平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
島田市の神社 11 上志戸呂の大井八幡神社
朝、思い付いて、吉田の祥展堂古書店に電話したところ、今なら倉庫にいると聞いて、出掛ける。若い店主と、2時間ほど、色々情報交換して、帰った。いつもの事だが、古書について、すごい情報量が頭に入っていることに、改めて驚かされた。
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6回目の島田市の神社巡りの続きである。大代川を渡った、角の家の門先に見えたおじさんに、上志戸呂の神社の場所を聞いた。いろんな話をして、遂には自分より一回り上の、明けて年男だと知る。
大代への道に入りしばらく行くと、右手少し高い所に、青い瓦の本殿が見えた。鳥居を潜り、石段を少し登ったところに、志戸呂の大井八幡神社はあった。背後の頭上に、新東名の防音壁が迫っていた。
石段下の案内板によると、
大井八幡神社
鎮座地 金谷町志戸呂950番地
御祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)、弥都波能売神(みずはのめのかみ)
例祭日 10月17日
由緒 天文元年(1532)誉田別尊、弥都波能売神を勧請して、大井八幡神社と称し、社殿を創建したといわれる。延宝5年9月社殿を再建し、明治12年9月に至り、村社に列せられた。昭和21年6月18日宗教法人令による神社を設立し、昭和28年7月8日宗教法人法による神社を設立登記した。昭和60年拝殿を改築す。
とあった。更に右に真新しい、大井八幡神社改修記念碑が建っていた。裏面に、
第二東名高速道路建設工事に伴い、大井八幡神社所有地の一部148.61平方米が、道路公団に買収余儀なくされる。然るに、先人下嶋浅右衛門外二十五名の名義所有登記の為、買収困難により、裁判所に名義変更の訴訟手続成す。平成十四年九月、大井八幡神社に所有権保存登記裁決確定、売収補償資金により、境内の改修を施行(施工)す。
拝殿外壁修理 石段改修 手摺新設 倉庫新築
水路側石積 鳥居 水鉢移転 幟竿ポール建立
改修工事完成 平成十五年十月吉日 氏子中
と刻まれていた。神社の西、100メートル余り西に、遠江三十三観音霊場二十四番札所、岩崎山観音寺がある。立ち寄るため、一度通りまで降りて登り直した。ここには二、三度来ているが、すっかりきれいに整備されていた。
(岩崎山観音寺)
観音堂の左手に真新しい「観音寺碑」が建っていた。その碑文によれば、
岩崎山観音寺は洞善院末寺として開基され、十二代に亘る歴代住職の布教あるも、変遷を経て、大正時代初期に無住廃寺となる。各住職の墳墓は上段五十米にあるも、第二東名道路敷設に伴い此処寺跡地に移転、墓碑を建立し、歴代住職を左記に銘記して遺徳を偲ぶ事とする。
平成十六年四月吉日
そして、その左に、12人の住職の法名と遷化の日付が刻まれている。最も古いものは、元禄二年(1689)とあった。観音寺は廃寺となり、今は観音堂だけが、観音霊場の札所として、地区で守られている。
読書:「金沢の不思議」 村松友視 著
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