河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2170- サマーフェスティヴァル2016、武満徹、タン・ドゥン、東フィル、2016.8.26

2016-08-26 23:34:17 | コンサート

2016年8月26日(金) 7:00-9:30pm サントリー

武満徹  ジェモー(双子座)  8′9′6′7′

(しもてサイドのオケ)    (かみてサイドのオケ)
オーボエ、荒川文吉      トロンボーン、ヨルゲン・ファン・ライエン
指揮、三ツ橋敬子       指揮、タン・ドゥン


Int

プレトーク タン・ドゥン 10′
タン・ドゥン  オーケストラル・シアターⅡ:Re   22′

(通常位置でオーケストラを指揮)   (かみてで会場の楽器、聴衆などを指揮)
指揮、三ツ橋敬子            指揮、タン・ドゥン
                    バス、スティーブン・ブライアント
                    (しもてで歌唱)

武満徹  ウォーター・ドリーミング   12′
フルート、神田勇哉
指揮、タン・ドゥン

プレトーク タン・ドゥン 10′
タン・ドゥン  3つの音符の交響詩  12′
指揮、タン・ドゥン


管弦楽、東京フィルハーモニー交響楽団


サントリー サマーフェスティヴァル2016
サントリーホール30周年記念 国際作曲委嘱作品再演シリーズ

強烈に意欲的なプログラムでこうゆう場があることだけでも感謝感激ものです。
武満2作品と自作自演2作。タン・ドゥン自作自演では演奏の前にトークがありましたので、休憩入れて約2時間半ロングのコンサート。現代音楽でこのような長い演奏会は稀ですね。だいたい、一つの曲が短くて、都度、セッティングしなおす手間入れても2時間はいかない。この日の作品は一つ一つが長いものでした。セッティングはかなりの手間がかかりそうですが曲順などで配慮し、てきぱきと進められていました。充実の公演。

ジェモー
2がキーワードであるというよりもむしろ武満の推考結果であろうことがうかがわれる。オーケストラを一つの完成物としてではなく、無数の音源散らばりとして見ている。だから、彼は日本庭園といったものとも重ね合わせて見ることができる。ディテールの集合体としての調和。細部の匿名性。単一な音楽イメージに焦点を絞らない。汎焦点的に作り上げる。
かいつまむとそのような話であるから、オーケストラが二つあっても、ともすると西洋音楽のように対立する二つ、みたいな所はなくて二つが融合している。オーケストラは二つあるが、アンサンブルの集合体のようなものですね。
音楽による恋愛劇で、時に相反するものが、愛によって帰一する態を描いている、とあるが対立はなく別のものが一つになるもの。それであればこそ、最後だけなぜか予定調和的なトーンで終止したあたりへの理解の助けの説明にはなる。あすこだけは聴いていて、気持ちは安定したが別の違和感がありましたからね。
オーボエ、トロンボーンのソロがついているのは武満の言う汎焦点的な作り込みのコンセプトからしたら真逆のようなことに思えるが、ここらあたりの話は既にどこかで語られているのであろう。
曲は4ピース。Strophe/genesis/traces/antistrophe、それぞれのストレートな意味合いは別にしても日本語にした表題があれば大いに助けになるところだが。
角の無い音が漂う指向の強いもので音量はオーケストラ人数に比例して厚い。バリエーションが多彩になる分、曲自体の長さも比例して長めに作ることが出来るといったところもあるかもしれない。
どこからどのような響きが次に出てくるのか予想のつかないもので、音楽の進行性がメインテーマではない。それであればこそ4つの区切りを設けて切り込みをつけたのかもしれない。冗長感は無い。響きに浸る。律動は無い。Tracesあたりは少し刻みが出るけれども全体のモードはあまり変わらない。
2人の指揮者の呼吸は一致していて、複数オーケストラが一つのオーケストラという要素の集合体としてのアンサンブルを楽しむことは出来ました。
初演時には、日常茶飯事のグロボカールがトロンボーンのソロを吹いたらしいですから、それはそれでびっくり。1986年の出来事ですね。

シアター
これはシアター・ピースで、昔、柴田南雄にそのような作品があったと記憶します。あんな感じのものですね。
始まる前に、作曲者がハミングとホンミラガイゴを聴衆に要求。練習してから始まる。
通常のオケセッティングとポーディアム。かみてには客席方向に向けたポーディアムがあり、そこには作曲家は立ち、会場2階にいる散らばったウィンド奏者たちに指示。それとしもてのバスにも指示、さらに聴衆へも事前練習内容の本番指示。指揮者も声を出す。音の無い身振り振付のような指揮も。水槽を使って水滴が落ちる音もやっていたか。
レ音がメインテーマの曲で、ある意味、聴きやすい。ポンポコいっているあたりはなんかの儀式の感がある。飽きない作品ですね。実現させるには説明が要るので曲の前にたっぷりと10分ぐらい説明できる時間が必要。今回のような企画ものであればこそ実現できるものかもしれない。

ドリーミング
この曲には何度か接している。ドビュッシーみたいだがあすこには調の安定がある。ここにあるのは律動の無い、角の無い、漂う音。無いものを集めたような錯覚に陥る。
ダムの水がスローモーションで流れるような感覚。ウォーター・ドリーミングという絵画にインスパイアされた作品。その絵を先に見るべきかもしれない。絵の写真をプログラム冊子に載せてくれていればどれほどの理解の助けになっていたことか。

交響詩
ABC(ラシド)で構成した作品。なので、聴きやすい。
多彩な鳴りで飽きさせない曲。マウスピースをたたく音、足を鳴らす音、他、色々。
ラシドはだんだんと、くどさが上回ってくる。素材の限定は危うさもある。
最後はびっくりするような大時代的なリタルダンドをかけて巨大なサウンドに。曲にマッチしているといった見方もできる。

以上4曲
このフェスティヴァルであればこそ実現できる演目を中心に、東フィルさんの大奮闘もあり大いに楽しむことが出来ました。


プログラム冊子の内容の順序には相変わらずそうとうな違和感がある。このようなめったに聴くことのできない現代音楽の演奏会においても、曲タイトルのページをめくると次にくるのが演奏者の詳しい紹介。苦笑もの。曲の紹介をまずするのが先だろう。この、日本式の順序は、昔、外国から大家を招聘した際、まずはその奏者、団体なりのことをいかに凄くて有名かといったあたりを売りにして書いていた時代の名残りと思うがどうでしょうか。
おわり