映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

グレート・ビューティー 追憶のローマ(2013年)

2015-09-09 | 【く】



 若い頃に一発当てた小説の印税だけで喰ってる65歳のジェップ・ガンバルデッラ(トニ・セルヴィッロ)の自己陶酔映画。

 フェリーニへのオマージュだってさ。

 
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 ストーリーなんてほとんどないので、紹介文の書き様がなく、こんな投げやりなものになってしまいました。あいすみません。

 しかしなぁ、評判が良かったので見てみたんだけど、こういうの私、嫌いだわ~。芸術的価値とか、そんなん知らん。映画として面白いか、という視点で見れば、ところどころ、シニカルで面白いけど、あとは美しいローマの景色とかを楽しむこともできるけど、だから何だ、という感じ。

 『甘い生活』へのオマージュだとか聞いたけど、内容的にはまんま『8 1/2』だと思いましたが、、、。

 フェリーニの作品は、数作品しか見たことないのでとやかく言う気はないけど、正直、良さがあんまし分かりません。『道』はまあまあ、、、という程度。そういう人間は、本作に対して共感できる素地がもともとないんだね、多分。

 同じ「人生に黄昏ている爺が過去を振り返って陶酔する映画」でも、、、あっちは、マストロヤンニだぞ、歳喰ってもセクシーでイケメンだったから眼福だけで見れたけど、こっちはダメだって。よぼよぼの爺の画を延々見せられても、、、特にあの八の字の眉毛、見ているだけでイラつく。お前が気取って何言ったって、画にならんのよ、マジな話。何でこの役者を使ったのかなぁ。

 時折周囲をぶった切るそのセリフは的確でアイロニーに満ちて面白い。確かに、この爺はただもんじゃないんでしょう。ただの自己陶酔の勘違い親父じゃあないのは分かる。でもなぁ、、、せめて、もうちょっと見ていて気分の良いルックスの爺役者はいなかったんだろうか。でないと、こういう作品はちょっと……。

 でもって、このジェップ、ラストあたりで、過去に自分が振った女を思い出して泣いてるんだけど、もう、こういうところが、サイコーにイヤだね。この涙は、ただの自己憐憫ってヤツです。彼が何と言おうが、自己憐憫。自分の涙が美味しくて仕方がないのね。男のこういう描写って時々映画や小説なんかで出くわすけど、こういうのがカッコ良いとか、思ってるんですかね、世の殿方は。

 男って、過去の女がずーっと自分に特別な思いを抱いて生きていてくれていると思っている人が少なくない気がするけど、すごい幸せな思考回路だよねぇ。どーしてそんな風に思えるんだろうか。単なるロマンチストならまだカワイイけど、自分を買いかぶり過ぎの御目出度いオヤジなだけな気が、、、。

 それはともかく。なんかさ~、こういう有閑オヤジが無為な日々を送りつつ、世間を斜に見て、いくら鋭いツッコミ入れてても、まあ、正直言わせてもらうと「バカじゃね?」としか思えないんです、私。空回りだろうが頓珍漢だろうが、日々をカッコ悪く足掻きながら生きている人の方がよほど愛すべき人々だわ。こんなオヤジが愛するローマの街まで美しいだけで中身空っぽの上っ面の街に見えちゃう。

 何でこれがアカデミーの外国語映画賞なんでせうか? 別にいいけど、、、。他によっぽど良い作品がなかったんだろうか。と思って調べたら『偽りなき者』が同時ノミネート作品だった、、、。なぜに本作が受賞? ますますナゾ。

 本作が好きな方には申し訳ないくらい悪口ばっかし書いちゃいました。悪しからず。






爺ぃ映画が続いたので、しばらくはもうイイわ。




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グレートレース(1965年)

2015-01-10 | 【く】



 ニューヨーク~パリ間、決死のレースに挑むレスリーとフェイト教授。パリにゴールするまでのナンセンスドタバタコメディ。 

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 この作品、ある「コロンボ解説本」を読んでいて、その存在を知りました。ジャック・レモン扮するフェイト教授の助手として、ピーター・フォークが出演しているのですが、そのことが本の中でチラッと触れられていました。

 しかも、「今はビデオでもなかなか見られない」みたいなことが書いてあり、見られないと言われると見たくなるのが人情。BSでオンエアしていたので録画した次第です。

 さて、まあ、面白くないとは言いませんが、なんかねぇ、、、。オープニングの序曲とか、インターミッションとか、見ていて楽しいけど長くて飽きるし。ドタバタもやり過ぎるとちょっとウンザリしてきます。

 また、ナタリー・ウッドが扮する女性記者マギーが、取材と称してレースに同行するんですが、ただのトラブルメーカーでしかなく、おまけに、甲高い声で終始絶叫しているので、それもちょっと、、、。

 ヒーローのレスリー(トニー・カーティス)VS 悪役フェイト教授、という分かりやすい対立構造だけれど、レスリーの魅力がイマイチ分かりません。そもそもレースの車だって、レスリーのは高級メーカーに作らせた車で、フェイト教授のは助手と一緒に自分たちで作った車です。本作の主軸をなしているフェイト教授の起こす問題は、彼の助手の有能さがあってこそで、助手が発明したり開発したりした技術を基にしているのです。どう見たって、フェイト教授と助手の方が魅力があるし面白い。

 まあ、悪役に魅力がないと、作品自体成り立たないのですけれどね。逆にいえば、レスリーに魅力がなさ過ぎるんですが。見た目もそれほど、、、。

 あのパイ投げのシーンは、正直、閉口しました、汚すぎて、、、。あそこまでやる必要あるんですかね。

 コメディって、難しいですよね。相当、質が良くないと作品としての良さが出ないし。笑いのセンスの違いもあるし。

 強いて良かったところを上げると、衣装や美術ですかね。あと、音楽。ラスト近くで、ナタリー・ウッドが歌うシーンはなかなか素敵でした。歌詞の字幕もカワイイ。

 ってことで、見てしまえばなんてことなかった作品でした。あ、若いピーター・フォークは非常にイイ味を出していました。彼はコメディアンとしてもなかなかですね。このあと、コロンボでブレイクするわけですが・・・。


ドタバタ過ぎて着いて行けない




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クヒオ大佐(2009年)

2014-11-19 | 【く】



 ジョナサン・エリザベス・クヒオ。すごい頭の悪そうな偽名・・・。でも、騙されるときは騙される。実際にあった話なんだから。

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 実在のクヒオに関するニュースは、リアルタイムで記憶にありまして、映画化された時も、若干興味を抱いたのですが、どうもわざわざ劇場まで行く気になれず、1年くらい前にBS放送分を録画したのを、ようやく見た次第。

 よく、詐欺に遭った被害者に対し、「何でこんなヤツに騙されるのさ」と言う人がいます。例えば、オレオレ詐欺で大金をむしり取られた老親に、何で確かめもせずに金を振り込んだんだ!と怒る息子や娘とか・・・。まあ、怒りたくなる気持ちは分かるのですが、騙されるって、そういうもんじゃないでしょうか。

 幸い、私自身は、今のところ金銭面で騙されたことはなく(騙されるほど持っていないからですが)、それ以外の面でも、詐欺みたいな話に遭ったことはないのですが、男にまんまと二股掛けられていた(らしい)ということはありました。というのも、その男の身の上に大変なことが起き、それで知りたくもないのに、「私が本命」と名乗る女から電話がかかってきて判明した次第でして・・・。もう20年も前の話ですが。今もってコトの真相は謎のまま・・・。何しろ、当の男は(生きてはいますが)別人格になってしまい、確かめようもないのでした、、、ごーん。

 はい、ここで、大抵の方は「真相は謎のままじゃなくて、二股掛けられてたんだよ、認めろって」と思われるでしょう。そーなのです、「謎」と書いてしまう私は、まさに典型的な騙され人、、、なんだろうなぁ。騙される人って、こういう心理なんだと思うわけです。

 ちなみに、私は、ぜーんぜん、二股なんぞ疑ったことがありませんでした。それは、男が完璧に立ち回ったから、というよりは、私が疑うことを全く知らなかったから、という方が大きいでしょう。

 本作での、しのぶさんや春さんも、そうでしょうね。傍から見れば、笑っちゃうくらいのバレバレなのに。本人は至って自然に信じているのです、ジョナサン・エリザベス・クヒオを。大体、クヒオはそれほど頭の良い詐欺師じゃありません。むしろ、馬鹿と言っても良いでしょう。実際、本作での彼が手にした金は大した額じゃありません。

 なのに、真っ当に生きているしのぶさんも春さんもコロッと騙されているのです。真っ当に生きているから、かな。

 それは、オレオレ詐欺とは違って、色恋が絡むからだ、という見方もあるでしょうが、オレオレ詐欺だって、子を思う親の情、あるいは金銭欲といった、人間の本質的な欲求を刺激していることには変わりありません。

 本作では、クヒオを堺雅人という(私はあんまし好みじゃないけれど)イケメンが演じているため、こういう顔形の男だから成立する話かと思えば、実際のクヒオは、イケメンとは程遠いおじさんです。でも、騙された、、、。

 案外、人間、簡単に騙せちゃうものなのかも知れません。しかし、そうと分かっても、「誰かを騙してやろう」というその心理は分かりません。クヒオも、騙してやろう、と思っていたわけじゃないように見えました。しのぶさんのことも、春さんのことも、クヒオの正体を見破っていたホステスさんも、クヒオは女性として惹かれるものがあったので近づいたのではないでしょうか。でもって、彼は金に困っていた、だから、彼女たちに出してもらおう、みたいな短絡的な発想だったとしか思えません。でないと、あんな突飛な行動、却ってとれないと思うのです。

 しかし、騙されたと分かった後の、しのぶさんと春さんの行動は正反対でしたねぇ。受け入れたしのぶさん、受け入れられなかった春さん。どっちの気持ちも分かるような。そしてどっちも、クヒオのことがまだ好きなんです。

 本作でのクヒオを詐欺師、というのは、ちょっと違う気がしますね。頭のねじが1本くらい外れた、貧乏なアーミーマニアのおっさんです。

 騙される女しのぶを、松雪泰子さんが実に巧みに演じておられました。また、クヒオの正体を一瞬で見抜くしのぶの弟を新井浩文さんが好演していて、これが一番可笑しかったかも。後は、全編、哀しい雰囲気漂う作品でした。

 映画としては、若干散漫な印象があったので、★は少なめです。


好きな男or女に金の話をされたら、迷わず逃げましょう。




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クッキー・フォーチュン(1999年)

2014-07-22 | 【く】

★★★★★★☆☆☆☆

 惚れてしまったアルトマンの作品を全部見ようと思い、何も考えずに本作から。まだ見ていないの、一杯あるのよね・・・。

 はてさて、、、、えーっと、これ、すごいフツーじゃないですか。いや、アルトマンにしては、という意味ですけど。なんというか、ストレート過ぎて面喰いました。、、、まぁ、クリスチャンならではのストーリー展開なのではあるけれど、あんまり宗教色が全開というわけでもないので、無宗教の私でも十分着いて行けます。

 グレン・クローズは、お約束な役回りです。彼女はやっぱり巧いですね。こういうイッちゃってる人を演じさせると、この人は魅力全開。でもって、彼女のちょっとオツムの弱そうな妹役であるジュリアン・ムーアなんですが、これが、何でこういう姉妹の関係なのかがイマイチよく分からないんだけど、それはまぁ、話の筋にはあまり関係ないのよね。あんな姉だからこんな妹なのか、こんな妹だからあんな姉なのか・・・。

 思うに、そのどちらも、なんでしょうなぁ。こんな姉でこんな妹だから、あんな妹であんな姉になったんだよ、というところじゃないかしらん。序盤に自殺してしまうクッキーは彼女らの叔母さんなのだけれど、肝心の彼女らの母親が本作では一切語られていないのよね(それとも見落としたのかな)。それが気になります、とっても。あんなイカレた姉妹、母親との関係が相当ねじくれていなければあり得ないと思っちゃう。恐らくは、父親不在の家庭だったのではないかと。

 この姉妹だけが、本作の中で浮いているのですね。街の人たちは皆、ほのぼのとそれなりに仲が良い様子なのに、この姉妹(特に姉)だけが何やら剣呑なのです。事実、トラブルメーカーですが。案の定、妹には娘がいるんだけれども、この母娘関係もよろしくない、、、どころか、とんでもない秘密が明かされてビックリ。

 とまあ、話をなぞるとそれなりに毒はあるし、話は(珍しく)分かりやすいし、展開も(これまた珍しく)結構速いし、映画としてはとても良い出来だとは思うんですけれども、なんかこう、、、食い足りないっつーか。リヴ・タイラーは可愛かったけれど。

 『M★A★S★H』とか『ゴスフォード・パーク』で見せてくれた、キョーレツな皮肉や意地クソ悪い毒まみれではないので、万人受けはすると思いますが、アルトマンの放つ毒気にヤラレた(もちろんイイ意味で)輩にはヒジョーに物足りないのではないでしょうか。しかも、ラストは、人情系の結構ハッピーエンドだし。うーむ、この頃のアルトマンは一体、どういう状況にいたのでしょうか。その辺りも影響あるのかも、、、知らないけど。調べてみる価値ありそう。

 というわけで、アルトマンにしてはとっつきやすい作品なので、初めて見るのにはむしろオススメかも知れません。いや、これを初めて見ていたら、私はアルトマンにこんなに惹かれなかったと思うから、オススメじゃないかも。
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グランド・ブダペスト・ホテル(2014年)

2014-07-04 | 【く】

★★★★★☆☆☆☆☆

 レディースデイだったからか、劇場は満席完売。世間の評判も結構高い。、、、だけれども、私はダメだった、これ。何かの映画を見に行ったときに、予告編を見て、レイフ・ファインズが主演っていうだけで、これは見たい!と思っていたんですけどねぇ。

 ウェス・アンダーソン監督の作品は、これが初めてで、どういう作風かなんて全然知らずに見たわけだけれども、なんつーか、もう、最初からずっと「置いてけぼり状態」なわけですよ、ホントに。しかも、ずーーーっと同じ語り口調で話が進み、飽きるというか、ダレるというか。睡魔に付け入るすきを与えそうになること三度。うー、こりゃ辛い。終盤、ホテルで銃撃戦辺りからようやく面白くなってきたゾ、と思い始めたら、ハイおしまい、ってな感じでした。

 そして、この置いてけぼり感は、見終わった後、パンフを見て合点がいきました。なんと、本作の制作にあたり、監督はあの『生きるべきか死ぬべきか』を参考にした、というのです。あー、すごい納得。そーいえば、あのあまり意味があると思えない繰り返されるドタバタとか、同じテンションの話の運びとか、まあ似ているわ、確かに。そして、世間の評に反して、ものすごくつまんないとこも。

 ただ、映像や美術は素晴らしく美しいし可愛いし、見どころだらけです。スクリーンで見る価値ありますね、これは。でも、それだけでした、私には。

 この作り物っぽさは決して嫌いじゃないのです。何がダメかって、恐らく、笑いのセンスが根本的に「合わない」んです。ところどころ笑えるんですよ、確かに、クスッとね。でも、それは話の流れにのった面白さから笑えるのではなく、そこだけ切り取った笑いなんです。一瞬、一瞬のブツ切り的な笑いがところどころにあったって、全体が面白いとは思えないのですね。

 ナチと東欧諸国を思わせる設定ですので、ラストに向けてはそれなりに重みを感じはしますが、正直、「またナチか(辟易)」というのも偽らざる気持ちです。いつまでナチネタやるんでしょうか、人類は。今、世界の脅威はナチ(=独裁)より、テロだと思いますけれども。もちろん、独裁による人権蹂躙はいつでもどこでも起こり得ますので、テーマとして普遍であることは分かります。かといって、テロ映画も、もうゲップが出そうなほどありますしねぇ・・・。

 溢れる作品群の中で輝きを放つには、本作は、いささか「お行儀が良すぎる」気がしました。お上品すぎるというか。殺しやセックスも出てきますが、なんつーかこう、単なる童話の中の一節でスルーしちゃう感じ。下劣にならない下品さって大事でしょ。なんか、本作は、言ってみれば「箱庭映画」っていう感じ。キレイにこぢんまり、監督の頭の中の通りにできちゃった、みたいな。物を作るって、作っている途中で構想していた以上のモノが出てくるのがその面白さだと思うんだけど、本作は、最初から最後まで想定内、って感じで。

 レイフ・ファインズは、結構、コメディを楽しそうに演じており、久しぶりに生気のある俳優レイフ・ファインズをスクリーンで拝めたのは収穫です。このところ、かなり色褪せていたように思うので。

 ま、期待値が高かった分、ガッカリ度も高くなってしまったという、典型的なパターンでございました。
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グランドピアノ 狙われた黒鍵(2013年)

2014-03-28 | 【く】

★★★☆☆☆☆☆☆☆

 今年1月のN響の定演で、モーツァルトのピアノ協奏曲20番が演奏されたのだけれど、何と、これが本番中に「止まった」んである! これまで何度も演奏会には足を運んだけれども、演奏が「止まった」その瞬間に立ち会ったのは、まさに初体験であった。ソリストは、ブッフビンダーで、まあ、巨匠といって良い名手なのに、である!! 変拍子の嵐みたいな近現代曲ではなく、モーツァルトなのに、である!!!

(ちなみに、指揮はファビオ・ルイージでありました。止まった経緯は、1楽章のカデンツァに向かって突如ソリストが走ってしまい、半拍ほどオケとピアノがずれたようで、指揮者は必死でリカバリーしようとしておりましたが、収拾がつかなくなったと判断したのか、おそらく「コンマスが止めた」様に見えました。真相は分かりません。でもって、止まった後、指揮者が小節番号を一言指示し、極めて整然と演奏は再開され、この間わずかに、2~4秒ほどの出来事でございました。あまりの鮮やかなリカバリーぶりにむしろ感動しました、、、。当たり前だけど、さすが、プロ。嘆息)

 さて、本作である。アイディアは良いと思う。本番中、超難曲の演奏中1音でもミスったら射殺すると脅迫されるという・・・。が、しかし、イライジャ・ウッド演じるところの主人公トムは、本番中に楽屋へ戻るわ、ケータイでメールを送るわ、と「えええーっ!?」な描写が続く。こ、これは、ちょっとどーなの?

 でもまぁ、そこは映画なので百歩譲って目を瞑ったとしても、やっぱり、もうちょっと脚本段階で考えてほしかったのは、トムが楽譜に書かれた脅迫文に従い楽屋に戻り、トムの荷物に入れられたイヤホンを耳にはめ、ステージに戻って、そこから聞こえる脅迫者の声と「ピアノを弾きながら」対話してしまうという展開。演奏しながら、脅迫者と対話するのは、おそらく不可能。そんな無茶苦茶な展開にしなくても、本番中に恐怖のどん底にソリストを陥れる方法はあったと思うのだよ。本作中でもあったように、レーザーを手や鍵盤に当てるという、あれをもっと上手く使えば可能だったんではないかなぁ。

 プログラムには、こういう「ありえなさ」は、現在のクラシック界に対する批判でもある、というような解説を書いている人がいたけれど、それはちょっと違うだろうと思う。多分、この脚本家も監督も、ただただ「本番中に1音でもミスったら射殺するという脅迫に晒されたピアニスト」という設定と画的なセンスを追求しただけだと思う。そういう作りだよ、これは。だから、確かに、映像は、面白いものが結構あったもの。オープニングなんか、ちょっと期待させられちゃったよ。

 ・・・とまぁ、正直、宣伝文句につられて見に行って、かなり拍子抜けさせられた作品であった。そもそも、重要なファクターのはずの恩師パトリック・ゴーダルーとトムとの関係がイマイチよく分からないのは脚本の作りが雑というほかない。トドメは、何で、脅迫者がこんなことしたのかっていう理由が、ただの「金目当て」。ううむ。通俗すぎる。思わせぶりなラストも、もはや、笑うしかないじゃないのさ。こんなメンドクサイことしなくても、金を手に入れる方法はあったでしょ、と言いたくなる。ベーゼンドルファーが泣くよ、これじゃ。

 この脚本家と監督には、音楽をナメるな、と言ってやりたい。そんなゲームみたいな感覚でできる所業じゃないんだゼ、音楽は。

 ま、映像の面白さと、あと、オリジナルであろう音楽は、それこそチープで通俗そのものだったけど、劇場の素晴らしい音響効果で圧倒的だったので、そこに★プラス1個ということで。
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空中庭園(2005年)

2014-03-18 | 【く】

★★★★☆☆☆☆☆☆

 原作既読。本作は、あらゆるものを「壊した」映画では。脚本の大敗北作品。

 ヘタに原作を読んでしまっているからそう思うのかも知れないけれども、これはヒドイ。人物描写が、もの凄く雑だと感じてしまった。小泉今日子演じる絵里子の設定を微妙に変えているのだが、これが大間違いだったと思われる。

 この映画は、原作の前半だけをかいつまんでなぞり、後は、下手な脚本で家族崩壊っぽい展開に強引に持って行ってしまった感じだ。原作の一番のキモである部分をバッサリとカットしたせいで、なんだか訳の分からない「主婦が壊れる」だけの映画になってしまった気がする。原作モノって、これだから難しい。もし原作を知らずに本作を見たら、評価が多少は違ったかもしれないのだけれども・・・。

 原作のキモは、「隠しごとをしない」がモットーの家族それぞれが、実は隠し事を一杯持っていて、それぞれの隠し事が微妙につながっているミステリーとその底知れぬ恐ろしさにあると思うのだが、本作は、ただいろんな隠し事が露見するだけで、それがどういうつながりを持っていたかがまったく描かれていないので、ミステリーになっていないのである。だから当然「ああ、みんなコソコソやってたのね、なによ、もう壊れてやる!」みたいな絵里子の描写が、とても薄っぺらで、彼女の本当の葛藤が分からない。母親に「死ねば」「死ねよ」と乱暴な言葉を吐くのだが、それが非常に唐突な感じがするのである。しかも、バカ正直に家族や絵里子が「壊れる」ことを描いており、とっくに壊れているのにこの期に及んでまだ壊れていないふりをし続ける家族、といううすら寒い原作の持ち味をものの見事に、それこそ「壊した」作品である。

 原作と映画は別物。だから、映画として独立して自由に作っていいのはもちろんだが、だったら、映画の作品としてきちんとキモを作るべきでしょう。本作は、原作とは違う独自色を狙ったのか(どうか知らんが)、人物設定を壊し、ストーリーも壊し、話の核も壊し、絵里子を壊し、絵里子の家族も文字通り壊し、極めつけに映画作品としての価値も大いに壊した、壊しまくりの作品だと思う。狙い過ぎて、本来の趣旨を忘れてしまったのね、と言いたくなる。

 役者さんは、皆さんそれぞれ頑張っていたので、一応、★2個プラスです。

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