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「孝子松女傳」を読む 2

庭のニチニチソウ

「孝子松女傳」の解読を続ける。

翌丑年、女子が生まれて、た満(たま)と名付けたり。
親子四人になりて、いよ/\、朝夕の烟り
立て兼ねるほどになりぬ。杣蔵もやゝ年
老いたれば、耕作の業もはかばかしからず。
大凡(おおよそ)満津(まつ)一人の力にて、或いは、山に入りて
薪をとり、或いは遠近へ傭(やと)われて、聊(いささ)かの
賃をとりなどして、親子四人、露命をつ
なぐ。その艱難(かんなん)言わん方なくて、十余年を
過ごしたに、寛政三年亥(1791)二月六日に、母も病
死せり。この病中にも、満津(まつ)が粉骨砕身
の孝養、無類の事なりしとぞ。
(つづく)
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