東郷町議会議員 かどはら武志(日本共産党)

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2012年をふりかえる

2012年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 あと数時間で2012年も終わります。部屋に山積みになっていた紙の山を片付け終わったところです。来年こそ整理整頓ができるようになりたいものです。

 今年もいろいろありました。

日本共産党の中川雅夫議員が死去

 10月22日、日本共産党東郷町議会議員団長の中川雅夫議員が、議員活動への復帰の願いがかなわず、死去されました。

  中川雅夫さんは1983年4月の東郷町議会議員選挙ではじめて町議に立候補、当選して以来、2011年4月の選挙まで連続8期当選し、この間、町議会副議長、議会運営委員長、民生常任委員長などを歴任しました。また最初の4期では杉山スマ子元町議と、その後の4期では私とともに2人の日本共産党議員団を維持し、東郷町の共産党の“顔”でした。

 中川さんの議員としての功績を語るには、もっとふさわしい人がいるでしょうから、ここでは個人的な思いについて書いてみたいと思います。

 中川さんがいなければ、私は議員をやっていません。私の初めての選挙の前だったと思いますが、杉山さんの後継になぜ私を選んだのか、中川さんに聞いたことがあります。中川さんは「一緒に仕事をしている姿をイメージできる人はめったにいないけど、あんたと仕事をしている所なら想像できる」と答えました。私にとって一番大事な思い出です。

 また彼の自由放任の指導方針のもと、私は思う存分、活動させてもらいました。叱られたことは数えるほどしかありません。

 いまでも町に出ると、中川さんの早すぎる死を残念がる人に出会います。そんなとき、彼の存在の大きさを思います。

 中川さんが残したものをしっかり引き継ぎ、さらに発展させることが私の使命だ―そう思えば弱い私も頑張れるんではないかな、と思います。

総選挙で郷右近修氏が奮闘

 政策とか難しいことは他の人に任せます。とにかくいいヤツです。

 宮城県岩沼市の出身で、機械のエンジニアとして豊明市の会社に就職したのが、この地域との縁の始まりです。

 故郷が被災し、すぐに救援活動に行きました。また彼の出身地、宮城県南部は、福島第一原発事故の影響を強く受け、放射能のホットスポットも多く見られます。そんな郷右近さんですから、被災地にも等しく襲いかかる消費税増税を許さないという思い、原発の再稼働を許さないという決意は、他のどの候補者よりも強かったと、私は確信しています。

 また彼が候補者を引き受けたときに語った、中小企業の経営を苦しくさせる大企業による下請けいじめをやめさせ、若者の劣悪な雇用環境を改善するために、国政で働きたいという決意表明は、私の心を打ちました。 

 そんな彼を7区に立候補した4人の最下位に甘んじる結果しか残せなかったのは、私の力不足です。

18歳まで医療費無料化

 2012年1月1日から東郷町で18歳まで医療費が無料化しました。長年、「中3までの医療費無料化」の実現を求め運動してきた住民のみなさんの思いが結実しました。私たち日本共産党の公約も「中3までの無料化」でしたが、いかに私たちの要求が控えめだったことか!

 多くの住民が喜び、他の自治体からも注目される施策ですが、一方で「やりすぎ」という意見もたくさん聞くのも事実です。お年寄りの医療費の自己負担の2割への引き上げが計画され、年金も削られるなどするなか、子どもだけに偏っていると思われるのかもしれません。

 私たち日本共産党はお年寄りの医療費無料化、現役世代の1割負担への引き下げなど、国民の医療負担の軽減を展望しています。18歳までの医療費無料化は「子ども医療費無料化の完成」ではなく、「国民全体の医療費無料化」への通過点であると私は思います。

請願7件の紹介議員を引き受けた

 今年、東郷町議会に提出された請願は8件ありましたが、そのうち7件の紹介議員を引き受けました。私自身の中でも最高記録かなと思います。残念ながら全て不採択になりましたが、住民の声を議会に届ける役目は果たせました。これからも住民の声を町政に反映させるよう頑張ります。

再び被災地に

 去年は日本共産党の救援ボランティアに参加しました。 http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20111106

 そして今年10月、議会の委員会研修で被災地に行かせていただきました。 http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20121028 http://blog.goo.ne.jp/kadoharatakesijcptogo/d/20121104

 いまだに多くの被災者が仮設住宅での生活を強いられています。福島第一原発事故でいまだに16万人もの人々が故郷を追われたままです。

 2013年こそ、復興への道筋を作る政治を、党派を超えて作るべきです。

中川議員のあとを受け議会活性化特別委員会の副委員長に就任

 ご報告が遅くなりましたが、12月議会の初日の11月30日に、中川雅夫議員の死去に伴い、私が議会活性化特別委員に指名され、その後、委員の互選により中川さんが務めていた副委員長に選出されました。中川さんの仕事をしっかり受け継ぎ、議会改革の取り組みをいっそう進める決意です。

 また中川議員が務めていた日東衛生組合議会の議員の補欠選挙があり、私が議長指名により当選しました。

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 まだまだ未熟者の私ですが、来年の4月には議員生活15年目に突入します。今までは「まだ若いから」と許してもらえたことでも、これからはそうは行かないと思います。自らに課せられた使命が決して軽くないということを肝に銘じ、2013年も頑張ります。

 引き続きご指導のほど、よろしくお願いします。

今年1年、本当にお世話になりました

来年もよろしくお願いいたします

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