あと数時間で2012年も終わります。部屋に山積みになっていた紙の山を片付け終わったところです。来年こそ整理整頓ができるようになりたいものです。
今年もいろいろありました。
日本共産党の中川雅夫議員が死去
10月22日、日本共産党東郷町議会議員団長の中川雅夫議員が、議員活動への復帰の願いがかなわず、死去されました。
中川雅夫さんは1983年4月の東郷町議会議員選挙ではじめて町議に立候補、当選して以来、2011年4月の選挙まで連続8期当選し、この間、町議会副議長、議会運営委員長、民生常任委員長などを歴任しました。また最初の4期では杉山スマ子元町議と、その後の4期では私とともに2人の日本共産党議員団を維持し、東郷町の共産党の“顔”でした。
中川さんの議員としての功績を語るには、もっとふさわしい人がいるでしょうから、ここでは個人的な思いについて書いてみたいと思います。
中川さんがいなければ、私は議員をやっていません。私の初めての選挙の前だったと思いますが、杉山さんの後継になぜ私を選んだのか、中川さんに聞いたことがあります。中川さんは「一緒に仕事をしている姿をイメージできる人はめったにいないけど、あんたと仕事をしている所なら想像できる」と答えました。私にとって一番大事な思い出です。
また彼の自由放任の指導方針のもと、私は思う存分、活動させてもらいました。叱られたことは数えるほどしかありません。
いまでも町に出ると、中川さんの早すぎる死を残念がる人に出会います。そんなとき、彼の存在の大きさを思います。
中川さんが残したものをしっかり引き継ぎ、さらに発展させることが私の使命だ―そう思えば弱い私も頑張れるんではないかな、と思います。
総選挙で郷右近修氏が奮闘
政策とか難しいことは他の人に任せます。とにかくいいヤツです。
宮城県岩沼市の出身で、機械のエンジニアとして豊明市の会社に就職したのが、この地域との縁の始まりです。
故郷が被災し、すぐに救援活動に行きました。また彼の出身地、宮城県南部は、福島第一原発事故の影響を強く受け、放射能のホットスポットも多く見られます。そんな郷右近さんですから、被災地にも等しく襲いかかる消費税増税を許さないという思い、原発の再稼働を許さないという決意は、他のどの候補者よりも強かったと、私は確信しています。
また彼が候補者を引き受けたときに語った、中小企業の経営を苦しくさせる大企業による下請けいじめをやめさせ、若者の劣悪な雇用環境を改善するために、国政で働きたいという決意表明は、私の心を打ちました。
そんな彼を7区に立候補した4人の最下位に甘んじる結果しか残せなかったのは、私の力不足です。
18歳まで医療費無料化
2012年1月1日から東郷町で18歳まで医療費が無料化しました。長年、「中3までの医療費無料化」の実現を求め運動してきた住民のみなさんの思いが結実しました。私たち日本共産党の公約も「中3までの無料化」でしたが、いかに私たちの要求が控えめだったことか!
多くの住民が喜び、他の自治体からも注目される施策ですが、一方で「やりすぎ」という意見もたくさん聞くのも事実です。お年寄りの医療費の自己負担の2割への引き上げが計画され、年金も削られるなどするなか、子どもだけに偏っていると思われるのかもしれません。
私たち日本共産党はお年寄りの医療費無料化、現役世代の1割負担への引き下げなど、国民の医療負担の軽減を展望しています。18歳までの医療費無料化は「子ども医療費無料化の完成」ではなく、「国民全体の医療費無料化」への通過点であると私は思います。
請願7件の紹介議員を引き受けた
今年、東郷町議会に提出された請願は8件ありましたが、そのうち7件の紹介議員を引き受けました。私自身の中でも最高記録かなと思います。残念ながら全て不採択になりましたが、住民の声を議会に届ける役目は果たせました。これからも住民の声を町政に反映させるよう頑張ります。
再び被災地に
去年は日本共産党の救援ボランティアに参加しました。 http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20111106
そして今年10月、議会の委員会研修で被災地に行かせていただきました。 http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20121028 http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20121104
いまだに多くの被災者が仮設住宅での生活を強いられています。福島第一原発事故でいまだに16万人もの人々が故郷を追われたままです。
2013年こそ、復興への道筋を作る政治を、党派を超えて作るべきです。
中川議員のあとを受け議会活性化特別委員会の副委員長に就任
ご報告が遅くなりましたが、12月議会の初日の11月30日に、中川雅夫議員の死去に伴い、私が議会活性化特別委員に指名され、その後、委員の互選により中川さんが務めていた副委員長に選出されました。中川さんの仕事をしっかり受け継ぎ、議会改革の取り組みをいっそう進める決意です。
また中川議員が務めていた日東衛生組合議会の議員の補欠選挙があり、私が議長指名により当選しました。
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まだまだ未熟者の私ですが、来年の4月には議員生活15年目に突入します。今までは「まだ若いから」と許してもらえたことでも、これからはそうは行かないと思います。自らに課せられた使命が決して軽くないということを肝に銘じ、2013年も頑張ります。
引き続きご指導のほど、よろしくお願いします。
今年1年、本当にお世話になりました
来年もよろしくお願いいたします
東日本大震災から間もなく10ヵ月。私も10月に被災地の救援活動に参加しましたが、仮設住宅では被災者のみなさんが厳しい生活を強いられていました。津波が襲来した宮城県亘理町や山元町の田園地帯では、がれき撤去作業や除塩作業に見通しが立たない状態でした。
被災地の復興が急がれるのに、農林漁業を破壊するTPP、被災者にも負担がのしかかる消費税増税など、政府はいったい何をしているのか!
ニュースを見て怒りを抑えきれない毎日です。
民主党が消費税を争点に解散総選挙に打って出る構えです。それならば日本共産党は堂々と受けてたちます。
アメリカ・財界いいなりの古い政治から、国民が主人公の新しい政治へ! 2012年、みんなの力で希望の年にしようではありませんか。
日本共産党東郷町議会議員 かどはら武志
2011年は大変な1年として、日本に住む人々にとって忘れられない年となるでしょう。1年の終わりに、私にとって印象深かったことを書いてみます。
1.東日本大震災の発生
3月11日の震災発生時、私は大詰めを迎えていた名古屋市議選の支援に千種区に行き、政策ビラのポスティングをしていました。
どうしていいか分からない中、京都の共産党の仲間が募金活動を始めたということを知り、私も続きました。http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20110321
10月には遅ればせながら、宮城県南部に支援活動に行きました。http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20111106
戦後最大の国難と言うべき大震災ですが、まだまだ復興というには程遠い状態が続いています。地方選挙の延期も被災地だけに限られ、被災地そっちのけの菅内閣への不信任案のドタバタ、そして政府が被災者にものしかかかる消費税増税・被災地の基幹産業である農林漁業を破壊するTPPを言い出す…。
震災を奇貨として消費税増税などを実現しようとする勢力には負けられません。私たちの生活を守るたたかいが、そのまま被災地の応援につながると確信し、頑張ろうと思います。
2.福島第一原発の事故
人類がかつて経験したことがない未曾有の人災が起きてしまいました。日本共産党の福島県委員会や吉井英勝衆院議員が予見していた津波による電源喪失の悪夢が、現実のものになってしまいました。(津波の前の地震ですでに危険な状態になっていた可能性も指摘されています)
正直言って、私は原発は危険な物だとは認識していましたが、ここまで酷いことになるとは思っていませんでした。放射能漏れの事故が起きたりしても、ああまたか、という程度に思ってしまうほど、安全神話の影響を受けてしまっていました。
しかし今回の事故で、原子力発電は、現代の人類が持ちうる技術では、とても制御できないものだということが、いよいよ明らかになりました。
浜岡原発は、菅前総理の英断で停止しています。東海地方は原発ゼロで夏を乗り切り、今に至っています。しかし浜岡原発が止まったからといって決して安心ではありません。今も燃料棒・使用済み燃料棒があるのです。東海地震もいつ来てもおかしくありません。
原発を止めたとしても、大量の核のごみをどこに捨てればいいのか、方向すら見えてきません。
こんな危険な原発の再稼動を狙い、外国に売ろうとする人々は、いったいどんな考えを持っているのでしょう。
私は6月の議会で、脱原発社会を見据え再生可能エネルギーの普及を提言、9月議会と12月議会では、給食の放射能検査を求め、放射能で汚染された恐れのある被災地のがれきの搬入に反対する立場から当局の考えをただしました。
給食の放射能検査については町は消極的ですが、がれきの搬入については住民の不安にこたえる立場から現時点での受け入れはしない姿勢を町が明確に示しました。日本共産党の中川議員の提言に応じ、ガイガーカウンターを周辺市町に先駆けて備え、来年からは定時定点の観測と、住民の要望に応じての測定が始まります。
町長が、個人的な見解と断りながらも、エネルギーの転換が必要との認識を示したことも忘れられません。
町議会も6月議会で、エネルギー政策の転換と原発の安全確保を求める意見書http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20110622を全員一致で可決し、政府と国会に送ったことも大きな成果です。
町民会館のホールを借りて脱原発ポスター展にも取り組みました。http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20111008
個人的なことですが、物理学とは縁がなかった私が放射線などについてここまで勉強することになるとは思ってもいなかったことです。これからも食の安全、がれき搬入の問題では、地域住民の安全を第一に取り組みます。また、東郷町の条件を活かし、再生可能エネルギーの普及に取り組み、原発がなくても大丈夫という展望を示しながら、脱原発に取り組みます。
3.4月の町会議員選挙で4回目の当選
子どもの医療費の中3までの無料化や、国保税の1人1万円減税、地域交通の充実、町独自の私学助成の復活などの公約を掲げ、4回目の当選をさせていただきました。http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20110426
子どもの医療費無料化は、7月に町長が18歳までの無料化を打ち出し、明日から実施されます。地域交通は来年2月から赤池駅~町北部~みよし市のアイモール三好の名鉄バス路線が開通し、7月には巡回バス路線の大幅改正で日進駅と米野木駅へ便利になります。
私学助成の復活も、11月に議会が町長に提出した要望書に応える形で、町長は来年度の復活の検討を約束しました。
国保税の減税など、まだまだ難しい問題が残っていますが、いつまでも住み続けたい東郷町の実現に頑張ってまいります。
今年もお世話になりました。皆さん、よいお年を!
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ブログの更新がずいぶん滞ってしまいました。
3月10日に、今期最後の一般質問を終え、そのご報告をする間もなく名古屋市議選の応援のビラまきに出かけた11日の午後、父から携帯に電話があり、「お前の所、大丈夫か?」と訊かれ、何のことか分からず訊き返して、名古屋市にも津波警報が発令され、その元となった地震のために東北地方が大変なことになっていることを初めて知りました。
考えてみれば、その1時間ほど前、ビラをポスティングしている時に、軽い目まいのような感覚に襲われたような気がしました。今回の地震で、名古屋市は震度4。数値だけ見れば気がつかない方がおかしい感じがしますが、私と同じように屋外にいた人は気付きにくかったようです。逆に屋内にいた人は、長く大きな揺れを感じたようです。
何から手をつければいいのか…
震源に近い仙台市には、4月の仙台市議選に立候補を予定している庄司あかりさんというツイッター仲間がいます。まずその人に、ツイッターを通じて安否確認してみました。しかし返事が来ません。彼女が活動している仙台市若林区でもたくさんの遺体が見つかったというニュースが入りましたが、ただご無事を祈るしかありません。
翌12日(土)には、日本共産党の名古屋市議選候補者が、宣伝カーによる選挙活動を取りやめたという知らせが入ってきました。(共産党だけでなく全陣営がそうしたようです)
東郷町でも政策宣伝カーの運行をしていましたが、名古屋市に倣って運行を取りやめました。震災のニュースを見ている人の中には、被災地に家族や親類がいる方もおられるかもしれません。そうした方々にとって、政策宣伝は騒音でしかないでしょうから。
依然として先のツイッター仲間からの連絡はありませんし、ひどくなる一方の被災地からの知らせを見ると、平常心を持っての活動は無理でした。
そうしているうちになんとなくツイッターを眺めていると、4月に京都府議会選挙に挑戦する小原明大さん(元長岡京市議)の「夜の宣伝カーはとりやめて、長天で募金」https://twitter.com/#!/ohara1095/status/46197026672750592
というツイートが目に入りました。震災発生当日に募金活動を始めるという彼の行動力に目を見張りました。
ぐずぐずしてる場合ではないという思いが沸き起こってきました。
東郷町でも募金活動
段ボール箱に「被災地救援募金」と印刷した紙を貼り付けた急ごしらえの募金箱を持って、夕刻のスーパー前に行きました。ハンドマイクで何を訴えたのかは思い出せません。ただ、「日本共産党の東郷町議会議員、かどはら武志です」と名乗ったのと、「責任を持って被災地にお届けします」と言ってたのだけは思い出せます。
また、自分が募金箱を持って活動する意義に確信が持てていたわけでもありませんでした。ただ、「何ができるか」と考えたら、これしかない、というのもどうやら確からしい、という気もしていました。
それでも2万円近くの募金をお寄せいただきました。私が被災地に責任を持って届けると言ったのを信じてくださった方が、たくさんいらっしゃったことに、責任の重さを痛感しました。また、被災地のために何とかしたい、という思いがこんなにあったことに、胸が熱くなりました。
そして、その後3回の街頭募金を支部の仲間や中川議員といっしょに取り組んだのと、18日の演説会で訴えた募金も合わせると、東郷町での日本共産党の募金活動に98000円近くもの募金を託していただきました。
高校生らしい二人連れ、お父さん・お母さんと一緒に小銭を入れてくれた小さな子、「少ないけど」と申し訳なさそうに募金してくれたご婦人、「あんたがここでやると(ツイッターに)書いてたから来た」と言ってお札を入れてくれた人。この活動を通じて、どれだけ逆に励まされたことか。
町内各所に募金箱が置かれているので、私たちが募金箱を持って立つ意味は小さいかもしれません。でも、もしかして募金箱を目にする機会がない人が、たまたま私たちの募金箱を目にして、「募金しようかな」と思ってくださったとすれば…それだけで意味があったと思いたい。
東郷町役場をはじめ行政による支援が始まっています
東郷町は東海地震に備えて備蓄していたペットボトルの飲料水、毛布、マスク、消毒液を被災地に送ることを決めました。
募金箱も月曜日から設置しています。町役場はもちろん、町民会館、総合体育館、いこまい館、東郷診療所、各児童館などの出先機関にも置いています。各地の公民館や集会所にも募金箱の協力をお願いしているそうです。
東郷町の消防を担当している尾三消防組合も、救急隊とレスキュー隊を宮城県亘理町に派遣し、救急隊の第一陣が交代のために戻って第二陣が現地に入りました。
東郷町の上水道を担っている愛知中部水道企業団も職員4人とともに給水車と運搬用ワゴン車を宮城県石巻市に派遣しました。
今は、行政が持てる力を結集して被災地の救援に立ち上がるときです。それは、被災地のために何かしたい、という町民の願いに応えることでもあると思います。被災地での活動には困難が伴うと思いますが、無事に任務を果たされることと思います。
私たち東郷町議会も、1人5000円ずつ、合計10万円の募金を中日新聞社に託しました。
議会有志での募金活動も1回だけですが行いました。これからも続けたい。
選挙をやってる場合か?
被災地に限って、4月の統一地方選(県議選・県知事選・政令市議選・政令市長選は10日投票、市町村議選は24日投票)を延期することが決まりました。
日本共産党は被災地だけでなく全国で延期すべきだと主張しました。被災地以外にも停電で生活に影響が出て、落ち着いた状態で政策論争ができない、というのが主な理由です。
国会で自民党と公明党が強硬に反対したため、被災地に限っての延期となりました。
しかし決まったからには選挙に走り出さねばなりません。人々の気持ちが選挙どころではないというのは、名古屋市議選の投票率が話題のわりには低かったことから伺えます。どうやって政策を訴えていくのか。模索が続きそうです。
被災地の復興を心より願います
本当に大変な大災害です。原子力発電所の事故も心配です。しかしまだ断片的ですが、仮設住宅建設が始まったなど、復興に向けたニュースも伝わってきつつあります。一時、連絡が取れなかった庄司さんからも無事だという知らせが入りました。避難所での救援活動に奮闘されていることでしょう。
一方で、震災対策の会議中に津波に襲われて殉職された町長さんのニュースも伝わってきました。壊滅的と言われるような被災地に「復興を期待します」というのは、おこがましいことかもしれません。
しかし復興を願わずにはいられません。