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井川村海野家の古文書

(駿河古文書会会員 赤嶋禊氏)

靜岡の古文書解読基礎講座に出かけた。今日は第七回で残すところ今日を含めて3回である。残り3回は講師が変わって、駿河古文書会会員の赤嶋禊氏である。講師を務めるのは本日が初めてだと話されて、講義が始まった。

この3回で扱う古文書はすべて井川ダムの底に沈んだ集落の郷士であった海野家から出た文書である。海野家の古文書の総数は3000件とも云われている。かつて宮本先生(民俗学者の宮本常一氏だと思う)が調査に見えて、何冊かの本にまとめられたが、その時も取り上げられなかったたくさんの解読を待っている古文書があるという。駿河古文書会でも毎年必ず未読の古文書が取り上げられて解読されている。

田舎の旧家でたくさんの古文書が見つかることが多い。どうして古文書が大切に保管されていたのであろうか。講師の話では旧家の権利関係が、支配者が変わるたびに尋ねられて、説明をし、認めてもらう必要がある。どんな新支配者でも地方の権利関係は過去の支配者が決めていたことを踏襲するのが通常で、そのためには過去の文書が大変物を言った。だから古文書が大変大切に保管された。手紙や提出した文書も必ず控えがとられていた。海野家にも同じ手紙の書き損じまでも何通も残されているという。

今日の古文書も紀州家に出した口上書の控えである。書き下したものを示す。

   恐れながら口上書を以って願い上げ奉り候
神君駿府、御在城の時、私先祖弥兵衛儀、御奉公仕り候由緒を以って同苗兵左衛門、治部左衛門、五郎三郎、御当家へ召し出され、紀州御入国の後、先祖弥兵衛儀、御機嫌伺いのため、罷り上り候節、御目見仰せ付けさせられ、御料理下し置かれ、その節御時服並び忍冬酒など拝領仕り候由、元禄年中高野山に於いて、南龍院様御石塔拝し奉り候、その節清浜院様へ御目見仰せ付けられ、御時服拝領仕り候、元禄年中高林院様御代までは、御祝儀の度々御よく拝見仰せ付けられ、御時服拝領仕り候由に御座候、右御代々様の御時服拝領仕り誠に以って有難き仕合せに存じ奉り候、しかるところ右御時服年歴過ぎ去り候儀にて古く相成り候につき、私儀今般出府仕り御願い申上げ奉り候は、御代々様御先例の通り御時服拝領仰せ付けさせられ、成し下され候様、願い奉り候、願いの通り御聞き済まし成し下され候は、有難き仕合せに存じ奉り候、これにより恐れながら口上書を以って、この段、願い上げ奉り候、以上
 文化元年子二月       駿河国安倍郡井川郷上田村  海野弥兵衛
紀州様 御用人中様

※ 同苗 - 同じ一族。同族。
※ 時服 - 四季の時候に合わせて着る衣服。
※ 忍冬酒 - スイカズラの葉や茎を用いてつくる薬酒。
※ 南龍院 - 徳川頼宣、徳川家康の十男、紀州徳川家の祖となる。
※ 清浜院 - 徳川光貞、紀州藩第2代藩主である。8代将軍吉宗の父。
※ 高林院 - 徳川綱教、紀州藩第3代藩主である。8代将軍吉宗の兄。
※ 年歴 - 来歴。

御三家の一つ、紀州藩から御時服を拝領したということが、名誉であるとともに、海野家の地位を示す上で大変貴重なことであった。だから類似した文書も必ず残されて、来歴を説明するときにそれらの文書が物をいうことになる。
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