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「安政元甲寅歳大地震記録」の解読 8

(久し振りの雨か?)

クーラーを最低に点けたまま昼寝して、3時半ごろ目を覚ましたら、すでに暗くなっていた。外へ出てみたら、黒雲が出て風があって、クーラーを点けた部屋の中よりも、外の方が涼しかった。恐らく、昼時よりも10℃近く気温が下がったように感じられた。空は黒雲が湧きあがり、遠く雷鳴も聞こえる。クーラーを止め、あちこち窓を開け放して、気持ちの良い外気を取り入れた。雨を待ち望んだが、雷鳴は近付いて来ず、夜になっても雨は降って来なかった。明日も天気は曇るが雨はあまり期待できないようだ。

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明日で「安政元甲寅歳大地震記録」の解読を終わるが、今もって、この古文書がどこに在住していた人の古文書なのかがはっきりしない。「掛川市下垂木(屋号大松)中村氏所蔵」とあるから、その古文書だろうと想像したが、高橋村や、新野村のようでもあり、はっきりしない。想像するに、あちこちから情報を集めて、それをそのまま書き記したため、色々の人の視点が入り混じって、分りにくくしているようである。

当村凡(およ)そ潰れ家百軒、半潰れ百軒、甚(いた)き候家百軒余り、無難の家も少しは残り候えども、手入なしにて住居いたし候家は、四、五軒なり。

当村(新野村)神社は破損少なし。仏閣は破損多し。惣慈院(想慈院)は、本堂堅(かた)候のみ。表門屋根、前の橋の上へ飛び申し候。蔵半潰、その外破損多し。山落ちもあり。就江寺(秋江寺)難無し。高源寺、庫裏半潰れ、廊下平潰れ、本堂堅き。庫裏売り払い。円城寺、半潰れ。正道寺、少し破損。法華寺、難無し。近村、閑田院、難無し、少し破損。東泉寺、難無し。正林寺、庫裏皆な潰れ。左馬介(さまのすけ)様御廟所(びょうしょ)、難無し。翌卯年、松ヶ谷君右衛門、屋敷替。
※ 左馬介(さまのすけ)➜ 新野親矩(にいのちかのり)。戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国新野新城(舟ケ谷城)主。
※ 廟所(びょうしょ)➜ はかば。墓所。


森下喜代、こと、瞽女(ごぜ)なり。お美喜を按摩いたし居り、病人は、右の次第にて、漸(ようや)く引出し、その跡より独りにて這(は)い出し、垣根の打木(うつぎ)に取り付き、不思議に助かり、母もその跡より出で、これも聊(いささ)か怪我もなく、全く神仏の御蔭(おかげ)、有難く存じ奉り候。
※ 瞽女(ごぜ)➜ 三味線をひき歌をうたい、時には踊りもして渡世する盲目の女芸人。
※ 打木(うつぎ)➜ 落葉潅木で、5月から6月に房咲きの白花が咲く。幹が中空なので「空木」と呼び、心材で木釘を作った。別名、卯の花。「夏は来ぬ」の歌で有名。

(「安政元甲寅歳大地震記録」の解読つづく)

読書:「千吉の初恋 小料理のどか屋人情帖25」 倉阪鬼一郎 著
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