河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1387- ウェーバー魔弾の射手、S/クラリネット協奏曲、ストルツマン、フリーヘル編曲トリスタンとイゾルデ、ミスターS、読響2012.9.23

2012-09-23 21:21:12 | コンサート

2012年9月23日(日)6:00pm
サントリーホール
.
ウェーバー 魔弾の射手、序曲
.
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
クラリネット協奏曲 (日本初演)
クラリネット、リチャード・ストルツマン
.
ワーグナー(フリーヘル編曲)
トリスタンとイゾルデ
-オーケストラル・パッション-
.
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮
読売日本交響楽団

.

私が聴くミスターSの選曲いつもと毛色が異なる。ソナタ形式系とちょっとちがう。明快なテンポで主題毎メリハリつけて進む具合の曲と少し異なる。このようなプログラミングのミスターSを聴くのは初めてかもしれない。
明快なテンポといっても近年は音楽の呼吸が大きくなり、その分少しテンポが落ちてきているように思えますが、音楽の大きさはますます増すばかり。この日の選曲も期待できそうです。
.

フライシュッツの最後の音を導入するバスのサウンド、グワーンと底から遠近法的に鳴りました。素晴らしい表現!このような表現は偶然ではなくて練習のたまもの、指揮と体の動きと音のパースペクティブがコンサート全般にわたって一体化しており、練習なしには、ありえない。
序奏の奥行きと入念に行き届いたフレージング、濃いホルン重奏。レガートの効いた展開部からコーダに移る部分のピチカートによる明快な区切り。久しぶりにきいた同曲、いい演奏でした。かなり巨大な雰囲気が一曲目から醸し出されました。
.

二曲目は自作自演のクラリネット協奏曲、プログラム解説によると頭はニ音ということで、一瞬だけ、ブルックナーの9番の冒頭イメージ。
第1,2楽章は弱音系の流れでかなり深刻、瞑想的な音楽。ストルツマンの奏するクラリネットは、どのあたりから奏されはじめているのかわからないぐらい切れ目がない。空気がいつのまにか音楽に変わるような演奏でお見事。非常に緊張感に満ちたものでした。
第3楽章は一転してパーカッションが活躍しながら速い動きの中、どちらかというと唐突に終わる。こうゆうのもある。日本初演ですし聴く方もゼロからのスタートということで。
ミスターSの曲には何回か接している。たぶんほとんど自作自演だと思います。堅苦しいところもありますけれど、オーケストラを結構鳴らしてくれるし、全集がもしあればそろえてもいいなと思っているところもありますね。
1980年代の曲とかいっても、1923年生まれのミスターSにとっては既に50歳代。若気の至りといった曲でもない。来年2013年は90!
歩くのは少し不便しているようなところも見受けられますが、太っていないので動きはいい。腕が疲れたからスローテンポになるといったこともない。音楽だけが大きくなる。素晴らしいことです。
ストルツマンは1942年生まれということだからバレンボイムなんかと同じ。お茶目でカーテンコールではミスターSが持て余し気味、敬意を表してのしぐさや態度だからいいですけれど、ちょっとね。
でも近年、写真なんかでみるよりもずっとスキニーで健康的そう。年齢による不摂生で脂ぎっている人たちが多い中、ストルツマンは健康維持管理してそうです。そうでないとあのようなピアニシモでないでしょ。指もよく動いていると思います。インストゥルメントと体が一体化している。
.

プログラム後半はフリーヘル編曲のトリスタンとイゾルデ。ミスターSの意欲的な選曲ととらえましょう。
まずタイミング実測値は以下ですが、切れ目がなく第1幕に第3幕分が混ざったりしているように聴こえたところもあったので、飽くまでも目安、耳安的な参考値です。
.
前奏曲:12分
第1幕より:5分
第2幕より:18分
第3幕より:19分
愛の死:7分
.
場面転換推移のところで、つなぎ的にかなり編曲モードになるが、それ以外のところはいたって、そのままのように聴こえてきました。前奏曲から第1幕に入るところはもやもやっと編曲されておりましたが、愛の死はそのまま。ですので、前奏曲と愛の死はいわゆるコンサートバージョンとだいたい同じ。あとは第1,2,3幕がサンドウィッチされている感じ。
前奏曲の入念さ、よかったですね。フレーズが極丁寧に奏され、呼吸をするパウゼがまた深い。かみしめる味わい深さ、ミスターSのトリスタンはこうだったのか。コンサートスタイルの冒頭から緊張感にあふれるいい演奏でした。
読響のトリスタンと言えば、思い起こします。1978年チェリビダッケが前年の復習で来日の折のまさしく「筆舌に尽くしがたい、空前絶後の、透明な狂気。」→ 1978.3.17
聴く方のテンションが完全に上ずっていて、生唾ゴクリッの音までホールに響く中、チェリがあらわれるまでの時間の長かったこと。
ミスターSはあすこまで極端ではありませんが、両指揮者ともに方針としてはコンサートのスタイルの演奏だと思います。入念な入りから空白に意味を持たせ、広がっていく。オペラの曲想展開というよりも純音楽的な響きの積み重ねのようです。結果、折り目正しく丁寧、音楽のふくよかさは自然ににじみ出てくる。右肩を上げ、上半身が広がれば音は大きくうねり、両肩を臥せれば音楽はピアニシモの世界に。左手の甲が見えれば音は抑制され、掌が見えれば燃え上がる。練習でのコントロールとさらに上をいく即興的な音楽の高まり。オーケストラビルダーと読響の見事な一体感というしかない。特に、愛の死における、ミスターSの体の動きとオーケストラの響きのニュアンスは、もはや圧倒的というしかなく、棒から音が出ている。恍惚感に近いもの。
.
このトリスタンの音がやたらとぶ厚い。第2幕の長い夜など編曲部分のいわゆるつなぎの個所が軽いつなぎではなくて相当にぶ厚いもので、これはこれでどうしちゃったのかななどと思いつつ浸っておりました。
タイミングの実測値にあるような長さバランスですが、前奏曲を第1幕に含め、愛の死を第3幕に含めるとちょっとバランスがどうかなというところではあります。全体を俯瞰したときに、このオペラをあまり聴いたことが無い聴衆にどう響くのか、曲を知らなくても形式で追えるような代物でないだけに、どうなんだろうという気持ちにはなりました。声もありませんしね。
.
いずれにしましても、折り目正しくてメロウな演奏を満喫できました。
おわり

.



人気ブログランキングへ