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それでも少しは歩いて置こう

(大井川、大代川合流地点)

よく晴れた。女房は名古屋のかなくんの家へ出掛けて不在である。お遍路に備えて少しは歩いておこうと思い、10時半ごろ出掛けた。久し振りに日限地蔵尊にお参りしてから、南へ向かう。

歩いている道は左側が旧第一製薬、今は名前が変って何と呼ぶのだろう、その広い敷地である。右側に小河川があって川の向うを大井川鉄道が通っていて、川と線路を仕切る土手に、ヒカンザクラが散り始めていた。川面に花筏をたくさん作っている。散った花が川面を緩やかに流れる間に、花びらが幾重にも連なって、いかだのようになり、停滞したり流れたり、日本人はそれを花筏と呼んだ。昔の日本人の感性には驚嘆させられる。生活排水が入って汚れた川でも、花筏と呼べば人は美しい流れを思い浮かべる。言葉の不思議である。


(川沿いのヒカンザクラ)

舗装道路が終わって、田圃との間の土手になる。さらにその土手も数本のヒカンザクラの木を最後に行き止まりになり、脇の舗装道路に避けた。旧国道1号線に出ると、この河川の改修中であった。水の通りを良くする改修だと看板があった。さらに川の右岸を行くと、旧東海道の八軒屋橋に至った。その直前で二つの小河川が合流し、少し太くなる。昔は大井川の川越しで金谷側に渡ると最初にある小河川で、板橋がかかっていた。この橋が金谷宿の入り口で、桝形の代わりを果していた。

川越し人足の控え宿や、「歳代記」の筆者、松浦幸蔵さんの勤めていた川会所などはこのすぐ先にあった。島田側には遺跡がしっかり残っているが、金谷側には何も残っていない。最近、通りの民家に「一番宿」などの看板が出来て、あった位置を表示してある。

川沿いにまだつぼみの桜並木を下ると水神社がある。小河川に沿って下れば大代川に合流し、さらに先で大井川と合流する地点があるから、そこまで行ってみようと、ようやく本日の目標が決まった。


(突然、道をふさぐ引込み線)

川沿いが歩けなくなり、迷いながら住宅地を行くと、突然に線路の土手が行く手を塞いだ。鉄路に音が伝わり間もなく機関車がゆっくりとやってきた。鉄道員が二人機関車の外枠に乗っている。大井川鉄道とは方向違いのところである。帰宅後調べると、大井川脇の製材所への引込み線のようであった。

貯木場の中で迷って、結局大井川の土手の手前にある舗装道路に出る。前方にクリーンセンターが見えてきた。金谷の汚水処理場である。大代川が大井川と合流する三角地、金谷の最も南の外れで、ここしかない立地の場所である。クリーンセンターを突っ切って河原に出た、JR東海道線の鉄橋の下がその合流地点だった。


(合流地点はJR東海道線鉄橋下)

最近は雨が多くて、大井川、大代川ともに水量が多く、水質は良いように見えた。ただ、金谷は下水道の普及率が低いので、水質が良くなったとはとても言い難い。この辺りで大きな鯰が釣れるけれども、とても食べれたものではないと、誰かが話していた。

本日は万歩計を持たずに出たが、歩行時間約2時間半、10キロ少々の歩きだった。足にそれほど疲れは感じなかった。
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