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安政三年八月「大風之事」

(我が家にもタカサゴユリが咲く、         
      種と球根で増殖し、近所の屋外いたるところに蔓延っている)

木曜日の午後は、このところ靜岡の古文書解読基礎講座で、靜岡市中央図書館に通っている。今日は6回目である。今日解読した古文書よりも、先週「大地震之事」に続いて取り上げられた、「大風之事」という記事を見て行こうと思う。書き下した文を以下に示す。

 大風のこと
安政三(丙辰)年八月二十五日のことなり、同日明け六つ頃より風起り、もっとも前夜より雨も少々は降り、それより朝五つ時より段々吹き募り、暮六つ時より追々大風となり、その烈しきこと例(たと)えんに物なし、藤枝近在民家は残らず吹潰され、並木その外大木の倒れ候こと数うるに遑(いとま)あらず、この年の大風、田に障りなし、豊作にてありしなり、八月二十五日は丁度彼岸の中日に当り、風雨はつよく有りしかども、最早ひがんよりは大風とても地は吹かず、空をのみ吹くよし、これにより田に障りなし、列して美濃、尾張辺りは大豊年なり、江戸表は同日なおまた前代未聞の大風とぞ、殊に津波打かけ、築地御門跡は総潰れ、鉄砲洲辺り総流れ、深川は残らず浪に引かれ、永代橋落ち、八幡様、霊岸寺のみ残りてあとは残らず水浸しとなる

※ 遑(いとま)- すきま。ひま。

安政元年の大地震に続いて、安政三年の大風(台風)の話である。藤枝近在の民家が残らず吹き潰された大風なのに、田圃には障りが無かったという。その理由として、彼岸以後の台風は地には吹かず、空にのみ吹くからだという。そんな話は余り聞いたことがない。

この台風は記述から推測すると、江戸を直撃したようで、静岡県は台風の西側になり、風台風となった。風向きは初めは北風から次第に西風に移ったと思われる。南から吹く汐風では無かったから、塩害も無く、水に浸かることも無かったから、風になぎ倒された稲はあっただろうが、深刻な被害にはならなかったのであろう。

一方、台風が直撃した江戸表では大変な被害をもたらしたと記している。伝聞した話を記したものであろうが、江戸の資料をネットで確認してみると、かなり正確に被害を記している。ここで「津波」と呼んでいるが、台風による高潮のことである。大風にためか、高潮によるのか、先の地震でも倒れなかった築地門跡の本堂が倒壊している。「築地門跡」は西本願寺の俗称である。鉄砲洲辺りや深川の被害は明らかに高潮の被害である。防潮堤の無い時代は高潮には全く無防備だったのだろう。永代橋が落ちたのは橋桁に船が衝突したためだという。

今日、解読した古文書は「名主交替願」「久離書替」「検見廻状」である。また後日取り上げてみよう。
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