前回は、2008-2009シーズン新国立初日のトゥーランドットの模様をこのブログに書いた。
ちょうど20年前のこの季節、ミラノ・スカラ座が大挙して来日しいろいろと公演を行った。1981年の初来日にカルロス・クライバーが火を噴くシモン・ボッカネグラなどの圧倒的な演奏、あれから7年、ミラノスカラ座2度目の来日1988年の公演だ。
大部分は1988年演奏会感想に書いてあるが、この機会にトゥーランドットの公演の模様をリメイク再アップしてみた。
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ゼッフィレルリ・プロダクション。
氷のようなトゥーランドットが第1幕終結部で歌うことはないが、舞台がせりあがり一瞬凍てつく氷の美しさを魅せまた沈みこむ。メトでならこのようなことが可能。
華麗な舞台は日本では望むべくもない。奥行きのないNHKホールではいかにもスケールの小さな幻滅する舞台であった。
オケピットにはいったマゼールも舞台との角度の問題があったのか、上半身ほとんど上にはみ出ており目ざわり。
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この日はこんな感じ。
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1988年9月24日(土)18:30
NHKホール
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プッチーニ/トゥーランドット
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トゥーランドット/ゲーナ・ディミトローヴァ
カラフ/ニコラ・マルティヌッチ
リュー/ダニエラ・デッシー
ティムール/ポール・プリシュカ
アルトゥム/レナート・カッツァニーガ
ピン/オラツィオ・モーリ
パン/エルネスト・ガヴァッツィ
ポン/フロリンド・アンドレオルリ
官吏/ステファーノ・アントヌッチ
侍女1/マルチェッラ・コンスタンティーニ
侍女2/アンナ・ゾルベルト
ペルシャの王子/サヴェリオ・ポルツァーノ
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演出/フランコ・ゼッフィレルリ
指揮/ロリン・マゼール
ミラノ・スカラ座
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舞台のスケール感がなく、これでは華麗を極めるゼッフィレルリ・プロダクションも効果半減。
興を殺がれたまま舞台は進行する。
イメージが全てメトロポリタン・オペラハウスとの比較になってしまうため、はっきりいってつまらない。なにもかもがサイズ半分といった感じである。
マゼールも苦労することもなく、高いポーディアムで狭い舞台を眺めながら交通整理をしている感じ。
日本でトゥーランドットを舞台にのせようと思ったら、逆に何もない舞台のほうが大きく見せることができるのではないか。華麗さはゼロになるけれど、日本人は何も舞台にないワーグナー風には耐えられる。(昔から)
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それでも舞台は進行する。
ディミトローヴァは、氷のような美しさというよりは、威厳のある鬼嫁風にカラフに質問を浴びせていく。怖い。でも答えるカラフ。
マルティヌッチは本場テノールの声。
パヴァロッティやドミンゴの脂が乗っていた頃というのは、テノールの声はこんなに細くていいのか、と思った。細い芯が遠くまでとどくようなサウンド。
ソプラノのカヴァリエも同じ。あのような芯があって細いピアニシモなんて聴いたことがない。
マルティヌッチのテノール声もそのような想いを思い起こさせる。
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マゼールは追補前後あたりから得意のけり上げる足と棒がうまく正比例しはじめ、熱いエンディングをむかえることができた。さすがマゼールだ。
リューは世間が言うほど大きい役とは思えない。生の舞台の印象というのは、彼女は影の薄い存在に思える。
デッシーがこの役を歌っていたとは今昔。
おわり