goo

ジャンボ干支、来年は犬

(ジャンボ干支は秋田犬)

昨日の書き込みについて、読者からコメントを頂いた。「五和西小学校学び舎の地」の碑は、先年取り壊した五和西小の前にあったものとの指摘であった。また山の上にあったのは、大代小学校だという情報であった。

昨日の書き込みについては、すでに、女房から、五和西小学校は山の下に移ったはずと指摘され、どういうことかと思っていた。納得するとともに、それでは、どうして、五和西小学校の碑が、山の上に移されたのか、新たな疑問が発生した。これでは、自分のように早とちりする人が出て来てしまう。

********************

今朝、快晴無風。9時半ごろ、7回目の島田市の神社巡りに出掛ける。この朝、大代川で見た野鳥。マガモの番い、アオサギ、ダイサギ、コサギ、セグロセキレイ、カラス、モズ、カワセミ。6回目の大代神社の、さらに奥をたどるべく、大代川を遡って歩く。

最初の目標は「大代ジャンボ干支」であった。来年は戌年だから、造られていたのは犬の像である。雌雄の犬は稲わらで、子犬が杉の葉で造られていた。年を追って作像が上手になっている。テントにいたおじさんと話した。


(見本となった秋田犬の焼き物)

まず、この奥の白山神社のことを尋ねたあと、ジャンボ干支について話を向けると、作り始めて24年、最初は未(ひつじ)だった。計算が合わないのは、初めの頃、やらなかった年もあったからで、犬の像は2度目である。この像の犬種は秋田犬、柴犬も同じようなものだが、見本にしたのが、秋田犬だという。脇の見本にした秋田犬の焼き物が中に飾られていた。確かに柴犬にしては体格が好すぎる。

最近の干支はけっこう手慣れて、洗練されてきたけれども、はじめの頃は素朴で面白かったように思う。いつまでも続けていって欲しいけれども、続けられそうですかねぇ、などと、結構いじわるな質問を向けたが、気を悪くすることもなく、最近は若い人も手伝ってくれているから。といっても40代ぐらいだが。まだまだ続けられるという意気込みが感じられた。もっとも、若い人は仕事があるから、休みの日だけ。製作には、一ヶ月もかかるかと聞けば、主に、六、七人で、十日ほど掛かったという。

遠くから来てくれて、この頃も名古屋の人が、これを見るだけのために、高速を使って来たという。群馬の人も高速を使えばそれほどかからないと話していた。新東名が出来て、随分便利になった。高速を降りて10分とかからない。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )