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レニングラード国立歌劇場初来日のことを書いてます。
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今日はエフゲニー・オネーギンの公演初日の模様です。
模様といっても昔の話で忘れかかってます。
全14公演のうち、オネーギンは7回公演であり、舞台装置のこともあるに違いないけれども、それなりにだいぶ力をいれた演目に違いない。
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1991年11月17日(日)13:00
東京文化会館
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チャイコフスキー/エフゲニー・オネーギン
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演出 スタニスラフ・ガウダシンスキー
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ラーリナ/ラリーサ・チェットーエヴァ
タチヤーナ/リディア・チョールヌイフ
オーリガ/ニーナ・ロマーノヴァ
乳母/イリーナ・ボガチョーヴァ
レンスキー/ニコライ・オストロフスキー
オネーギン/アレクサンドル・ネナイドフスキー
ロートニー/スタニスラフ・ブレーエフ
フランス人トリケ/ウラジーミル・ナパーリン
士官ザレツキー/セルゲイ・サフェーニン
グレーミン公爵/ウラジーミル・ヴァネーエフ
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指揮 ウラジーミル・ジーヴァ
レニングラード国立歌劇場
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第1幕75分
第2幕47分
第3幕37分
(プログラム表示タイミング)
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第3幕第1場におけるグレーミン公爵は、いい役どころだよね。
この段になってちょこっとあらわれて口説きの手法、結果をとくとくと歌い大喝采を浴びる。
みじめなのはオネーギン。やっぱり、俺ってオネーギンだよね。。
そもそも、オネーギンはこのオペラでは影が薄いというか存在感的にはタイトルロールになるほどではない。タチアーナがメイン。第1幕2場の寝室での静かなもの言いなんてとっても素敵です。
だいたいにおいて、このオペラは室内楽である。オーケストラのような大きな音が空間を縁取っていく素晴らしい室内楽。そのような音響とタチアーナの寝室での歌は説得力あるよね。
第2幕2場の決闘のシーンでさえ、室内楽的美しさである。雪の場面こそ美しさの極み。
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チャイコフスキーの1番の傑作は、ナッツクラッカーであると信じて疑わない。溢れ出るメロディー、美しさがしたたる音、横の流れに縦の厚さが、なにか、透明な氷柱のようなものが立ちつくしたまま横に流れていくような、このぶ厚さが、そう、なにもかもが音楽に震えている、それがくるみ割り人形。。
しかし、そのようなある意味ドライな響きが強調された音楽とは少しく対極にありそうなオネーギンのウェットな響き。弦のしめった様が異様に美しい。
第1幕2場のタチアーナの音楽をはじめ、チャイコフスキーは、ここでは、どのような些細なもの小さなもの、とるに足らない心の動き、そのようなどうでもいいような道端の草に命を与えるかのごとく音楽の炎の核を燃え上がらせてしまう。エフゲニー・オネーギンの音の美しさは何ものにも代え難い。
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昔、メト座の河童はオネーギンを観るとき、第2幕第2場で、そのはじける音が出る前に耳をふさぐおばあさん、メト超常連歴史おばあさんに何度か遭遇したことがあるけれども、そしてその気持ちはある意味よくわかるけれども、そこは最大の場面ではない。レンスキーとの決闘の場面でさえ、スケルツォでしかない。オネーギンはそこではかろうじて勝つけれども、やっぱりストーリー的にはオネーギンはいま一つぱっとしない役回りだし、この局面も音楽の盛り上げ方は意識、作為、抑制のあるものだ。
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レニングラード国立歌劇場の音はこのオペラに限りなくあっている。透徹した響き、透明感のある音色。ややメタリックで分解度の性能が高い弦。
この音楽を表現するにはちょうど良い音質だ。
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ということで心象風景はなんとなくあるものの具体的なところまではなかなか思い出すのは困難。
ちょっと話がそれるが、1990年前後に、オペラでは字幕が舞台にでるようになった。オペラに字幕がついた最初のオペラ公演はどれだったのかしら。
最初は、舞台中央上部に横に横断幕のようにでていた。特上席に座っていた人たちは首を真上に上げなければならず字幕どころではなかった。
今日のこの公演ですが、字幕が付いていたのかどうか思い出せない。
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続く
コメントありがとうございました。
1990年前後は字幕つきオペラ公演の黎明期だと思うのですが、この公演もやっぱり字幕があったということですね。いろいろなことがなかなか思い出せなくて。
本年もよろしくお願いします。
内容は何も覚えていなかったけれど、あの時の「オネーギン」体験は結構身に染みていたのだと、今回再見して感じました。
忘れていた事を何かの切っ掛けで思い出すのも、齢を重ねた古狸の楽しみですかね。