書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「Chinese: What is the Chinese language?」 を読んで

2012年01月03日 | 
▲「The Economist」Dec 13th 2011, 21:34 by R.L.G.
 〈http://www.economist.com/blogs/johnson/2011/12/chinese

  Chinese is not a language but a family; the "dialects" are not dialects but languages.

 まさにそのとおりです。同じ文字(漢字)を使うから北京語と広東語が同じ言語だというなら、同じ楔形文字を使うからシュメール語とアッカド語は同じ言語だと言えるか(反語)。

J. Todd Reed/Diana Raschke 『ETIM』

2012年01月03日 | 現代史
 副題「China's Islamic Militants and the Global Terrorist Threat」
 きっちり読了。
 東トルキスタンイスラム運動(Eastern Turkistan Islamic Movement:ETIM)Foreign Terrorist Organizations (FTOs)リストに入っていないのは、米国政府が中国政府のETIMに関する情報や宣伝をそのままに信じていないことの証左だそうである。公式的な理由は、「米国の国民および国家の安全(国土防衛、外交、または経済的関係)に対して確実に脅威となる」という基準において、「その危険性はリストに加えるほどではないと判断される」というものである(本書105頁、国務省役人の2009年議会公聴会における答弁)。ただ別の箇所では、根拠は示されないが、米国が ETIM をFTO として認定してしまうと、徹底的に弾圧しても問題にしないというメッセージを送ったと中国が解釈して、その結果、新疆地域の緊張をより激化させることになるのを懸念してのことともしている(本書98頁)。
 なおこの本、「前書き Preface」によれば想定される読者は米国の防衛・情報関係者だそうだ。だから中国・ウイグル両者にとって、身も蓋もないことがたくさん書いてある。これまで私がここで書いてきたようなこと。

(California: Praeger Pub, June, 2010)

遇羅克の言ったこと

2012年01月03日 | 現代史
 「出身論」原文〈http://obelia2.blogspot.com/2009/05/blog-post.html
     日本語訳(前半)〈http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/fda3463278457e60f2a5c683ed9851c9

 中国の血統論はやはり血統による「資格」(身分)を云々するものであった。金一族の権力継承を正当化する北朝鮮の“血統論”のように、血統ゆえの先天的な「資質」を云々するものではない。かえってそれを批判した遇羅克の「出身論」のほうが、個人的な「資質」と努力とを全面に押し出す格好になっている。
 譚力夫「血統論」とは、「老子英雄兒好漢/老子反動兒混蛋/基本如此」(親父が英雄なら息子は英雄、親父が反動なら息子はクズ、基本はこうだ)というだけの、本来ならば“論”というに値しない、いわば便所の落書きのようなものである。(実際、壁に貼られた紙の上に書かれたもので、本当に落書きであった。しかもこれは親父の七光りで出世した譚が、自分の享受する特権を正当化するために書いたという、じつに卑近な事情から生まれたものだった。自分にはその資格があると。)
 それに対する遇羅克は、それを意図してかどうかまではわからないが、譚の主張を一般論としてとらえ、それは間違っているという主張を展開した。血統あるいはもう少しひろく採って家庭環境よりも、また本人の資質、そして努力、つきつめればこうありたいと自分の人生のありかたを選び取る個人の意思こそが、その人間の何たるかを形成すると。
 もっとも遇は、最初に「社会の影響」のほうが「家庭の影響」よりも大きいという主張を持ってくるのだが、全文を読んでいると、どうもこれは共産主義者、毛沢東主義者としての冒頭宣誓の類ではなかったかと思える。一応の会釈とか果ては煙幕とまではいわない。遇は本当にそう思っていただろう。だが、正直なところは第一の重点ではなかったのではないかという印象を受けるということである。

  朋友的琢磨,領導的教導,報紙、書籍、文學、藝術的宣傳,習俗的熏染,工作的陶冶等等,都會給一個人以不可磨滅的影響,這些統稱社會影響。
 (友人との切磋琢磨、指導者の指導、新聞・書籍・文学・芸術の宣伝、社会の習慣の影響、仕事での訓練など、そのどれもが個人に、決して消えさることのない影響を与える。これらを総称して社会の影響という。)

 というくだりを読むとき、その感を強くする。

  即使是家庭影響,也是社會影響的一部分。一個人家庭影響的好壞,不能機械地以老子如何而定。英雄的老子,反動的媽媽,影響未必是好的。父母都是英雄,子女卻流於放任,有時更糟糕。父母思想好,教育方法如果簡單生硬,效果也會適得其反。同樣,老子不好,家庭影響未必一定不好,列寧就是例證。總之,一個人的家庭影響是好是壞,是不能機械地以出身判定的。出身只是家庭影響的參考。
 (家庭の影響なるものもまた、社会の影響の一部なのである。個人にとって家庭の影響のよいか悪いかで、親父がどうであれば息子も同じなどと機械的に言えるものではない。親父が英雄でも母親が反動だったら、その影響は必ずしもよいとは限らない。父母がともに英雄であっても、子女が放置されたら、そうでない場合よりもひどいことになりかねない。父母の思想がよくても、教育方法が粗末で融通の利かないものであれば、やはり逆効果となるだろう。同様に、親父が悪くても、家庭の影響は必ずしも悪いとは限らないのである。レーニンがそのいい例である。つまり、個人の家庭の影響のよしあしは、機械的に出身で判断することはできないのだ。出身は、家庭の影響の参考にしかすぎない。)


 「つまり、」遇羅克は「氏より育ち」と、現代人として常識的なことを言って殺されたのだった。

張志新の言ったこと

2012年01月03日 | 抜き書き
 陳少京「張志新冤案還有新的秘密(摘要)」より。「ウィキペディア」「張志新」項に紹介されている張の主張に該当する彼女の原発言部分。太字は引用者による、引用者がとくに感銘を受けた部分。

  中國共產黨從誕生以來,及在新中國建立初期前的各個歷史階段中,毛主席堅持了正確路線。尤其是,1935年遵義會議以后,樹立了毛主席在黨內的領導地位,結束了第三次“左”傾路線在黨中央的統治,在最危急的關頭挽救了黨。毛主席在黨的歷史發展中的豐功偉績是不容否定的。但我認為,在社會主義革命和社會主義建設階段中,毛主席也有錯誤。集中表現于大躍進以來,不能遵照客觀規律,在一些問題上超越了客觀條件和可能,只強調了不斷革命論,而忽視了革命發展階段論,使得革命和建設出現了問題、缺點和錯誤。集中反映在三年困難時期的一些問題上,也就是三面紅旗的問題上。  
  把觀點明確一些講,就是認為毛主席在這個歷史階段犯了“左”傾性質的路線錯誤。
  〔中略〕毛主席在大躍進以來,熱多了,科學態度相對地弱了;謙虛少了,民主作風弱了;加了外在的“左”傾錯誤者的嚴重促進作用。


  過去封建社會講忠,現在搞這個干什么﹗搞這玩意干什么﹗再過幾十年的人看我們現在和黨的領袖的關系,就像我們現在看從前的人信神信鬼一樣不可理解。

  無論誰都不能例外,不能把個人凌駕于黨之上。

  對誰也不能搞個人崇拜。