2016年8月24日(水) 6:30-9:00pm ブルーローズ、サントリー
<オール・サーリアホ・プログラム>
6:30-6:55 プレ・パフォーマンス・トーク 25′
サーリアホ/細川俊夫
7匹の蝶(2000) 12′ vcアンッシ・カルットゥネン
トカール(2010) 7′ vn竹内弦 pf石川星太郎
テレストル(2002) 11′ fl梶原一紘、vn, vc, harp, perc, 指揮:石川星太郎
Int
ノクチュルヌ(1994) 5′ vnアリーサ・ネージュ・バリエール
光についてのノート(2010) (日本初演) 5′3′8′11′
vcアンッシ・カルットゥネン
石川星太郎 指揮 アンサンブルシュテルン
(encore)
不明 30″ vcアンッシ・カルットゥネン
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サントリー サマーフェスティヴァル2016
サーリアホの室内楽を集めたもの。5ピース。ノクチュルヌ以外は2000年以降の作品。
作曲者と細川さんによるトークが6時半からあり結構長い話となった。気分は2時間半ロングの演奏会。
7匹の蝶。
明確に7つに分かれた小品。チェロ独奏曲で色々な技を使っていそうだ。技巧の詳しいところはわかりません。タイトルを頭に入れれば蝶が舞うように聴こえてくる。クルンクルンと飛んだりパタパタと飛んだり。7匹同時に鳴っているのではなく、7つの違う性格の蝶が順番に出てくるわけだ。ソリストの左手の動きが激しくて見ていても面白い。
この7ピースは蝶表現なのだろうが自分には明確にシベリウスのざわめきが聴こえてくる。
トカール。
ヴァイオリンとピアノの曲。異質な楽器の組み合わせの話が冊子解説に長々と書いてあるが、これら楽器の組み合わせは昔からあるもので、この説明には妙な違和感がある。
曲はヴァイオリンから始まるが最後まで聴けばピアノの主張が強いもの。音量的にも聴衆寄りのヴァイオリンよりも奥のピアノの音量が豊か過ぎる。印象としてはちょっとふやけた感じ。
テレストル。
フルート協奏曲の改訂版。二つのピースから成るが明確な区切りは無く連続演奏。前半は、もう、メシアンそのもの。刻みつける音符、急降下する音型。
鳥に関する曲で、解説ではメシアンとは違うと書いてあるが、メシアン風味満載の前半。
後半は少しゆったりとしていて遠心力の余韻のようなたたずまい。
ノクチュルヌ。
当フェスティヴァルをまとめたパンフレット(外で配るやつですね)には、この曲は入っていない。5分ほどの曲にわざわざヴァイオリニスト連れてきているので曲とは関係ないほうで訳ありなのかもしれない。この曲だけ1990年代の作品。
淡くて音量振幅も無く、いくらノクターンとはいえ、どこで演奏すればベストなのだろうか。
光についてのノート。
5楽章の曲ということだがポーズは3か所。解説とあわせてみるとおそらく第4,5楽章が連続演奏になっていると思う。セッティングはチェロ協奏曲です。
1楽章の静、2楽章の動、3楽章の流れ、4楽章のダークな装い、5楽章は余韻のたたずまい。4楽章のダークで濁ったような響きの流れの束が耳をひく。
闇の中に尻つぼみ的に終わる。
以上、
全曲表題付き。表題や説明でイメージをサポートしていくわけです。現代音楽は例えば、既存のシンフォニーのように曲を知らなくても形式やルールをある程度知っていれば初めて聴く曲でもいきなり理解を深めることができる、といったものではなくて、現代音楽でそれと同様なこと、もしくはそれに代わる別のルールのようなものがあればと思ったりもする。ルールは無くしたものがモダンな音楽なのだと言われればそうなのかもしれないが、ならば表題はルールではないのか。でもそれは、あらかじめ既存のものとしてあるわけではなくて、作品が出来る時にあるもの。常に新しいものが作られるのでそれはそれでいいのではないのか。たしかにそうかもしれない。
が、一度、このような演奏会で一切合切、表題副題解説のないものを聴いてみたい気もする。
それとも作り手はなにかインスピレーション的な物語がないと曲を作れないのだろうか。
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アンサンブルシュテルンはメンバーを固定しない団体とのこと。現代音楽の理解にはハイレベルの腕前があればあるほど聴き手の理解は深まると思う。メンバーはみなさん若くて素晴らしい腕前。切れ味が鋭くフレッシュで、このような音楽に積極果敢に向かって行っている姿がよくわかる。張りつめた空気感が心地よい。
指揮者のコントロールは的確で整理された演奏はお見事でした。
サーリアホのスペシャリストであるチェロのカルットゥネンともども、いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり