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「竹下村誌稿」を読む 223 竹下村 83

(散歩道のハマユウ)

とあるお宅の庭に咲くハマユウに気付き、無断で写真を撮らせて頂いた。暑さ大好きといった花である。そういえば、この御宅は、老夫婦が引っ越してしまい、時々は見えているようだが、今や無人の家である。この頃は御近所にもそんな家がちらほらみえるようになった。

午後、掛川古文書講座へ出席する。台風13号が東へ逸れて、雲一つなく、太陽が容赦なく降り注いでいる。お昼の外気が、車の温度計によると、37度を示していた。当地ではこの夏の最高気温ではなかったか。会場は冷房が気持ちよく利き、ほとんどの席が埋まる盛況であった。講師のKT先生に、先日、菊川図書館でお話した古文書のコピーを進呈した。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

元和元年(1615)より元禄十六年(1703)まで、凡そ八十九年
 庄屋   八左衛門(初代、在職年数不明、以下同じ)、八左衛門(二代)、忠右衛門
 組頭   甚右衛門、三右衛門、惣兵衛、勘左衛門、忠右衛門、半兵衛、喜平、半三郎、次郎馬
 百姓代  八郎右衛門、源左衛門、彦三郎、金右衛門、佐次右衛門

宝永元年(1704)より寛延三年(1750)まで、凡そ四十七年
 庄屋   八左衛門(三代)、善八(四代八左衛門)
 組頭   五左衛門、彦三郎、忠右衛門、勘左衛門、助左衛門、彦八、彦五郎、三右衛門、惣左衛門、吉兵衛、善右衛門、彦兵衛
 百姓代  彦三郎、善右衛門

宝暦元年(1751)より文化三年(1806)まで、凡そ五十六年
 庄屋   八左衛門(五代)、八左衛門(六代)
 組頭   彦八、忠右衛門、権右衛門、善右衛門、五左衛門、栄助、卯之右衛門
 百姓代  又右衛門、権右衛門、斧右衛門

文化4年(1807)より慶応三年(1867)まで、凡そ六十一年
 庄屋   善右衛門、八左衛門(七代)、栄助、忠兵衛
 組頭   栄助、権右衛門、忠兵衛、林八
 百姓代  斧右衛門、喜八

明治元年(1868)より同三年(1870)まで、凡そ三年、庄屋を置かず、組頭に於いて代勤す。
 組頭   権右衛門、為三郎、彦市、勝次

明治四年(1871)より同五年(1872)まで、凡そ二年
 戸長   渡辺権次郎(組頭兼務)
 副戸長  八木為三郎(同上)

同六年(1873)より十七年(1884)まで、凡そ十二年
 戸長   八木為三郎
 副戸長  杉山彦市、金原三吉

同十八年(1885)より二十二年(1889)まで、凡そ五年、竹下村外十ヶ村組合となり、本村に村民惣代あり。
 戸長   渡辺真一
 村民惣代 八木為三郎


読書:「レインコートを着た犬」 吉田篤弘 著
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