書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『中国人と日本人 ホンネの対話』(日中出版)シリーズのこぼれ話

2012年01月22日 | 地域研究
 以前、林思雲さんとメールで話をしていた際(このシリーズはこうして作った)、「中国語には日本語の『女の腐ったような』に類似する女性蔑視の表現が割合ありますね。障害者への差別表現も多い。中国は平等な社会主義社会で日本のような男尊女卑の階級社会とちがうとよく中国人は言いますが、あれはなぜですか」と訊ねたことがある。
 深夜だったこともあって、林氏の返事は翌日来た。「一晩眠れませんでした」とあった。「気が付かなかった」と。
 これは、氏一流の謙遜――ほかの同胞の欠点をおのれにひっかぶってしまう――もあるが、通常の中国人の感覚では、いつも誰かから差別され誰かを差別するのは当たり前の感覚ということらしかった。
 それにしても、聞いた私は驚いた。それは我が国の江戸時代ではないかと。そして林氏に言わせれば、官は民を蔑視し、民は民で内部で身分序列があり、順次上から下へと見下していくというのである。「等級」というのがあって、法的にも人間の尊卑は今日の中国では決まっているそうな。官の中は勿論である。特に「官」と「民」の間の懸隔が甚しいらしい。林氏の話をきいて、「鳥も通わぬ」という表現を思いだした。
 さらに、中国人の得失としてよく聞く「面子」は、どうやら下から上、あるいは同等間の関係というか配慮であって、上から下へは基本的に存在しないらしいと察した。等級(身分)が近接しているか、会社などの上司と下僚のように怒らせると自分の利害にさまざま響くという場合は別として。