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2012-2013シーズン
テイキングサイドは、演奏会ではありませんが、このカテゴリーに入れます。
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2013年2月4日(月)7:00pm
銀河劇場
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行定勲 プロダクション
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「テイキングサイド」
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キャスト(in order of appearance)
連合米軍少佐スティーヴ・アーノルド、筧利夫
エンミ・シュトラウベ、福田沙紀
中尉デイヴィッド・ウィルズ、鈴木亮平
ヘルムート・ローデ、小林隆
タマーラ・ザックス、小島聖
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、平幹二朗
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世界最高の指揮者フルトヴェングラー(ドイツ人)は、第2次世界大戦中、なぜドイツに留まり続けたのか、という劇です。
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第1部 1時間15分
休憩15分
第2部 1時間10分
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使われるシンフォニー。(鳴った順)
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・ベートーヴェン交響曲第5番第4楽章
*コーダで音が抑えられるが、たぶん1943年録音のもの。
・ベートーヴェン交響曲第8番第1楽章
・ベートーヴェン交響曲第7番第2楽章
・ブルックナー交響曲第7番第2楽章
*実際の戦中宣伝録音かと。劇中で取り上げられる。
・ベートーヴェン交響曲第9番第1楽章
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劇内容にはあまり触れず、縁取りを思うまま書きました。
以下。
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個人的に印象に残ったのは、第2部真ん中ぐらいのところのやりとり。
連合国米軍少佐スティーヴ・アーノルドが
部下の中尉デイヴィッド・ウィルズに、
「君はどっちの側につくのか」
という、まさにタイトル通りのセリフが出てきます。
その直前、
「君はユダヤ人だろう」
と言うところ。
アーノルドも矛盾を抱えているとここで理解。
テイキングサイドというタイトルは原題では複数形で takingsidesテイキングサイズ。
相対するものは芸術と政治だけでなく、国民と芸術、あなたとわたし、いろいろな解釈が出来そうだ。
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あと、アウシュビッツ映像にベト7の第2楽章が流れたこと。
これでは過去を美化の範疇に入れてしまう。ロマンチックに過ぎた。ワイドショーとか夜のお笑いのようなニュース番組でも、死んだ人間のストーリーを追う時に音楽をつけるが、あれと同じだと思った。
たしかに、コンサートで著名音楽家が直前に亡くなったとき、演奏プログラムの前にこの曲を流して追悼したりすることもあるが、この劇ではちょっと違うかなと。
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それから、最後の場面、舞台の背景が上がり、フルトヴェングラーが奥で後ろ向きに第九の第1楽章を振り、エンディング。
ここは瞬時に、チェリビダッケの廃墟でのエグモントの映像がオーバーラップ。ここで、劇が開いた。戦後復興というもう一つ、忘れてはならないことを想起させてくれた。
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ベルリン・フィルのそう長くもない歴史ではあるが、常任指揮者は今のサイモン・ラトルを含めても事実上たったの6人。ラトルの前がアバドで、その前がカラヤンでその前がフルトヴェングラー、今につながっている実感。(チェリビダッケはシチュエーションが少し違う)
フルトヴェングラーは1954年にたったの68才で亡くなった。だから晩年と言っても今なら指揮者にしてはそうとうな早死に。あれだけ過激な棒を毎晩振っていれば寿命も縮まってしまってもしかたがないのではないかというリアリティーは確かにあるが。
その晩年耳がよく聞こえなくなっていた。
これは治らないものであるし、性能のいい補聴器もない時代、彼は自身の障害を運命として受け入れざるを得ないと思っていたことだろう。ただ、この劇は戦後すぐの設定。難聴になる1950年頃以降とはちょっとちがうというのはある。
カラヤンは出来のいい若者レベルから、最後は相克のレベルまでいったと思うが、フルトヴェングラーが書いている数々の本を読んでみると、高みの境地の種類が違う感じがする。
ドイツ最高の指揮者が世界最高の指揮者であるそのような通奏低音的響きは、むしろ生まれたときからの前提のようなものであったのではないか。だから逆に彼を悩ますライバル指揮者は同じ国内にしかいないのであって、当然の相克でもある。
それはそれとして、ミュンヘン大学教授の息子として英才教育を受けてきたフルトヴェングラーの音楽の書をここは読み切るべきだろうと思ったりもする。彼の棒の動きは自己哲学の実践であり、そのようなことを具現化した人物は前にも後にもいない。
相克、難聴。ピュアな再現芸術の使命とは別のところでいろいろとあったことはたしかではあろうとは思うけれど。
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私生活を崩しにかかるアーノルドであるが、劇とはいえこの執拗さは、フルトヴェングラーが再婚した25才年下のエリーザベトが100才を越えた今(注)、フルトヴェングラーの芸術を語り続ける彼女が見たらどう感じるであろうか。今のシチェーションで戦後を眺めたら事実が歪んでしまうかもしれず、その意味では問題提起になっていると思う。熱狂的なフルトヴェングラーファンにとって、私生活面をクローズアップすることはこれまでなかったというか、意識して避けてきたことなのかもしれない。
まぁ、今の彼女なら、やきもちやかんでしょ。
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ナチが政権を掌握した1933年という言葉がキーワード的に何度か発せられますが、これは象徴的なことであって、フルトヴェングラーが初めてやばいと気がつくのは翌年のヒンデミット事件からではないでしょうか。音楽と政治が対峙した。その前から帝国枢密顧問でありその意味ではドイツ、ズブズブであったと言えなくもない彼は、そのとき辞任。帝国枢密顧問の権力を手放すことの作用。音楽という空気と政治という力の対峙が自分の現実となった。
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思えばニキッシュのあとを襲い、1922年にベルリン・フィルの座を手に入れたフルトヴェングラーは、その年代は最高のシーズンを送り続けていた。かのニューヨーク・フィルへの客演も3シーズン連続で行っている。
*フルトヴェングラー&ニューヨーク・フィルの全プログラム。
1924-1925シーズン
1925-1926シーズン
1926-1927シーズン
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もちろんバイロイトも振りまくり。ここらあたりでヒトラーの影が見えてくるわけです。
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その後、上述のようにドイツ国内に踏みとどまったとはいえ、最終的にスイスに亡命というか一旦退避。前夜の先を急ぐフランク、ブラ2の濃すぎる演奏は、心情反映と言われてもしかたのないところ。
一般に言われている、彼の芸術表現は戦争というアブノーマルな時代だからなしえたものではないか、というトークには反対です。昔ちらっと書いた。→ここ
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そしてフルトヴェングラーの戦後は1947年のベルリン・フィルとの巨大な演奏、エグモント、田園、運命ではじまる。
残された時間は少なかったけれど、エキセントリックな強烈解釈が続くかと思えば、一方でスタジオ録音、戦争の呪縛から解放され落ち着いた精神状態が耳に取るようにわかる美しい演奏スタイルも完全に決まっている。
これら全て、音の塊としての動き、崩しではなく生き物が動く様な演奏表現、そして最初の音から既に最後が見えている造形感。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの構成美を見事なまでに表現。一度全てをぶち壊し飲み込み、自らのものとして再構築。再現芸術の極み。まさにベートーヴェンと同じではなかったか。壊さなければ創造はできない。形式のぶち壊しと再創造。第九のアダージョとスケルツォのひっくり返しをあげるだけで十分だ。
いろいろな指揮者たちがいろいろとやりたいことを主張しているそれら全ての表現をフルトヴェングラーの棒は内包していた。一聴やりすぎではないか、と思うのは結局そういうことなのだろう。幅の広さと奥行き、高みと深さ。
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最後に微妙なことを書くと怒られそうだが、戦中のフルトヴェングラーの第九演奏会の映像が残っておりますが、最前列に座るナチ。とりわけ、ゲッペルスのフルトヴェングラーを見る、その夢見るような眼差しが脳裏から離れない。
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ということで、「テイキングサイド」は国内では以前「どちらの側に立つか」という題で舞台にのってます。
また、イギリスでの初舞台の評が1995年の朝日新聞に載ったことがあります。→ここ
ついでに、指揮者巨匠時代の写真を→ここ
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劇のことはよくわかりませんが、筧さんの独り舞台かな。あのような長いセリフが細かいニュアンスとともに滔々と流れる、まさに、アンビリーバブル!
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銀河劇場には初めてきました。天王洲アイルというモノレール駅は、昔、飛行機通勤wしていたころはなかった駅。あとでつくられた駅ですが、最初の頃のそんな面影は全くありませんね。
以上です
(河童記:昭和49年からWFSJはいってます。ヲタクではありません。)
終わり
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注:エリザベート・フルトヴェングラーは、2013年3月5日、102歳で亡くなりました。
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