平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「駿河安蘇備 上」を読む 120
大代川土手の桑の実
熟れるにはまだまだ時間が掛かる
「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。
弥陀沢 同所 伝云う、花倉城主の守り本尊を安置せし所。
後に廃す。いまは一草庵を建て、無量仏を安置せり。
花倉川 すべり谷、有東川より流れ出て、下の郷に至りて、
葉梨川に入る。
里民、源太郎は旧家なり。秋山氏にて暦応、康永年間、先祖の
霊牌あり。また古文書、数多持て里り。
一 蓮池 若王子村にあり。市部、五十海、この池の水を田に灌(そそ)
く。蓮多し。
岩田山 同所 山上絶景なり。南海を見晴らす。
藤八柿 関ヶ原御陣前、美濃柿を奉り、賜りものありて、
我名も柿も「藤八」と呼ぶべしと、のたまいけるという。
一 窟 志太村 九景寺門前にあり。深さ三間、広さ二間、古えの陵墓なりという。
一 祖円松 堀之内村にあり。大木なり。古墳のしるしなるべし。
里民、藤蔵岡谷氏 大永の頃、三條内大臣恩地を賜う旧家なり。
※ 恩地(おんち)➜ 武家時代、将軍や大名が家臣に御恩として与えた土地。恩賞地。恩領。
弘治、永禄の今川家古文書を蔵す。
一 御所谷 谷稲葉村にあり。伝云う、永正中、正親町三條内大臣實望卿、
御下向ありて、今川氏親に寄り給う。氏親、この所に御所を建てられ、
ここに移しまいらせ、時にふれて、梅谷閑亭に、泉谷などに
請じ奉りて、和歌の会を催さること、度々なり。大永中、
卿仏道に入り給いて、慈光院というとぞ。
一 滝沢川 滝沢村 千葉川 千葉沢より出て、瀬戸川に入る。
(つづく)
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