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事実証談 巻之三 異霊部32 御勢大霊石神社、青木塚

(次に読む「上越秋山紀行」上・下巻)

今日で「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を終る。さて、次に何を解読しようかとしばらく前から考えてきた。再び漢文で書かれた本を読みたいと思ったが、次に読むなら、アンチョコが無いから、おそらく解読に時間がかかる。余程事前に準備して置かないと、読み切れないと思い、時間稼ぎに、少し楽な本を読むことにした。選んだ本が、鈴木牧之著の「上越秋山紀行」の上・下巻である。

著者の鈴木牧之(ぼくし)といえば、江戸後期の文人。越後塩沢の縮(ちぢみ)仲買兼質屋に生まれ、家業の間に学問・風流に心をよせ、多くの江戸文人と交遊。菅江真澄と並ぶ、江戸後期の代表的地方文人である。代表的な著書は「北越雪譜」。

ともかく、「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を終えよう。

第63話
また築後国御原郡大石村、大石大神宮という社も同じ例にて、往昔伊勢国より巾着に入りて持ち行きし石なりと言い伝えて、今は二間四方の覆いに余れるばかりなる大石ありと。則ちその所に至り、見し人のしるき物語なり。こは延喜式神名帳に、御勢大霊石神社とあれば、いと古きことなるべし。
※ しるき - はっきりした。明白な。
※ 御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)- 福岡県小郡市大保にある神社。神功皇后二年(202)創建。その由緒によれば、第十四代仲哀天皇は熊襲征伐の折り、敵の毒矢に当たり、この地にて崩御され、神功皇后は秘して御殯葬申し上げ、その後、三韓征伐に於いて、天皇の御魂代の霊石を軍船に積み、戦勝凱旋された。その御魂代である霊石を殯葬の地である当地に祀られ、御勢大霊石と崇められた。


第64話
また信濃国佐久郡にも年々大きになる大石あるよし。則ちその国人の物語なり。

第65話
一宮庄なる田中に青木塚という塚あり。その塚に生(おい)し草木を伐れば、必ず瘧病を煩うと言い伝えて、近寄る者もなかりしを、その塚に梅の木ありて、年々実を数多むすびけるを、そのわたりなる老僧、その梅を見、採りて梅干のせんと言えるを、人皆崇りあらんと留めければ、老僧言いけるは、僧の採りて食せんに、何者か崇るべきとて、その実を採らしめ、梅干となして食しければ、やがて瘧病発(おこ)りて悩みけるに、日数重なるに添いて、悩み弥増(いやま)されるにより、耐えずや有りつらん。
※ 瘧病(わらわやみ、ぎゃくびょう)- 子供に多い病気で熱病の一つ。発熱・悪寒が間隔をおいて起こるもので、マラリアに近い熱病という。おこり。

怪しみて、かの梅干をかの塚なる梅の木のもとに収めしめたりければ、瘧病の悩み、速やかに平癒せしとなん。こは神霊二巻に同例あり。合せ見るべし。
 事実證談三巻終り            追加四丁終り
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