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「魯敏遜漂行記略」を読む 2

「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その1

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

かく言われてのち、魯敏遜、扶児(ヒュルヽ)(英吉利国の地名)という
所に、しばし在りて、そこにある朋友(ともだち)
出会いけり。そは唯今、魯敏遜が父の船にて、蘭噸(ロンドン)(英吉利国
都府の名)に行かんとする者なり。その人、魯敏遜に路(みち)のほどの賄い
は我が為(せ)んほどに、共に旅立ちせよなど勧め、言いけり。
魯敏遜がためには、いと嬉しき便りなりければ、直(ただち)に志を
(さだ)め、父の諌(いさ)めも考えず、母の歎きも思わずして、
千六百五十一年(我、慶安四年)の九月一日、蘭噸さして旅立ちけり。
(つづく)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 1


「魯敏遜漂行記略」表紙

「魯敏遜漂行記略」の解読を始める。

魯敏遜(ロビンソン)屈律西(クリュスー)は、(ヨルク)(英吉利国の地名)の貴族(よしある家筋)なり。この人、歳若き
※ 育(ヨルク)➜ ヨーク。イングランド北部ノース・ヨークシャーのシティ。
ほどより、遠く旅行(たびありき)せんの企だてありけり。父、この事を知り
て、側近く呼びて、(いまし)、この国を離れて遠く旅行せんと
※ 汝(いまし)➜ 二人称の人代名詞。親しみの気持ちで相手をさす。そなた。なんじ。おまえ。
思うさま見ゆ。旅は憂きものぞかし。さる辛苦(くるしみ)に身を
うち任せて、歩(あり)かんこと、いと痛(いた)まし。汝(いまし)の才能、我が家
に留まり居るとも、必ずあるべき様に、身は立てつ
物ぞ、なぞ、諌(いさ)こしらへけり。
※ 拵う(こしらう)➜ なだめる。とりなす。
(つづく)

読書:「福来 照れ降れ長屋風聞帖 13」 坂岡真 著
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地元の古文書を求めて、島田博物館に行く

島田博物館
ここを訪れるのも随分久しぶりである

先日お願いしてあった、島田博物館で保管する古文書の写真を撮らせて頂くために、午後、島田博物館に行く。もちろん、金谷宿大学の「古文書に親しむ」講座のテキストのためだ。2時間かけて、148枚の写真を撮った。女性の係員が立ち会って、手伝っていただいた。大変お世話になりました。

これからテキストにするまで、画像加工など、作業が大変であるが、地元の古文書だから、受講者には興味を以ってもらえると思う。

次にこのブログで読む古文書は、「魯敏遜漂行紀」である。安政のころに、日本語に翻訳されて、出版されたものだという。序文は漢文と和文で、解読に時間が掛かりそうで、ここではいきなり本文に入ることにする。明日から少しずつ解読文を載せて行く。

読書:「紙風船 新秋山久蔵御用控 9」 藤井邦夫 著
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「孝子松女傳」を読む 15


裏の畑のボタンクサギ
枯れたアボガドの木に、キノコがたくさん出ている
キノコの名は不明

「孝子松女傳」の解読を続ける。

満川(まつ)が涙にのみ咽(むせ)びて、
気も有らざりしかば、片方(かたえ)のものども、
※ 片方(かたえ)➜ かたわら。そば。はた。
とかく引き助けて、物したる有
様、官府にて見聞く人々も、ともに
袖を潤(うるお)せり。なお/\に、学文者
※ 学文者(がくもんしゃ)➜ 学問のできる者。学者。
などいうものも、心恥ずかしき事
になん。されば時過ぎて、かくる事の
さま、知りたる者もまれになり。かく
何んも本意(ほい)なく、かつは己(おの)が子
※ 本意(ほい)➜ 本来の望み。本当の考え。目的。
孫にも伝え聞かせてしかなとて、
かくは物したるになん有りける。
               中山美石(うまし)
※ 中山美石(なかやまうまし)➜江戸時代後期の武士、国学者。三河、吉田藩士。本居大平に歌学を、大田錦城に儒学を学び、文化十四年、藩校時習館の教授となった。
 享和元年辛酉四月
※ 享和元年(きょうわがんねん)➜ 西暦一八〇一年。
(以上で「孝子松女傳」読み終える)
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「孝子松女傳」を読む 14

庭のキンモクセイとセミの脱け殻

昨日は金谷宿大学の2講座を実施する。天正の瀬替えの話に、ついつい脱線してしまった。また、掛塚日誌をみんなに解読して発表してもらおうかと思い、実施したが、評判はどうだろうか。

今日は午前中、牧之原塾、来年度の講座開設申し込みの説明会があった。その帰り、原で渋柿を買ってきた。中位の大きさで19個で300円と格安だった。午後、干し柿に加工した。天気が心配である。

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「孝子松女傳」の解読を続ける。

上件は、少なかれ、幸いに、官府の末に連なり
※ 上件(じょうけん)➜ 今まで述べた事柄。上述。
居りて、詳(つまび)らかに見聞(みきき)し事を得たり。その孝
養の、中にも、繰り貯めたる綿(わた)を以って、
父の寒(さむさ)を防ぎたるなとは、いと珍しく
心利きたる業(わざ)にて、我れに含蓄(がんちく)
※ 含蓄(がんちく)➜ 内に含み持っていること。
り。また以って、まことに御徳といえる。侍(さむらい)の意(こころ)
も通うべく、これには、身を以って席を
(あたた)めつという、先人にも前古事を捕らうる
べし。これ皆、その誠心(まことごころ)より出れば
なりけり。藤吉が腹立てたる、返りて、か
く顕(あら)わるべき(はし)となりたるなど、神の
※ 端(はし)➜ 物事の起こるはじめ。
助けも著しき様と、「天道は
善に福すという事も、又さらにばかりと思い
※ 天道は善に福す(てんどうはぜんにふくす)➜ 天は善人に対しては幸福をもたらす。(書経「天道は善に福し、淫に禍す」より。)
寄られぬべし。
(つづく)

読書:「鷹の系譜」 堂場瞬一 著
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「孝子松女傳」を読む 13

国1バイパスIC付替工事(右奥消防署、左奥JA)
随分前に計画は聞いていたが、漸く工事が本格化した
工事に掛かって、家の班からも3軒ほど引っ越しした

「孝子松女傳」の解読を続ける。

杣蔵事は老衰とは言いながら、
却って、五、七年以前よりは、健やかに見ゆる
は、全く満川(まつ)が介抱の行き届きし故にやという。
官府の人々も深く感心ありて、早々
※ 官府(かんふ)➜ 官庁。役所。政府の建物。
公の御前に、江戸に申し上げければ、
公にも御感、浅からず。厚く褒美すべきよし、
※ 御感(ぎょかん)➜ 貴人が感心なさること。おほめ。
仰せ出されたり。享和元年、かのとの酉、
四月廿一日に、村方役人同道にて、吉田官
府に召して、褒美しかじかの旨、言い渡し、
その上、御米三俵下し給わりぬ。満津(まつ)
ただ有難さ、言わん方なく、前後
涙にのみむせび、殊に極(ごく)邊土(へんど)寡婦(かふ)が、
※ 邊土(へんど)➜ 都から遠く離れた土地。片田舎。辺地。
※ 寡婦(かふ)➜ 夫と死別又は離別し、再婚していない女性。
初めて官府に出たる事なれば、夢の
心地さえして、恐れ入りたるのみの様なり。
弥右衛門も、年来心を添えて遣わしたる条、奇
特の事なりと、わけて褒誉(ほうよ)あり。組頭、五人
※ 褒誉(ほうよ)➜ ほめること。ほめたたえること。
組合などにも、以来いよ/\心を添えて、遣わすべき
旨、命ぜらる。この杣蔵、年七拾八。満津は
四拾六。多満廿一歳なりと言えり。
(つづく)

読書:「幸福の手紙」 内田康夫 著
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「孝子松女傳」を読む 12

散歩道のルリマツリ

「孝子松女傳」の解読を続ける。

我も早くより彼らが
有り様を察(み)る。甚だ殊勝なり。なおまた、
※ 殊勝(しゅしょう)➜ 心がけがしっかりしていること。けなげなさま。
よく/\心をつくべしとて、それを隣りの
※ 心をつく(こころをつく)➜ 気にする。心に留める。
ものなどにも言い含め、一年ばかりも
(し)るに、ます/\孝心厚ければ、さらば
この趣を言上(ごんじょう)すべしとて、杣蔵、満津(まつ)両人を
※ 言上(ごんじょう)➜ 目上の人に述べること。申し上げること。
召し寄せて、かくと言い聞かすれば、二人
ともに、涙を流し、満川(まつ)が言う。有り難き
仰せには候えども、ただ我が父のいとおしさに、
何となく致したる事にて、もとより
いさゝかも孝行などと申す事を知りての
事には候わず。されば、
御上様、御聞(おぶん)などに入れ候わんは、殊の外に、恐れ
※ 御聞に入れる(ごぶんにいれる)➜ 御耳にいれる。
多く候えば、偏えに御免(ゆる)し下されかしと
云いて、なお、平生事などを、宣(の)べども、かたく
辞して言わざれば、その近隣などにて
見聞に及びたる、大概(たいがい)のみを記して申し出づ。
(つづく)
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「孝子松女傳」を読む 11

散歩道の弥蔵小僧 (やぞうこぞう)
マキの木に生る実で遠州辺りの方言という
赤黒くなったら食べられ、昔は子供のおやつだった。
一つ頂いて食べてみた。
食感から味まで洋ナシのように甘かった

午後、はりはら塾の講座へ行く。教材に椎の実の話が出てきて、昔は拾って炒って食べた話に盛り上がる。椎の実を食べた話が通じるのはここだけだと、高齢の受講者の顔々を見回した。

夕方、はりはら塾の講座を欠席されたKさんから電話で、奥さんが亡くなられ、49日が済むまでお休みすると話された。お悔やみを言って電話を切る。

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「孝子松女傳」の解読を続ける。

奉公を私なく勤め、我が
もらひたる銭などをば、少しも
我身の用に遣わず、祖父杣蔵が
未進、借金の方、済まして、今は過半、
(あがな)に。また、寒暑風雨などの異なる
※ 贖い(あがない)➜ 埋め合わせ。つぐない。(主家からの前金のことか)
日には、殊に祖父や母の事を思い、やがて
今日の如何様に、くらし給うらん。
※ 如何様に(いかさまに)➜ どのように。どんなに。
母は何方におわするにがなと、一人言(ひとりごと)にも
言い、或いは、思い余りては、片時、半日の
(いとま)を乞いて、安否を問いて帰る事も
しば/\なり。弥右衛門も、家内のものも、
これを感じて、殊更に憐(あわれ)みをかけ、時々は
何となく、杣蔵、満津をも見付けけり。
されば今、藤吉が告げるを聞きて、いよ/\感 
心浅からず。
(つづく)

読書:「浮世小路の姉妹」 佐伯泰英 著
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「孝子松女傳」を読む 10

夕焼けもすっかり秋の空

「孝子松女傳」の解読を続ける。

この悲しさを察して給われかしというに、藤吉、初
めてこの物語を聞きて、ともに涙を流して
ゆう。さようの事と知らば、如何でか断わり
申すべき。さても/\、有難き志(こころざ)しかな。
賃銭などに及ぶ、次事(つぎごと)なりなど、
※ 次事(つぎごと)➜ 二の次。あとまわし。
志しばかりに、打ちて参らするぞ。必(かなら)ずに、
心遣いし給うなとて、受け取りしが、
返々(かえすがえす)感心の余りに、先ず急ぎ、弥右衛門
が許(もと)に行きて、しかじかの旨を物
語るに、ここにまた、弥右衛門が、先年
より抱え置きたるた満も、当年廿歳になれり。
(つづく)

読書:「風雲 交代寄合伊那衆異聞 3」 佐伯泰英 著
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「孝子松女傳」を読む 9


庭で見つけた秋、その2
オタフクナンテンの一枚の紅葉
まだらなのは何かトラブルの痕だろうか

「孝子松女傳」の解読を続ける。

かねてより知り給う如くの
困窮にて、壱人の父を養うに、この五、六年 
こなたは殊に老衰し、冬のしのぎも
難義なるに、着せて寐かす物とても、心に
任せをず、故に、冬中はこの繰り綿にて
※ 繰り綿(くりわた)➜ 綿繰り車にかけ、種の部分を取り去っただけの、まだ精製していない綿。
父の頭、尻の辺り、足の先な
どを包みて、少しながらも寒気の
防ぎとし、春暖かになりて不用の頃より
糸につむぎて、父の一衣ともなし侍る
なり。それ故に、のたまふ如く
油もしみ、綿も固まりて、打ちにくゝも
候わんが、この事は無礼なる事にもあれ
ば申すまじと思いしかども、御断
りの拠(よんどころ)なさに申すなり。
(つづく)
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