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「四国お遍路まんだら」あとがき

(庭の白花のスイセン)

表紙カバーに使用する写真を4枚選んだ。準備すべきもので残っているのは、 “あとがき” である。原稿もほとんどをブログ上で考えてきたから、 “あとがき” もブログの書き込みとして考えてみようと思った。どうやらここで考えた方がまとめ易い。頭の構造がそのようになってしまっているようだ。

「四国お遍路まんだら」あとがき
三月の末に、四国八十八ヶ所お遍路の結願をした報告のため高野山に日帰りで出掛けた。四国の札所の寺々と比べると、高野山には色々な人がお参りに来ている。観光客も大変多い。結願報告に来ているお遍路さんも見掛けたけれども、極々一部に過ぎない。自分も遍路装束にはならなかったから、はたから見たら観光客の一人に見えたことだろう。奥の院と金剛峯寺で勤行を行い、納経印もいただきながら、四国とは何かが違うと思った。

四国のお遍路の日々はお遍路さんになりきっていた。遍路装束に整え、毎日極限近くまで歩き、他のお遍路さんと競うように勤行を上げた。おそらく気持がクライマーズ・ハイならぬ “お遍路ハイ” の状態にあったのだろうと思う。四ヶ月経ち、冷静になってしまった今では、もうあそこに戻ることは出来ないと思った。うどん屋で隣り合わせになったお遍路さんに、「結願されたのですか」という一言が出なかった。

四国ではお遍路さんの姿を見ると近寄って自然に言葉が交わせた。地元の人たちとも何の壁も無しにお話が出来た。初対面の人に旧知の仲のように話したのは、自分にはめったにないことであった。大変に心地よい境地であった。もう一度、あの境地に戻るには、再度、お遍路に出るしかない。

お遍路記録がまとまれば、二度目のお遍路に想いを馳せることになるだろう。再びお遍路に出かける自分の姿が思い浮かぶ。一度お遍路を体験した人は、そのようにして、2度目、3度目とお遍路に出かけるのであろう。どうやら自分もお遍路のトラップに捕まってしまったようだ。

お遍路で出会った仲間たちのその後の動向を記しておきたい。春にそのまま42日で結願された「ソバプロ」さんは、帰りに剣山、石鎚山登頂されて帰られた。記録を本にすると話しておられたが、自分の方が先になった。「マメ名人」さんは44日で結願されA4版42ページの遍路記録を送っていただいた。「鬼コーチ」さんからは写真によるへんろレポートを送っていただいた。3月には52番から残りを歩くと書かれていたから、もう結願されたであろう。「のんき夫婦」のお二人は6月までには結願したいと書かれていた。マイペースで歩かれることであろう。「頑張り」さんとは掛川の喫茶店で一度お会いして、記録をまとめる上で、大変貴重な情報を幾つも頂いた。「片肺」さんは残りを3月に歩かれて、3月14日に結願したと電話を頂いた。もう春だと思って歩いたが、横峰寺ではみぞれに降られ、雲辺寺は雪を踏んで登ったという。「介護青年」さんのことは、気になっているが音信不通で判らない。結願出来たのだろうか。職を得られたのだろうか。心配をしている。

総歩行距離は1,095.8km、総歩数は1,781,609歩となった。1,200kmと心得ていたものが、随分短くなっている。88番大窪寺から1番霊山寺への39キロを加えても、なお短い。但し、この距離は「地図編」の距離を加えたもので、ロスはみてない距離である。

「四国お遍路まんだら」では多くの出会いを書いてきた。このように心地よいお遍路を与えていただいた、四国の空、海、大地、生きとし生けるもの、一期一会のすべての人々に感謝したい。また快く送り出してくれた妻、わざわざ泊り込んで留守番の妻を支えてくれた子供たち、応援してくれたすべての人々に感謝したい。


以上、あとがきの下書きである。
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