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上越秋山紀行 上 10 二日目 清水川原村(続き)

(散歩道、大代川土手のオニユリ)

台風は四国、中国をゆっくり串刺しにして、日本海へ抜けた。午後、駿河古文書会で静岡へ行く。

「上越秋山紀行 上」の解読を続ける。

抑々(そもそも)秋山の惣村の四、五十年以前までは、皆掘っ立て家にて、剰(あまつさ)え柱に貫穴などもなく、又ある木の先きに、九木の桁を渡し、に細木の縄にて結び付くるも、尭代舜世の聖代、二百年余打ち続き、かゝる深山の奥までも、鬼住む栖(すみか)もなく、人の世となり、自然に村里の風俗行き届きて、近頃新らしき家は、大小に限らず地幅を据え、昔の俤(おもかげ)の茅壁に残るぞ面白し。
※ 貫穴(ぬきあな)- 土壁の下地に入れる貫板を入れる柱にあけた穴。
※ 樌(ぬき)- 柱と柱、束(つか)と束の間を横に貫いてつなぐ材。束とは、二階の梁の上や、一階の床下などに立てる短い柱のこと。
※ 尭代舜世の聖代 - 中国古代の伝説上の帝王、尭と舜。徳をもって理想的な仁政を行ったことで、後世の帝王の模範とされた。その時代を指している。
※ 地幅(じふく)- 建物の土台。


嗚呼(ああ)今二十年乃至(ないし)五十年も過ぎなば、壁はさて置き、茶煎も銅器を用ゆべしと嘆息頻りに催し、色々主に問うに、此処(ここ)よりすべて大赤沢までは、たいてい稗高。菩提所のちまいりも、近頃にて上妻有大平村善福寺なれども、引導様の事は冬春は深雪の山路難処故、寺へは無沙汰。
※ 稗高 - 米ではなく、稗が農業の主力ということか。
※ のちまいり(後参り)- お墓参りのことか。
※ 上妻有 - 秋山郷より下(しも)の郷、妻有庄。


ここ纔かに二軒と云うと、支配は結東九ヶ村の内にて、川西は三倉まで上妻有秋成村久左衛門、また赤沢、中の里は深見村久四郎の支配にて、小赤沢、上の原、和山、屋敷の村々は、信州高井郡箕作り村嶋田三左衛門とやら。

暫しの噺(はなし)に屋上見れば、山菅の長きを沢山そうに揚げて見え、門口には三、四斗も這入(はい)る桶に栃の実を水にさわし、家の前後には、粟、稗ようのもの干し並べたり。
※ 山菅(やますげ)-山に自生するカヤツリグサ科スゲ属の草本の総称。水辺や湿地に多く、茎は三角柱状で中実。葉は線形で多くは根生。葉で笠・蓑・縄などを作る。
※ さわす(醂す)- 水に浸してさらす。渋を抜く。


秋の日の短かきに、主が長物語を厭うて、流石茶代の料も仄(ほの)めかす。有あう短冊五、六枚書き、呉れぬれば、何遍となく頼みによってその句を読み聞かせ、此処を立ち出るに、次第/\に幾囲みとも云うべき諸樹乱雑して、数間の磐石塁々として、ちまた(世間)に目を驚かし、或は山の尾崎には枝無き大木、さながら冬枯の如く燃えこげて、ひゅろ/\と立ちし処は、多くは村家に近き場にて、折節は白日の光り睴(み)る事の嬉しく、皆山畑にして畝らしきは一筋もなく、

広々と見切りもなき果ては、必例の大樹真暗闇に立並び、偏えに仙境に入りしが如く、逼々(ひつひつ)鶏犬の聲を聞いては、桃源に迷うかと怪しみ、果して家近く三倉と云う三軒の村見えければ、先に云いし如く、村家の辺りは木茅もなく、皆、畑にして、時は晩秋の半ばなれども、多くは刈り果て、只処々に大小の磐石の畑中に処々に居るのみ。
※ 皐(こう)- さわ。岸辺。

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