチ映画だけど、ナチス内部での虐殺を描いているところが、他のナチ映画と異なる。というか、こういう題材のナチ映画って、あまりお目に掛かったことがないような。ドイツ軍内部でも様々に対立があったのは知られているし、ヒトラー暗殺の企ても多かったと聞いているから、内部抗争はイロイロあったと想像するけど、ここまでエグい虐殺があったというのも正直ショッキングだった。

 実在したヘロルトについては、本作の公式HPに結構詳しく説明がされているし、wikiにも載っているので、ご興味のある方はそちらを読まれることをオススメします。


◆人間だもの。

 この映画でおかしいのは、ヘロルトが制服以外に何ら身分を証明できるものを示さない(示せない)のに、(前述した一部の者を除き)誰もがヘロルトが大尉であると信じ込んでしまうことだ。ヘロルトがあまりに堂々としていることや、簡単にヒトラーの名を口にすることで、よほど偉い将校だと相手に思い込ませてしまう。

 これって、今、社会問題になっているオレオレ詐欺と、人間心理としては同じなのかなという気がした。人間は、どうしても合理的にモノを考えようとする生き物だと思うから、Aという事象とBという事象が、冷静に考えればつながるはずがなくても、特異な場面に置かれているときは脳内でムリヤリAとBを結びつける合理的な理由を探して自分を納得させる、ということをしているのだと思う。だからこそ、詐欺は古今東西横行し、永久不滅な犯罪なのではないか。騙す方が巧いのもあるかも知れないが、人間の心理の働きが、そもそも“騙されやすい”ように出来ているのではないか。

 ヒトラーが独裁者になれたのだって、結局、詐欺みたいなもんで、みんな脳内で都合良く物事を解釈しているうちに、現実がおかしな方向へ行っていた、、、ということだと思うのだよね。詐欺の被害者のほとんどは「自分だけは騙されないと思っていた」と言うそうだが、つまりはそういうことだ。自分は騙されやすいのだ、と思っていた方が良いということ。“人を見たら泥棒と思え”とは世知辛いかも知れないが、それくらい“とりあえず疑え”というのは大事なことかも知れぬ。

 もっと厄介なのは、おかしいと思いながらも、敢えてそれに乗っかることで身の安全を図ろうとする者もいるってこと。本作でも、ヘロルトの気の狂った虐殺行為に、安易に加担してしまう者たちが大勢いる。戦時下だから、、、ってのとはちょっと違うような気がする。これは、イジメの構造と同じだろう。自分もイジメる側にいないとイジメられるから、、、ってやつ。ヤるかヤられるか、の場面で、どれだけ正義に基づいた行動ができるのか。

 騙されやすく、流されやすい、、、。それが人間の本質なのだ。本作が描いているのは、そういうことだと思う。

 “ヘロルトは特異な人間”と安易に断じるのは、その時点で既に、騙されているのかも。脳内で都合良く解釈して納得している、、、のだから。

 







途中からかなりエグい描写の連続です。




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