平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「徳川記 巻八」の解読 5
昨日、岡部の帰りに、Nさんの誘いで玉露の里の「瓢月亭」でお茶をよばれてきた。Nさんは抹茶、自分は煎茶をよばれる。Nさんから茶室などの数寄屋造りについて、詳しく説明を聞いた。千利休の目指した「わび、さび」の話など、詳しく聞いた。帰りに庭で鉢植えのサギソウを見た。いっぱいに花を付けていた。サギソウの実物を見るのは、おそらく初めてである。
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「徳川記 巻八」の解読を続ける。
ここに於いて、味方大勢、一同に咄(とつ)と、城門を破らんと欲し突き掛かる。敵兵山崎市兵衛、踏み止まりて討ち死にす。安藤九右衛門、川合筑後守、菅沼美濃守、同帯刀、伊東左近右衛門同掃部ら、鑓を合わせて、首を取りて城に入る。味方内藤四郎右衛門、小坂新助、敵兵を討ち取り、その名、分明(ぶんめい)ならず。渡辺半蔵、服部半蔵、先登を進み戦う、本陣より引き捕るべきと下知すといえども、これを聞かず。その勇、抜群なり。家康公、西方阿田村の砦に三州勢を入れ置き、笠町砦に作手山家三方長篠勢を入れ置き、久野城には三郎左衛門、曽我山に小笠原与八郎を入れ置き、二月中旬、岡崎に皈城(きじょう)す、と云々。
※ 咄と(とつと)➜ 呼びかける声。ここでは、「どっと」の意か。
※ 分明(ぶんめい)➜ 他との区別がはっきりしていること。あきらかなこと。
氏真没落
同三月始め、国人(こくじん)一揆を催すと、岡崎に聞く。家康公、これを打ち滅ぼさんため、軍兵を発し、見付の府に出、軍義(ぐんぎ)を定む。然る処、同七日、掛川城兵など、国中の一揆と牒(ちょう)じ合い、堀川の構えを破らんと欲す。家康公、駈け付けられ、諸卒同じくこれに従い、大久保甚十郎(十七歳)先登を進む。平井甚五郎これに続く。然るといえども、鉄炮に中りて死す。敵兵今日の合戦、葉武者(はむしゃ)に目を掛けるべからず。命を捨て、大将を組み討つべきと、家議(けぎ)一決して、菅沼帯刀、笠原七郎兵衛、朝比奈小隼人、同小三郎、伊東治部少輔同掃部助、同左近右衛門、新谷小助渋谷右馬助など、争い進み、味方軍兵、矢石(しせき)に中(あた)るといえども、不屑(ふせつ)(不屈)挑戦す。
※ 国人(こくじん)➜ 在地の武士。その国に居住している武力を有する者。
※ 軍義(ぐんぎ)➜ 軍事に関する評議。
※ 牒ず(ちょうず)➜ 回状をまわす。
※ 葉武者(はむしゃ)➜ 取るに足りない武者。木端(こつぱ)ざむらい。雑兵(ぞうひよう)。
※ 家議(かぎ)➜ 家の意見、考え。
※ 矢石(しせき)➜ 矢と、弩(いしゆみ)の石。
※ 不屑(ふせつ)➜ いさぎよしとせず。あきたらず。「不屈」なら「屈せず」、この方が意味は望ましい。
(「徳川記 巻八」の解読つづく)
読書:「湯宿の賊 はぐれ長屋の用心棒 8」 鳥羽亮 著
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