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「松のさかへ」を読む 7

(散歩道のデュランタ・タカラヅカに止まるアゲハチョウ)

朝、地区の避難訓練。暑いので、ゴミステーションに集り、点呼のあと解散になった。その通り道で、アゲハチョウの写真を撮った。シャッター時、アゲハがはばたいたので、前翅だけが、消えた。蝶は前翅と後翅を同時にはばたくわけではないことがよくわかる。

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「松のさかへ 家康公文の写し」の続き。

一 堪忍(かんにん)の事、身を守る第一と、何事の芸術も堪忍なくては覚ゆることならぬものにて候。天道(てんどう)に叶い、身の我ままを堪忍致すは、地の理に叶い、先祖より伝わりし一郡一城失わぬ様に、堪忍の人和(じんわ)を得、我が気隨(きずい)出さぬ様に心懸け、身体悉(ことごと)く堪忍を用いることに候。
※ 堪忍(かんにん)➜ 不利な状況にあって堪え忍ぶこと。こらえること。がまんすること。身体的苦痛や苦しい境遇に堪えることをいう。
※ 芸術(げいじゅつ)➜ 武芸と技術。
※ 天道(てんどう)➜ 天地神明を支配する天帝、太陽、日輪をいう。おてんとうさまともいう。
※ 人和(じんわ)➜ 人々がなごやかな関係にあること。人の和。
※ 気隨(きずい)➜ 自分の思いのままに振る舞うこと。また、そのさま。好き勝手。気まま。


仁義五常(ごじょう)を本(もと)として、召し仕(つか)う者、並び民百姓、賞罰を正し、(うと)を恵み、近きを罰す。それ仁の堪忍なり。君に仕え身命を顧みず、一度約して変ぜず。これ義の堪忍なり。人の事を先にして身の事を後にし、起きるより寝るまで行儀正しくするは、これ礼の堪忍なり。我に慢じて人を(べつ)にせず、これ智の堪忍なり。
※ 五常(ごじょう)➜ 儒教で説く五つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。
※ 疎い(うとい)➜ 親しい間柄でない。疎遠だ。
※ 慢ずる(まんずる)➜ おごり高ぶる。うぬぼれる。
※ 蔑(べつ)➜ さげすむ。ないがしろにする。


君父(くんぷ)に仕えて、仮初(かりそめ)にも表裏軽薄(ひょうりけいはく)をなさず、古法を以って智をみがき、美器並び美服、美食に心を動かさず、これ目の堪忍なり。美好(びこう)を好まず、穢(けがら)わしき匂いも(おか)、これ鼻の堪忍なり。雷、また戦場にて弓鉄炮の音にも恐れず、先陣に進み、高名を遂(と)ぐる、これ耳の堪忍なり。酒を過ごさず、美味を好まず、これ口の堪忍なり。その外、手足にも堪忍あり。
※ 君父(くんぷ)➜ 主君と父親。
※ 古法(こほう)➜ 古いおきて。昔からのしきたり。
※ 美好(びこう)➜ 美しいこと。美しくすぐれていること。
※ 犯す(おかす)➜ 冒す。危険や困難を覚悟のうえで、あえてする。

(「松のさかへ 家康公文の写し」この一つ書き、つづく)

読書:「長屋あやうし はぐれ長屋の用心棒 13」 鳥羽亮 著
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