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「竹下村誌稿」を読む 235 駅路 6

(ミンクル脇のハナゾノツクバネウツギ)

かなくん母子は、午後、名古屋へ帰った。孫たちの夏休みも後半である。

夜、金谷宿大学役員会でミンクルに行く。予算の使い方について打ち合わせをした。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

これらの(海道を通行する)諸役人は、武家と称し、皆な双刀を帯び、抗顔威厳を示せり。問屋場は駅伝の事を扱う事務所の名にして、常に十数人の事務員ありて、繁忙を極めし程なり。而して、荷物の運搬は専ら人肩、馬背に藉(か)りて行われ、別に通信機関として飛脚あり。継飛脚三度飛脚などありて、一般通信の用をなせり。
※ 抗顔(こうがん)- 事知り顔。臆面もない物知り顔。
※ 継飛脚(つぎびきゃく)- 江戸時代、幕府が各宿駅に配置して重要文書などの送達にあてた飛脚。
※ 三度飛脚(さんどびきゃく)- 江戸時代、江戸・大坂間を毎月3回定期的に往復した飛脚。


また、諸大名諸役人の宿舎には本陣、脇本陣あり。一般人の宿舎には旅籠屋あり、木賃宿あり。されど、旅客はなお未だ食品、薪炭を買いて自炊するの不便を免れざりしが、元禄の頃より客舎の設備も漸く改善の緒(ちょ)に就き、旅客の不便も減ずるを得たり。また宿駅の間には、間の宿あり、立場(たてば)ありて、駕籠を立て、荷物を下ろし、人馬を休むる所とす。これらは何れも茶店ありて、茶、菓子、酒などを鬻(ひさ)ぎ、旅人の休息に便ず。

当時の同行は一日十里を過ぎず。東海道五十三宿ありて、日程十余日を要するのみならず、渡船、橋梁の設備なき河川もありて、もし霖雨にて川留、川支えとなり、余儀なく滞在する事、大井川の條に述ぶるが如し。しかも箱根、新井に関所ありて、行人を検(しら)べし。もし通券なきもの、関所を避けて間道を通りたるものは、所謂関所破りとして厳罰に処せらる。特に出女、入鉄炮とて、江戸を出る女と、江戸へ入る鉄炮は厳重なる取締りありてその旅行の容易ならざりしものありしなり。
※ 霖雨(りんう)-何日も降りつづく雨。ながあめ。
※ 通券(つうけん)- 通行を許可する証明書。通行券。通行手形。


今や水には大小の汽船快走し、陸には縦横に鉄道ありて、行通の自由となり、旧時の観は雲烟霧消して、空しく座上話柄として存するこそ、面白き世の変遷なれ。
※ 座上(ざじょう)- 集まりの席上。
※ 話柄(わへい)- 話の種。話題。


読書:「風山房 風呂焚き唄」 山田風太郎 著
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