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70年安保の学生時代

(何だろうな、とムサシ)

先ほどまで「警官の血」というスペシャルドラマを見ていた。親子孫三代に渡る警察官のドラマであった。ふわふわした2時間ドラマを見慣れている身には、シリアスなドラマは新鮮で引き込まれてしまった。

前後半に分かれたドラマのまだ前半が終ったところだから、ドラマのことはさて置いて、子の時代の主人公が警察官の身で、大学生として大学に潜入させられて、ドラマが展開した。時代はまさに70年安保闘争から、学生運動が過激化して行った時代である。

それは自分の学生時代でもある。地方大学まで学生運動の波は押し寄せ、4年生の後半は大学が封鎖されていた。3年までにほとんど単位は取っていて、残った講座は三つか四つであったが、講義を受けることが出来ず、最後の試験はレポートの郵送で終った。

大学封鎖の理由は何でも良かった。封鎖することが目的なのだと、当時醒めた学生だった自分は思った。下宿は大学に近くて、拡声器のアジる声や争う罵声などが、風に乗って聞こえてきた。角材を打ち合う音まで混ざっていたように記憶する。大学では、学生運動の主流派は共産党シンパの派で、反主流が過激派であった。それぞれに名前があったが、もう覚えていない。過激派が封鎖をし、封鎖を解除しようとする主流派と小競り合いが起きているのであろうと思った。時々門の前を通ってみるだけで、見物に出かける気も起らなかった。当時、自分は二階の下宿で、日長、好きな本を読んで過ごしていた。

あの当時、自分たちの学生時代が歴史になったときには、歴史に残るのは過激派学生だけで、大多数のノンポリ学生や、学生運動の主流派すら歴史に残ることは無いのだろうとぼんやりと想像していた。今、あれから40年経って、あの時代も歴史に成りつつある。最近、あの時代を扱ったドラマやドキュメンタリーなどを時々目にする。東大安田講堂落城のドラマも見た。やはり歴史として語られているのは過激派学生たちばかりである。

しかし考えてみれば、その後日本の高度成長を最も底辺で支え、花を咲かせる原動力になったのは、学生運動では主役になれなかった多くの学生たちであった。主役だった過激派学生たちは、線香花火のように瞬間に燃え尽きて、その後アウトローとして人生を送ってしまったはずである。

けれども、もっと長い時間軸で言えば、世界第二位の経済力まで伸し上がった日本も、バブルがはじけ、さらにリーマンショックによる世界不況の真っ只中にいて、その高度成長の過去すら、何だったのだろうと、次々にリタイアしていく当時の学生たちは思うだろう。
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