東郷町議会議員 かどはら武志(日本共産党)

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東日本大震災 被災地ボランティアに参加しました

2011年11月06日 | 議員活動

 私は10月28日から31日の日程で宮城県に行き、日本共産党が行っている東日本大震災の被災地での救援ボランティアに参加しました。

救援物資を分配―毛布や食料の不足が切実

 私が行った地域では、食料品や衣類、寝具などの物資を被災者に分配することが、現時点での主な活動でした。私が参加した2日間は、宮城県亘理町と岩沼市の仮設住宅に、各地から寄せられた物資を分配しました。

 物資配布を行うときは、事前に日本共産党のボランティアセンターと地元の党支部が協力してビラを仮設住宅に配布し、お知らせします。物資の不足は切実で、私たちが物資を運んで仮設住宅に到着したときには、まだ開始の1時間前だったのにもかかわらず、もう仮設住宅の住民が集まっていたほどでした。

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写真説明 ボランティアが支援物資を広げている間にも、長い行列が=10月29日、宮城県亘理町)

 仮設住宅での物資の配布では、基本的には配布数などの限度は特に設けずに、被災者一人ひとりに、好きなものを必要なだけ持って行ってもらっているようです。しかし私が活動に参加したときには、多くの人に必要とされている物資については、各被災者に渡す数量が制限されていました。Img_4726

写真説明 毛布は、並んでいただいて1人1枚に限って配布しました=10月29日、宮城県亘理町)

 寒い季節が迫っているため希望する人が多い毛布は、1人につき1枚と決めて配布しました。食料も渡す量を決めて配布しました。

 冬物の衣服を希望する人も多かったのですが、サイズの問題などの難しさがあります。そうした中、自分に合う服を見つけた人たちは本当にうれしそうでした。私が被災者と話した中では、女性ものの下着が不足しているようです。そもそも女性ものの下着が支援物資の中に少ないということと、男性と比べてサイズが細分化されているという難しさがあるようです。

Img_4759_3写真説明 愛知県など全国各地から届けられた服から自分に合う物を慎重に選ぶ女性=10月30日、宮城県岩沼市)

 物資の配布活動では公平を心掛けつつも、簡単にはいきません。そんなとき、仮設住宅の住民から「毛布がほしい人には並んでもらった方が良い」とか「ハクサイは1個もいらないから4つに切ったらどうか。包丁を借りてくる」という提案などがあり、助かりました。Img_4757

写真説明 宮城県の日本共産党蔵王支部のメンバーが届けた新鮮な野菜が好評でした=10月30日、宮城県岩沼市)

 

いよいよ行政の役割が重要

 震災発生後から8ヵ月が経とうとしているのに、いまだに物資が欠乏しているという現実に、私は衝撃を受けました。被災地での行政機能がマヒしている状況で、ボランティアは重要な役割を発揮してきました。今後は行政機能の回復に合わせて、よりきめ細かな支援が行われることを願います。

その他の救援活動

 私の参加時には支援物資の配布活動しか行われませんでしたが、日本共産党のボランティアセンターは次のような活動も行っています。
○被災家屋の片付け
○津波で流され泥に埋まってしまった墓石の掘り起こし

 また以前には、津波のせいで泥が積もったイチゴや花の農場での泥の除去作業に、多くのボランティアが参加しました。

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写真説明 住民からの要望がありボランティアセンターが片付けることになった住宅。津波で1階部分がメチャクチャに。老夫婦だけで今まで手が付けられなかったという。下見に行き撮影=10月29日、宮城県山元町)

被災地を訪れて復興の難しさを感じる

 津波の被害を受けた地域にも行きました。駅舎やプラットホームがまるごと破壊された常磐線の駅、窓が窓枠ごとなくなっていた学校、斜めに建っている電柱など、津波の破壊力は、現場を直接見て初めて想像できたような気がします。広大な田園では、いまだにがれきの撤去作業と塩分を取り除く作業が行われています。

 事故を起こした福島第一原発から60kmの範囲にある宮城県山元町では、行政が発表する放射線量は名古屋市のものと同レベルなのに、ところどころで桁違いに高い放射線量が観測されています。ある団体のボランティアが独自に計測を行い、線量が高い場所の発見につながったといいます。住民が共産党の町会議員の協力を得て、町に独自の観測体制の強化と除染を求めています。(町は「そこまで必要ない」という態度でしたが、保育園での除染は行われることになったそうです。)

 地元の共産党議員は、「今回の震災には、地震・津波という天災に加え、原発事故という人災が起き、人類がこれまで経験したことがない困難さがある。町だけの頑張りでは解決できない。生活と生業(なりわい)の再建ができなければ復興などできないが、それには東電に責任を取らせることも含め、国の本気の取り組みが必要」と語りました。まったくその通りです。原発を再稼動させたり、TPPで被災地の農林漁業や被災者の暮らしを壊したりする政治を変えなければなりません。

 たった2日間の活動でしたが、被災された方とも話せました。自らも被災しながら住民のために奔走する地方議員の話も聞けました。このことを私の今後の活動に活かせるよう努めたいと思います。

 なお、被災地までの交通費やボランティアセンターの活動費は、みなさんからのボランティア募金で支えられています。みなさんのご協力に改めて感謝いたします。

Img_4767写真上 津波に破壊された墓地。墓石がなぎ倒されている=10月30日、宮城県山元町で撮影)

Img_4744写真下 津波に襲われた田園のがれきの撤去作業。ここで作業をしている重機は1台だけだった=10月29日、宮城県山元町で撮影)

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