今日の午後、東郷町民会館で開かれた「第4回TOGO大学講座」を受講しました。
講師は元中部電力副社長・元浜岡原発所長で原子力委員も努めた伊藤隆彦氏で、演題は「原子力発電のメカニズムと安全対策」http://www.town.aichi-togo.lg.jp/syogai/event/h23togo4_chuden.html
日本の原子力発電業界の中枢にいた人の話を直接聞ける貴重な機会であり、私は10月にはチケットを買っていました。
「お詫び」を表明
これは伊藤氏の人柄によるものかもしれませんが、冒頭から「お詫び」を何度も口にされました。
「東京電力福島第一原発の事故がなぜ防げなかったのか、お詫びしたい」と発言した伊藤氏。
浜岡原発で所長をしていたとき2号機の建設が認められたそうですが、そのとき地元の方々が「一生懸命やってるから安全だと思う」と言ったそうです。
伊藤氏は「信用を裏切ってしまったこともお詫びしたい」と重ねて表明しました。
伊藤氏はその上で、
・どんな事故だったのか
・防げなかったのか
・原子力がダメだとしたらどうしたら良いのか
・専門家だけでなく市民が決めること、思い込みでなくしっかり議論を
と問題提起をしました。政府が最大60年までの原発の運転を認める案を出していますが、こうした問題意識があれば、現時点で「60年まで運転」などという案は出てこないと思いました。
2つの失敗
伊藤氏は今回の事故の経過を、原発の仕組みの説明と合わせて話しました。伊藤氏が強調したのは「冷やし続けられなかった」「放射能を外に出してしまった」という2つの失敗です。
伊藤氏は、これからはなぜこうした失敗が起きたのか、どうしたら防げたのか、などの検証が必要だと述べました。そして今回の事故は「打つ手はあったが後手に回った」のがいけなかったということから、訓練・教育が大切だと述べました。
国民的議論が必要
質疑応答で私は「失敗さえ繰り返さなければ原子力発電を続けても良いと仰っているように聞こえたが、核のごみの始末などを考えれば続けられない。この核のごみの後始末をどう考えるのか」と質問しました。
伊藤氏は「前段は質問ではなく意見として聞いたが」と前置きした上で、「私は“失敗を直せば良いだろう”ではなく、繰り返さないためにどうすれば良いかを検証すべきという立場で話したつもり。“核のごみ”は私たちはそう呼ばず使用済み燃料と呼んでいるが、核燃料サイクルの見直しを含めて議論する必要がある。アメリカは核燃料サイクルをやめて埋めることを決めた」と述べました。
私はまた「浜岡原発は止まっているが、中にはまだ燃料と使用済み燃料があるので、津波対策は必要だと思うが、この工事費は電気料金や税でまかなわず、原子力で儲けてきた人たちで負担すべきだが」との質問もしました。答えは「原発を動かさなければ必要ない工事」だとの見解を示した上で、「コストについても国民の議論が必要」だと述べました。
私の「国民的議論が必要と先生は仰るが、たとえば原発ではなく風力で、と考えても、電力の地域独占がある限り、議論はしにくいのではないか」という質問には、伊藤氏は「地域独占の見直しも国で議論されている」と述べました。
その上で伊藤氏は「私は原子力を擁護しているわけではない。思い込みはいけない。若い人たちの将来がかかっている」と述べました。
私の印象
伊藤氏は個人的にはとても誠実な印象で好感が持てました。しかし、個人的な思いからの「お詫び」などは述べても、原子力発電の推進してきた勢力全体の誠意を持った対応については述べなかったのは残念な感じがしました。
伊藤氏は、核燃料サイクルを否定せず、今後のエネルギーについて「ベストミックスも含め、国民的議論を」と述べたように、「脱原子力発電」の立場ではありません。二度と住めないかもしれない土地を生み出し、多くの避難者を出した重大事態が起こったにも関わらずです。
そして、野田首相の「収束宣言」に対し、伊藤氏は「言い方に批判的な意見もある」と述べました。事実、いまだに原子炉から抜け落ちた燃料の状態すら分かっていません。技術者として事実に誠実であろうとするならば、「ベストミックスも含めて」という原発の存続を前提とした議論のおかしさに気がつかないわけがないと、私は思うのですが。
「国民的議論」はもちろん大切です。いままでのように「安全神話」で国民を騙し続けてきたという原発推進者の姿からすれば、今日の伊藤氏の姿勢は十分誠実だと言えるかもしれません。
しかし、「原子力は人類には制御不能なエネルギー」という福島第一原発の事故からも明らかな事実をしっかり認識した上でなければ、将来の世代に対して責任ある議論にはならないと思います。
最後になりましたが、今のように脱原発の世論が強くなった時期に、市民の前で講演されたことについて、敬意を表したいと思います。