goo

大井川通船の積荷

(佐賀を走る、特急みどり)

一昨日から九州の福岡から佐賀へ二泊三日の予定で出張していた。仕事が早く終わって、帰るのを一日早めて昨日帰って来た。帰りにかなくんのいる名古屋へ立寄ろうと思ったけれども、何となく億劫で、まっすぐ帰ってきてしまった。明日には退院して、母子ともに靜岡に戻ってきて、当分こちらにいるのだから、慌てることはない。

    *    *    *    *    *    *    *

大井川通船の話をもう少し続けよう。いったいどんなものが船で運ばれたのか。明治8年、通船が出水で破船になった届けが出ていて、荷の内容がたまたま記されており、積荷を知ることが出来る。以下に書き下してみる。

破船御届
御免許済
一 川船壱艘 但し長さ六間壱尺五寸

(ここに積荷の内容が記されているが、後述する)
右は通運送船、本月六日、当宿地元向谷を出帆、翌七日、同川通り遠州榛原郡葛篭村地元へ着船、大雨に付き繋ぎ留め置き候ところ、にわかに出水いたし、夜中の事故で手当など不行届きに流失に相成り、破船いたし、荷物など散乱いたし候段、届け出で候あいだ、取調べ方いたし候ところ、事実に相違無く御座候あいだ、右荷物など流れ寄るなどこれ有り候はば、早々届け出くれ候よう、最寄村々に廻達差し出し置き候あいだ、この段上申つかまつり候なり。
明治八年九月十日


さて、積荷であるが、「米10俵、白米1俵、米1表、もち米1俵、大豆2俵、搗き麦2俵、塩3俵、生酒1樽、同6樽、諸白3樽、醤油1樽、同1樽、同1樽、酢1樽、草鞋(わらじ)260足、藤倉21足、油樽1樽、糀(こうじ)1斗、佐塚1〆、蒲団1つ」となっている。

 ※「諸白」は麹(こうじ)用の米と蒸し米のどちらも、よく精白したもので造った上等の酒。
 ※「藤倉」は藤倉草履の略。藺(い)で編み、白木綿や茶木綿などの鼻緒をつけた草履。
 ※「佐塚」は良く解らない。

この船は川下から川上への積荷である。川上から川下への荷は、明治13年頃の記録があって、金額の多いものから記すと「製茶、材木、椎茸、炭、屋根板、摺付木材、薪、綿、竹、米、下駄荒木取、杉皮、茶の実、楮・三椏」等が上げられている。下りの荷の方が上りの荷よりも金額的に10倍以上多い。通船が主に川上の産物を川下へ送るのに使われたことがよくわかる。

下りは流れに沿ってくれば労力がほとんど掛からないのに対して、上りは帆を上げるけれども、多くは河原を人力で、綱を引いて遡らなければならなかったから大変であった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )