河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2179- ユジャ・ワン、ピアノ・リサイタル、2016.9.4

2016-09-04 23:04:30 | リサイタル

2016年9月4日(日) 2:00-4:30pm 神奈川県立音楽堂

シューマン  クライスレリアーナ  28′

カプースチン  変奏曲op.41  6′

Int

ベートーヴェン  ピアノ・ソナタ 第29番変ロ長調  11′3′16+12′

(encore)
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番より第3楽章 4′
ラフマニノフ  悲歌 op.3-1  5′
カプースチン  トッカティーナ  2′
ショパン  バラード 第1番 op.23  8′
モーツァルト トルコ行進曲(ヴォロドス/ファジル・サイ編曲) 2′

ピアノ、ユジャ・ワン


前半のプログラムは大幅に変更になりましたが、後半のベトソナは生き残り、ちょっと遠いところでのリサイタルでしたけれども来たかいがありました。ベトソナは聴いたこともないような演奏でびっくり。

アナウンスされていたプログラム前半は、スクリャービン4番ソナタ、ショパン即興曲2番3番、グラナドスのゴイェスカスから2曲、ということでしたが上記の通り跡形もなく変更。事前に変更するような気配ノーティスありましたけれども、いざベルが鳴り聴衆全員着席してから、変更プロのアナウンスがあるとさすがにどよめきがありましたね。良しなのかどうか人それぞれとは思います。

最初のクライスレリアーナは、6月に木村さんのピアノで聴いて以来です。(2016.6.8)
背中が割れた例の黒のロングドレスで現れたユジャさん、あっさりと弾きはじめる。物憂げな旋律が魅惑的な曲。やや硬質、ねばらない、すっきりテンポ、でも緩徐曲は隙を作らないスローさ、これは本当に独特。間延びしないゆっくりテンポで、どうやればこのようなうまい表現が出来るのか。音符と音符の間に瞑想的で思わせぶりな思考隙間を作るのではなくて、沈殿していく風でもなくて、ウェットさを感じさせることもなく。空気は潤いよりもドライな風味。
この説得力はなんだろうと思ってしまう。ひとつ、正確性が何にも勝っているのがまずあるのかなとは感じる。正確な弾きを極めてからのくずし、くずしというのはちょっと違うか、均質な伸ばし、数学的に理にかなった音符比率で伸縮していく。幾何学的な模様が立体的に伸縮を繰り返しているように聴こえてくる。彼女の中に規則があって、それはたぶん天性のものだから規則などというのもおこがましいが、なにか他にはないような法則がありそうだ、感性とはちょっと違うかなとも思う。
あと、表現の幅が凄いですね。いろんな方のいろんな得意技を全て包括しているのではないかと思えるぐらいだ。
乾いた尾根に小雨が滴るようなクライスレリアーナ。ウェットなものはあとでやってくる。聴後感はそんな感じ。素晴らしく美しい出来上がりのシューマン。

前半2曲目はカプースチンの変奏曲。初めて聴くもの。
クラシカル風味なものに、リズミックでジャジーな雰囲気が混ざっている。斜めに突っ走るそんな感じの曲。クライスレリアーナとはまるで違う曲。ユジャさんの指技が味わえました。
席がセンターのかぶりつきで指の動きがよく見える席でしたし。あとのアンコールでもそうでしたがあの指技は神技ですね。速くて見えない。

後半のベトソナ大曲。
500円のプログラムにはベートーヴェンのことは特に書いてありませんでしたが、ドイツ物のレパートリーや録音を拡大していきたいようなお話は書いてありますので、その一歩なのかもしれません。いきなり大作の29番からですかね。
跳ねるような音符、快速な第1楽章から。ベートーヴェンの響きが満たされている。主題は1も2も、それに提示部、展開部も全部ひっくるめて一気に、あっという間の第1楽章。続く短いスケルツォは、もう本当にあっという間に終わってしまう。まぁ、ここまではベートーヴェンだ。硬質でガラスのような、様々な響きをタップリ堪能できる。短すぎて惜しいぐらい。
そして、一呼吸おいてアンダンテ・ソステヌート。これが聴いたこともないような演奏。音符はタップリと隙間だらけなはずなのに、それに前の響きが収束してから次の音に移っていく局面もあるのに、音楽がつながっていく。響きの具合はまるでラヴェルの新作ソナタでも聴いているような生まれたばかりのみずみずしさと透明なガラス、ジャングルジムの骨組みからあちらがよく見えるような。それ以上に今まで馴染んでいたはずの聞き覚えある楽章の響きではないのだ。初めて聴くような音楽で、それはベートーヴェンでもなくて、やっぱりラヴェルの新作風味。ラヴェルが生きていたら書きそうな音楽という話だが。
かすかに31番の第1楽章のような趣きを感じるところがあるのは、彼女が31番を弾けばそうなるだろうという淡い予測にすぎないけれども。
とにかくこの神プレイ、かなり、真剣に驚いた。フレッシュすぎる。それに、あの、大家たちのような深い思考の森へ、といったベートーヴェンではないのですよね。全くの新たな世界。
ということで前2楽章とは位相が異なる別世界へ。彼女の音を探り当てるのに軽い興奮を覚えました。

そして終楽章の序奏へ、これがまた第3楽章との境目がまるでわからないもの。アタッカとか言ったありきたりの話ではなくて、彼女の中ではつながっているのではないのか。序奏のアトモスフィアは3楽章のまま。フーガの開始で覚醒。そのくらい繋がっている。驚きました。聴いたこともないような演奏です。この3,4楽章は一瞬、ユジャさんが間違って別の曲でも弾いているのではないかと思えるぐらい、こちらの脳が錯覚模様の別次元のパフォーマンス。
こうなると、フーガも、もう、ベートーヴェン越え。なんか、何を聴いているのかわからなくなる。アンビリーバブルな演奏。放心状態のままエンディング。

後半のこのプログラムでは黒からシルバーのドレスに。今度は超ミニの超ハイヒール、わかっていることとはいえ、かぶりつきで見ていると目のやり場に困ることもあったが演奏が凄くて目をつむるわけにもいかない。。ハンマーでぶちのめされたような心地よさでした。
凄いピアニストもいるもんだ。

アンコールは5曲!、最後のモーツァルトは完全なショーピース、ヴォロドスとサイが束になってかかってきても負けないだろう、俊敏過ぎる両手、速くて見えない。凄い演奏。
他の4曲のアンコール、切り替えが見事ですね。すぐに別の曲に集中していける。多彩な表現で思う存分楽しみました。ありがとうございました。
おわり


このホールは初めて来ました。席がとにかく狭い。横へも前にも身動きが出来ない。それに駅からの登り坂。坂は若い人には問題ないと思うが、席の狭さには耐えられないかもしれない。