goo

上越秋山紀行 上 4 一日目 修験正法院泊り

(散歩道のハンゲショウ)

台風9号が東シナ海を北上していて、日本列島には太平洋から南風が流れ込み、水銀柱は一気に上がり、30度を越し、猛暑日になるところもあった。これで梅雨明けとはいかないようだが、梅雨明けも近いと思う。

午後、駿遠の考古学と歴史講座へ出席した。

「上越秋山紀行 上」の解読を続ける。

これより田代村まで行程二里あり、山に登り澗(たに)に降り、されども牛馬も行きかう途(みち)なれば、四方山の詠に労(つかれ)も忘れて、田代の谷川の流れに至り、この水上十丁余り、往来都(すべ)て二十丁の費(つい)えなれども、この辺に名高き田代の七ツ釜見んと、頻りに思いわびぬれど、見玉まではまだ遥かなれば、昔時(せきじ)、馬場の故人、富井車固子の饗應に遊覧して、尽し図にまで写せしを、欲がましく再見せんも、秋山記行に最(さい)て無用の長物語と、しばらく農家に休(いこ)えば、
※ 四方山(よもやま)- いろいろな方面のこと。さまざま。
※ 思ひわび(侘び)ぬる - 思い悩む。
※ 尽し図 - すべてを描き込んだ図。
※ 欲がましく - 欲深いようで。


田代の柴橋渡りて、トコロビラと云う村より、やゝ往く事、半道ばかりにて、山の裾野の平原渺々たる処に、蜘(蛛)手、輪違いのように、迷路繁くて、一とせ、我里の吉野屋、松坂屋などの四、五輩、見玉の不動尊詣でに、この平原に十方(途方)に暮れ、一人農夫、一升の酒樽かたげ来たるに逢い、かの河原(賽の河原)の地蔵尊も、これには過ぎじと伏し拜み、案内の賃銭過分に、その上一升の酒を二百銅で買い請け、漸々中山村とて纔(わずか)家三軒の処まで出でし由。
※ 渺々(びょうびょう)- 果てしなく広いさま。
※ 輪違い(わちがい)- 二つ以上の輪を交差させた形。


予は桶屋がこの地より、なお奥深き秋山まで、この隣の如く度々奔走の事ゆえ、芝原の細道なれども、爪(つま)づく石だになければ、眺望、殆んど労(つか)れを忘却し、近くは黒姫、米山、遠き八石、伊那彦の嶽々を見る。足元は杖にまかせて臨み、又見卸せば千隈(千曲川)の流れの左右は上妻有庄にて、村々は名も知らねど見へ渡り、やゝ夕陽近くのじとなん云う村、凡そ三十軒も草の屋在り。

辺りに似ぬ町並に造りならべ、今日の秋日和に、門毎に粟稗刈り、稲など処狭きまで干し、筵の取り仕末(始末)最中に、咽乾いていかにも棟高き茅屋に、椀の湯を乞うに、渋茶も渇に饉(う)えて、甘露の如く、二、三杯引っかけ、この処も疱瘡を嫌い、家毎に門に七五三縄(しめなわ)張り、秋のせわしきを見て、

  嫌わるゝ 疱瘡神も 嫌うらん
        粟稗がちに たつるのじ村


これより見玉へは、纔かに爪下りに、黄昏の頃、修験正法院に宿を乞うて、不動尊の霊験などを、終夜住僧に聞かまほしく思いけるに、大黒の札配りに、上妻有の在々、走り回り、まだ両三日も帰錫の沙汰なければ、法院の妻にものして、この見玉にて古(いにし)え今の事、能く心得たる人を招じ呉れ、切に頼むにぞ。
※ 爪下り(つまさがり)- 少しずつ下りになっているさま。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )