書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

トロツキイ著 桑野隆訳 『文学と革命』 上下

2012年01月22日 | 政治
 トロツキーというのは精神が痩せた人だったようだ。昆虫のような印象を受ける。精神のふくらみのなさは、いくら知識があっても、文章やレトリックを飾っても、変わるものではない。この人は革命は語っても文学を語るべきではなかった。文学はまず味わうべきもので、最初からピンセットで分類するべきものではない。

(岩波書店 1993年6月)

『中国人と日本人 ホンネの対話』(日中出版)シリーズのこぼれ話

2012年01月22日 | 地域研究
 以前、林思雲さんとメールで話をしていた際(このシリーズはこうして作った)、「中国語には日本語の『女の腐ったような』に類似する女性蔑視の表現が割合ありますね。障害者への差別表現も多い。中国は平等な社会主義社会で日本のような男尊女卑の階級社会とちがうとよく中国人は言いますが、あれはなぜですか」と訊ねたことがある。
 深夜だったこともあって、林氏の返事は翌日来た。「一晩眠れませんでした」とあった。「気が付かなかった」と。
 これは、氏一流の謙遜――ほかの同胞の欠点をおのれにひっかぶってしまう――もあるが、通常の中国人の感覚では、いつも誰かから差別され誰かを差別するのは当たり前の感覚ということらしかった。
 それにしても、聞いた私は驚いた。それは我が国の江戸時代ではないかと。そして林氏に言わせれば、官は民を蔑視し、民は民で内部で身分序列があり、順次上から下へと見下していくというのである。「等級」というのがあって、法的にも人間の尊卑は今日の中国では決まっているそうな。官の中は勿論である。特に「官」と「民」の間の懸隔が甚しいらしい。林氏の話をきいて、「鳥も通わぬ」という表現を思いだした。
 さらに、中国人の得失としてよく聞く「面子」は、どうやら下から上、あるいは同等間の関係というか配慮であって、上から下へは基本的に存在しないらしいと察した。等級(身分)が近接しているか、会社などの上司と下僚のように怒らせると自分の利害にさまざま響くという場合は別として。

王力 『王力文集』 第16巻

2012年01月20日 | 人文科学
 「语法理论(文法理論)」(本書207-352頁)を読む。
 そのなか、「逻辑和语法(論理と文法)」章(もと1940年『国文月刊』1巻2期掲載)で、ここでいう逻辑=論理・ロジックが、まごうことなく形式論理を専ら指していることを確認。
 「普通話」や「北京語」といわずに「北平話」と書いているところに時代を感じるが、その「北平話」のロジックが形式論理であることは自明とされている。もっとも、王力は、西洋の文法をそのまま当てはめるべきではなく、北平語(もしくは伝統的な漢語)の言語的な習慣も重視しなければならないと言うのだが、その普遍と特殊の線引きの基準と場所がはっきりしない。王力は、漢語には時制・人称・数の区別が基本的に存在しないことはその習慣であるとする。しかし、形式論理に従えば、これらは不合理以外の何者でもない。
 
(山東教育出版社 1990年5月)

高田昭二 『中国近代文学論争史』

2012年01月20日 | 東洋史
 五・四運動は勿論扱われているが、いまさらながらに今昔の感。当時は儒教は「人を食う教え」、中国の近代化を阻む最大の障碍などと徹底的に攻撃され、その始祖の孔子ともども「打倒孔家店」と、さんざんの目にあった。ところが今はどうか。孔子は世界の大国中国の誇りであり、儒教は世界に広めるべき教えである。
 五・四運動までいかずとも、文革中の「批林批孔運動」を経験・参加した中国国民は、まだまだ社会の中核を担っている。ところが、いまは党と政府の豹変に合わせて、おのれの意見を変えている。端から見ていて恐ろしいのは、それを何とも思わないらしい人が多いように見えるところである。自他の言動が前後撞着していることを知っているうえでニヒリズムに陥っているのならまだしも、矛盾していることにすら気が付いていない人がいるらしいのは、実に理解を絶するし、恐ろしい。政府のそのときどきの方針(政策)に合わせて、本心から自分の思想を変えてしまい、それを怪しまない精神というのは。
 ところで、五四運動のときの知識人というのは、みな使命感から新学問をしていたのかな。そんな感じがする。梁啓超、陳独秀、魯迅などなど。みんな好きで勉強したわけじゃないのか。

(風間書房 1990年1月)

琉球政府編集 『沖縄県史』 第15巻 「資料編5」

2012年01月20日 | 東洋史
 琉球処分関連資料(公文書およびそれに準ずる書簡)の巻。
 「琉球処分」の“処分”については、福澤「脱亜論」の末尾のくだりとからめて、これまで何度もあれは「処理」「処置」「対処」という意味だと言ってきたが、何の反応もないので、こんどは理論的にではなく、同時代の実例を調べてみようと思い立った。
 この巻にはいくらも実際の使用例がある。正確を期すためには私の後を慕って全巻読んでもらうしかないが、敢えて実例を一つだけあげれば(いくら挙げても解るつもりのない人は解るつもりはないから)、おおどころで大久保利通から三条実美への「琉球藩処分方之儀伺」(本書24-25頁、明治八年5月8日付。当時大久保は内務卿、三条は太政大臣)。(参考としてこちら。)これは別に琉球=沖縄の侵略や分割を策したものではなく、清との外交関係を睨みつつ、沖縄に対してどのような政策を採用すべきかを具体的に(主として行政の立場から)論じたものである。

(国書刊行会 1989年10月)

翻訳論

2012年01月20日 | 思考の断片
 翻訳者の適性を測る目安の一つとして、訳注の精粗があると思う。注を付けることに対する熱意の度合いといっていい。なぜか。
 これで、先ず、訳者がどの程度の読者層(知識、思考、年齢、学歴)を想定しているかが、分かる。
 そして次に、その想定した読者層に対して、原書の情報にどれだけの補足情報を足せば原書の世界を十分に理解してもらえると判断しているかが、判る。
 そして最後に、その己の設定した訳注の達成目的のためにどれだけ努力したか(宮崎駿監督の言葉を借りれば“にじり寄る”べく苦闘したか)が、ここで判る。
 訳注作業をないがしろにする訳者は、語学者としては優れているかもしれないが、翻訳者としては向いていない。これは断言できる。繰り返して言うが、これは翻訳対象とする外国語についての能力には関係ない。ぺらぺらでも通訳として不適な人はいくらもいる(むしろその方が多かろう)。それと同じである。
 はっきりいえば、原文をただ日本語に訳するのは、“翻訳”という全体作業のなかでは直訳あるいは下訳過程に過ぎない。翻訳そのもののとっかかり、始まりにすぎないとさえいっていい。(ただしこれは人文科学系のそれの話であって、社会科学あるいは自然科学では、原文の転換だけで終わる翻訳も多いだろうと思う。)
 話を戻す。すくなくとも人文系の翻訳では、ここまでは基礎作業である。これから後こそが、私に云わせれば“翻訳”の本体である。しかしまた、人文系の常として、本体であるがゆえにそれは各人のスタイルというかセンスの世界であり、人によって異なってくる。たとえば、何を割注にし、何を脚注にするか、章末(巻末)にかためて置くか、或は否か等々。だだし、これら全ての基準が、己の知識と勉強ぶりを誇示するためではなく、どうすれば少しでも読者の理解により便となるかであること、言うまでもない。
 注とは、オノレの博識を誇るためにあるのではない。この鉄則を忘れないか否か。さらに実施徹底できるかいなかで、翻訳者の質は分かれるだろう。極論をいえば、翻訳者の本領にして勝負所は、訳注にあると言っても過言ではないのではないか。これが私の翻訳観である。
 まあ、ここまでくればもはや芸の世界といってもいい。賛同してくれる同業者も依頼客も滅多にいない。「そこまで求めていない」。それはそうで、こっちが行きすぎなのである。”たかが”翻訳に、「末路哀れは覚悟の前」(4代目桂米團治)を持ちだすほうが、おかしい。そのことも解っている。しかし・・・。

「サイエンス2.0」 を読んで

2012年01月19日 | 人文科学
▲「池田信夫 blog part 2」2012年01月19日 11:40。
 〈http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51768924.html

 自然・社会科学のことは知らないが、人文科学の論文には、査読はいらないかもしれない。すでに相互査読のようなものだし、あっても、つまるところ根拠さえ押さえておけば解釈の違いということで、結局はけなしあい、足の引っ張り合いになると内輪話を聞いたことがある。
 その内輪話がどこまで正しいのかはしらないが、そもそも解答が一つではない人文科学、さらに演繹を使わず帰納ばかりを専らにする歴史学(私が知るのは東洋史学)なら、ありうべき話だろうと思った。(ついでに言えば文献史料を重視しないポストモダン系の歴史学派では、この傾向が一層甚しいらしい。)
 私は翻訳をしているが、翻訳というのは人文科学よりもさらに客観的な判断基準がない。あからさまに文法的に誤訳してなければ――あるいはよしんばそうであったとしても――、「文脈を踏まえた意訳」「文学的見地からの超訳」などと、いくらでも弁護できるし、またそれらの弁護には一理あることが多い。というか、私もそうだが大抵の翻訳者は「この原文にはこの訳文こそ」と、信念とそれを支える根拠をもって仕事をしているので、それぞれが正しいといえば正しいといえるのである。
 ここで話はまた元に戻るのだが、解が複数ありえる(あるいはその状態と好しとする)学問分野では、査読は基本的に必要ないと、私は思う。論文発表後の相互批評・批判あるいは論争で十分だろうと思うが如何。

YouTube で田中慎弥氏ノーカット会見を見る

2012年01月19日 | 芸術
「『石原知事に逆襲』芥川賞の田中氏ノーカット会見(12/01/18」
 〈http://www.youtube.com/watch?v=E6cSNDAqJvA

 演技もあると思うが、この人は、自分でも言うように、本当に礼儀知らずなのだろうと思った。
 しかしそれだからといって、有田芳生氏のように、「シャイで正直」と褒めるのはおかしくはないだろうか。「シャイで正直」なら「無礼」でもいいというのは、違うだろう。
 もっとも、田中氏が礼儀知らずだからいけないという気は私にはない。芸術家が、世間のルールを弁えていなければならない義理はない。社会性はあったほうが何かと実生活において都合はよいが、なくても別に構わないくらいのものではないか。作品(結果)が全てだから。基本的にプロはそうだろうが、創造性至上の芸術家はとりわけそうでは。プロとは、「それで生活している人間」という定義があるが(たとえば柳沢きみお氏。『大市民』シリーズにおける)、では、勤め人を、プロのサラリーマンというか。アルバイトでとにかく暮らせている飲食店店員を、接客業のプロというか。簡単にいえば、マニュアルに従って仕事をする、考える、生きる人間を、「プロ」と呼んで良いのかと言う問題である。特に芸術家においては、かえって常識なく性格的にも破綻している人間のほうが、傑作を生み出せるかも知れない。
 そんな人間と、世間の側は厭なら会わなければいいし、芸術家のほうは迫害されたくなければ表に出なければいい。お互いに不幸な目に遇うだけだろうから。もっともこの勝負、芸術家のほうが分が悪いだろう。”末路哀れは承知の上”の道であるが故に。