河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2172- サマーフェスティヴァル2016、佐藤紀雄、ノマド、2016.8.27

2016-08-27 23:57:39 | コンサート

2016年8月27日(土) 7:00pm サントリー

クロード・ヴィヴィエ  ジパング (1980) 日本初演  15′

マイケル・トーキー  アジャスタブル・レンチ (1987) 日本初演 12′

武満徹  群島S (1993)  13′

Int

リュック・フェラーリ
ソシエテⅡ-そしてもしピアノが女体だったら (1967) 日本初演 30′
ピアノ、中川賢一
打楽器、吉原すみれ、加藤訓子、宮本典子

(encore)
武満徹 オーケストラのための「波の盆」より、第1曲「波の盆」 4′


佐藤紀雄 指揮 アンサンブル・ノマド


サントリー サマーフェスティヴァル2016 単独者たちの王国。めぐりあう響き。
一昨日(2017.8.25)の板倉、東京シンフォニエッタに続き、今晩は佐藤、ノマドによる大変にユニークで斬新なプログラム。

佐藤はプログラム・ビルディングを考える人でこの日の公演もそれなりの意図があったと思います。錚々たる作曲家の流れがある中、それとは別に自身の直感で色々と模索してきた人たちもいる。そういったあたりのことを踏まえ破格の人間性をもった方々の作品を紹介。
意欲的なプログラミングで現代音楽を聴く醍醐味、心ゆくまで楽しむことが出来ました。


ジパング
しもて側に弦6人、かみて側に弦7人。シンプルな編成。
同じような音を伸ばす。ボーイングを色々と変えてヴァリエーションを作っていく。音色旋律ならぬ、同一楽器で音色を変えていき旋律のようなものを作っていく。なにか安定感がある。昔の日本というものになにかそのようなイメージがあって作ったものか。弦の多彩な音色が魅力的。
作曲家のヴィヴィエは35歳ぐらいで亡くなっている。パリ滞在時、刺殺されたとのこと。悲しい出来事である。生き続けていたなら室内楽を中心にさらに興味深い作品が生まれていたことだろう。
指揮者の佐藤は逆水玉と言いますか、薄いブルーのシャツ、黒い水玉がポツポツとある派手な服装。プレイヤーも思いっきりカラフルな服装。この後の展開が興味をひく。なんか、自由でいいなぁ。

アジャスタブル・レンチ
説明だと4つのグループ配置のようなことを書いてあるが、見た目はステージにオーケストラが通常乗っているセッティング。アンサンブル単位のまとまりはあるのでそれがグループという認識かもしれない。編成はコンパクト。
この曲は最初から最後までリズミックなもので、ストラヴィンスキーのポルカやダンスの曲を思い出させる。拍子はストラヴィンスキーの複雑さは無くてあっけにとられるぐらいのシンプルさ。また、ノマドの技術レベルの高さがよくわかる曲でもありそうだ。ノリのあるうきうきしてくる演奏でした。タイトルとの関連付けはあまり考えないほうがよさそうだ。
ここでの服装は少し変化して、パンツは最初の曲同様カラフルなものだが、シャツは正装気味にブラック。明らかに意図をもった服装変化。このあとどうなるか。

群島S
武満はオーケストラを5群に分けるとしている。今日のセッティングはステージ上に3群。会場1階前寄りの右左に一人ずつクラリネット奏者。5群といえばそうかもしれない。
群島のSは複数形を表わすものであり、また武満が目にした群島のイニシャルがS、そのようなシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)がインスパイアのもとになっている。分散された同質なもの別なものがお互いに引きつけあう音楽。言葉では言いえても音楽にするとそれはどのような表現になるのだろうか。興味深いところではある。
簡単に言うと、前半は、ドビュッシーの海、特に2部に多くある「3連符+長め音符」タタタター、がそこかしこから聴こえてくる。そして後半は、今度は同じドビュッシーの牧神、それのフルートを中心とした下降音型、これがそこかしこから聴こえてくる。
これはいったいどうしたことだろう。1993年の作だそうだが、どうしたことか。ドビュッシーに驚くほどよく似ている。
引きつけあうというのは引力で近づくというより、それぞれの響きが徐々にメロウにブレンドしていくさまなのだろう。とろけて混じる。演奏は秀逸で明瞭な響き。もやもやしたところは皆無。素晴らしい演奏です。いわゆる現代音楽の雰囲気がよく出ている。
ここでの指揮者とプレイヤーの服装は先ほどより正装化が進み、黒シャツ、黒パンツ。


ソシエテⅡ
最後はのけぞるような奇抜な音楽。1967年の作とあるから、当時のいわゆる現代音楽シーンを彷彿とさせるものがありますね。
指揮台の真正面、ステージの真ん中にピアノ。それを取り囲むように半円型にノマドメンバーが配列。その奥に3人分のパーカッション。
それに小道具がある、指揮台のややかみてにクリーム色のソファのチェアがありそこに新聞を置いてある。

最初に服装を書いておくと、ノマドのプレイヤーは上着も着用して黒の正装。指揮者の佐藤は蝶ネクタイまでしている。そして4人のソリスト、彼ら達だけが超カラフル自由奔放な服装。思わず苦笑させられるが、これは最初の曲ジパングでのノマド達の服装と同じものですね。この意図された服装の流れ、なんだか、佐藤のプログラム・ビルディングへのこだわりの通奏低音と言いますか、テイストがありますね。こうゆうユニークな余裕がさすがのコンビとうならせるに十分なものがある。

わりと雑多な響きで始まる。整理整頓されていないようでされている。カオスのようでカオスでない。ある程度コントロールされたリズミックな響きの世界。このクリアな混沌が結構長く続く。
そしてほんのひと時、マーラーの緩徐楽章の断片のようなメロディアスなフレーズが出てきてどきっとさせられる。
まもなく最初のクリアな混沌の世界へ。
そして真ん中のピアノの打楽器風カデンツァ、蓋を取り去り、プリペアードなピアノというよりもプリペアードで準備するものを使って、全体を叩きまくる。もちろん弾きまくる。
同じようにステージ奥でパーカス3人衆がカデンツァ風に叩きまくる。こちらは打楽器なので問題は無い。
パーカスが勝手カデンツァを始めたところで、指揮者は指揮台から降りて、小道具のソファに座り新聞を読み始める。ピアニストがちょっかいを出す。
そうこうするうちピアニストは、今度は鍵盤だけを使って甘いメロディーを弾きはじめる。しかしパーカスがうるさくてあまり聞こえない。
パーカス3人衆がピアノの近くに寄り、打楽器モードでピアノのいたるところを叩く。そしてピアニストをどかして自分たちでピアノを弾いたりする。ついにピアニストは声まで出す。声を張り上げる。
指揮者は新聞読みを終わり、また指揮を始める。
などなど、等々、色々、
いろんなことが起こり過ぎで、記憶はとりあえず、ここまで。
そしてこのようなことを30分近く使ってやり終える。
指揮者は聴衆に向かいお辞儀。聴衆の拍手。指揮者退場。
あっ、なんとプレイヤーたちが、なぜかまた演奏はじめるハプニング。
指揮者は正装の上着にまだ片腕が抜けない状態で登場して指揮を始める。
そしてめでたく演奏をやり終える。
ユニーク過ぎて声にならない。

叩かれまくられたピアノはこのあと廃品回収かオーバーホールの病院行きになるのではないのか!というぐらい激しいもの。
そしてここでふっとあらためて副題を眺めてみる。それは、
「そしてもしピアノが女体だったら」!  !!
ボコボコにするのは吉原すみれさん加藤訓子さん宮本典子さん女性3人のパーカス奏者なのよね。

これをどうとるか、全てが作為と言ってしまえばそれまで。身も蓋もない。
作曲者のフェラーリは外の音を聞く人。それを集めて蓄積、音による別の世界が頭の中に構築されていたのかもしれない。そのイメージを今度は音にして表現した。とんでもない世界が出てきたわけであるが、彼にとってはごく自然な出来事だったのかもしれない。脳みそを見せられたような気分になったけれども、なぜか居心地が良い。他人の出来事として眺めているからなのだろうか。そこに到達することは出来そうもないが、とりあえず、世界は見えた。

ピアノの中川は大熱演で、この作品を食べてしまっているのではないのか。それも胃が4つあってこれ以上ないぐらい消化し尽している。あっぱれな演奏とアクション。ほれぼれするものでした。
ピアノにたかってボコボコにしたパーカス3人娘。多様な響きを味わえてこれまた最高。
そして、指揮の佐藤、彼の腕はやっぱり凄かった。アンサンブル・ノマドの冷静なプレイは各自の高レベルな自意識の表れのようにさえ見える。
楽しかった。

以上、4曲。
普通ならここで終わるだろうに。
佐藤がマイク持ち出し、アンコールをやると!
ステージをセッティングしなおしてするアンコールなんて見たことも聞いたこともないが、セッティングが始まった。佐藤のお話で場をつなぐ。
アンコールの曲は武満の波の盆、甘いメロディーが、まるでプロレスの後の整理体操のように心地よく響く。
波の盆はこの5月に尾高、N響で聴いたばかり。そのときにも感じたのですが、デ・ニーロが出ていたレオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のワンシーンの音楽とよく似ています。
心のすみずみまで浸透する甘くて切なさを感じさせるもの。なにもどうしようもなくてせめて音で隙間を埋めていく。音で出来る一つの側面ではあると思います。

ということで最後に気持ちを落ち着けることが出来ました。このアンコールまで含めた佐藤のプログラム・ビルディングの技にこそ称賛を。
素晴らしい企画と充実の演奏、本当にありがとうございました。
おわり


2171- モツクラ協、オッテンザマー、ブラ1、ヴァイグレ、読響、2016.8.27

2016-08-27 23:38:42 | コンサート

2016年8月27日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

ウェーバー  魔弾の射手、序曲  9′

モーツァルト  クラリネット協奏曲イ長調  12′7′7′
  クラリネット、ダニエル・オッテンザマー

(encore)
オッテンザマー  インプロヴィゼーション  2′

Int

ブラームス  交響曲第1番ハ短調  17′9′5′17′


この前(2016.8.23)、この指揮者を聴いて、今日も。
入念なところ、すっきりしたところ、あります。いずれにしても几帳面な棒。
魔弾の濃さ、ときおり見せるスピード感、独特の感性で進む。アンサンブル単位のコントラストは強調されないが、フレーズのこのような濃淡は的確で納得できるもの。正面突破の音楽づくりですね。ブラームスはそのような方針がさらに推し進められる。
そのブラ1では第1楽章提示部をリピート。この楽章単独での構造バランスはわるくなるが、4楽章まで通した構成感の完成度はぐっと増したと思います。
そのようなことも含め、今までともすると忘れ去られていたあたりのことはきっちりと隙間埋めされていて、心地よい音楽が鳴り渡る。また伸縮はバレンボイムと同質なのかもしれない。彼の推しが効いているわけですね。
読響のプレイヤー達は演奏しやすそう、呼吸が合っています。結構長めな演奏となりましたがそれを感じさせないもので、コンセントレーション高めて聴くことが出来ました。

間に挟まれたモーツァルトのコンチェルト。先だってシュミードル(2016.8.10)でこの曲を聴いたばかりですが、技術的な話だとダンチのこっち。
細身体躯の長身、サウンドも似ている。切り口の鋭さは強調されないが、タイ、スラーの滑らかな吹きっぷりとスタッカート気味な小気味の良さは明確に吹き分けられている。
この方もよく動くのだが、オーボエのルルーのように右見たり左見たりしながら吹くことは無く、正面向きで前後移動しながら吹く傾向はあるけれども、聴衆サイドからの音源のぶれは感じられない。
内容的には、この前の演奏のあれがワイプアウトされました。ただ、シュミードルは動きません。
おわり