書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

余傑氏へ

2012年01月15日 | 現代史
▲「RFA(Chinese)」2012-01-13,「异议作家余杰在RFA总部接受专访(视频)」
 〈http://www.rfa.org/mandarin/duomeiti/tebiejiemu/yujie-01132012173107.html

 キリスト教者であるこの人に訊いてみたい。貴方のいう「自由」とは、善なる目的を把握しそこへの正しき達成方法を選択できる理性の自由なのか、それとも好きなことが好きなようにできる意思の自由なのかと。

これも「言うたらあかんこと」だったか

2012年01月15日 | 地域研究
 以前、ある中国研究会で、中堅どころのチベット研究者の発表後、その質疑応答時に、「アムドはわかりませんが、カムは、チベット“解放”前に自分をチベットの一部だという意識を持っていたのですか。彼らは、1947年時点で、ずいぶん中央チベット(現在のチベット自治区にほぼ相当)から差別を受けていて、しかも自分たちはカンパ人であって中央チベット人とは違うという意識を持っていると、木村肥佐生はその現地踏査記〈注1)で述べていますね」と質問したら、大げさに言えば、場が凍り付いた。
 
 注1。『チベット潜行十年』(中公文庫、1982年7月)、208頁。

 さらにいえば、その木村と同時期にチベットで諜報活動を行っていた西川一三も、今度は逆の方面から、中央チベット人がいかにカンパ人を蔑視しているかを経験に基づいて記録している(注2)。

 注2。『秘境西域八年の潜行』(中公文庫、全3巻、1990年10月-1991年1月)下巻、313-314頁。

 木村はさらに、このあたりの住民はみな中国側へ移住したがっているという現地カンパ人の証言を記録している(同上頁)。


「イヴァン4世の母親エレーナ・グリンスカヤの復原された顔」

2012年01月15日 | 地域研究
 〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A4

 息子があれほどこっち系の顔なのに、このペロンとした無個性な白人顔はなんだろう。まるでアルカイック期ギリシャ彫刻のようである。本当に頭蓋骨に忠実に復原したのかと疑いたくなる。

「Two Shot After Self-Immolation」 を読んで

2012年01月15日 | 思考の断片
▲「RFA (English)」2012-01-14, reported by RFA's Tibetan service, translated by Karma Dorjee Written in English by Parameswaran Ponnudurai.
 〈http://www.rfa.org/english/news/tibet/burn-01142012115641.html

 こうしてみると、チベット人に対しては、現地中共当局のやっていることは「虐殺」と称んでいいかもしれない。
 どうやら国家の政策としても、「同化」から「民族絶滅」あるいは「民族浄化」へとシフトしつつあるようにも思える。
 以下は、私の推測である。仮説と呼んでもいい。
 ひとつには、「解放」後60年、ダライ・ラマ14世亡命後50年もの時が経つのに、チベット人が予想に反して遅々として“馴致”されないという現実があるのではないか。中国人(とくに現地の)は、苛立ち、精神の平衡を失いつつあるのではないか。
 いまひとつは、中国人(毎度くどいが漢人のことだ)が、ウイグル人よりもチベット人を、より一層蔑視しているが故ではないか。はっきりいえば、ウイグル人(纏頭=チャントウ・頭に布を巻き付けた奴)は、まだ人間の裡だが、チベット人は前にも書いたが「半人半獣(半分畜生)」だというもともとの認識の差が、この処遇の差に出ているのではないか。

「朝鮮中央通信社論評、 卑劣な連中の醜悪な謀略・中傷」(平壌1月14日発)

2012年01月15日 | 
 〈http://www.kcna.kp/goHome.do?lang=jpn〉 

 南朝鮮(韓国)が卑劣醜悪なら、あなたがたは粗野野蛮でしょう。野卑と言ってもいい。まったく、韓国はおろかさらに品のない中国でも掲示板(「なにやら論壇」)あたりでしかみられない下品な言葉遣いを、国営メディアが平気でするのだから。
 以下引用。

【平壌1月14日発朝鮮中央通信】われわれに対する南朝鮮かいらいの謀略宣伝が、これ以上我慢できない境地に至っている。

昨年12月の哀悼期間、李明博逆賊一味の御用メディアは、父なる総書記の逝去の時間と場所をめぐって無作法にも罰当たりなほらを吹いた。

弔意の場で流す涙は「強要された悲しみで、演出されたもの」だの、何のと言ってわが人民の高潔な血の涙を冒とくした。

それにも満足せず、今やわれわれが「追悼行事の際、泣かない住民を収容所に送ったとし、脱北を試みる場合、3代を全滅させろと軍部に命令した」という歯ぎしりする謀略・中傷まで流している。

同じ天のもとで生きることをやめた背徳漢らの身の毛のよだつ妄動にこみ上げる憤激を禁じ得ない。

特に、謀略報道の時点をわれわれの大赦令発表日と一致させ、その内容も大赦令と巧妙に対峙させたのは悪態と虚偽ねつ造に長けている卑劣な連中だけが働ける悪行である。

逆賊一味はわれわれの一心団結を何よりも恐れ、ねたむため大赦令の真髄を骨抜きにし、人民大衆中心の朝鮮式社会主義を謗ろうと、このようにでたらめな謀略宣伝に熱を上げているのである。

今回の哀悼期間は、世界が指導者と軍民の渾(こん)然一体をなした朝鮮の一心団結の真の姿が分かる衝撃的な契機であった。

反共和国騒動に狂った逆賊一味は、わが軍隊と人民の血の涙の重さを死んでも理解することができないし、その歪んだ口から正しい言葉が出るはずがない。

綿入れとえり巻きでとめどなく降りしきる雪を防いで領袖の霊柩車の後をついていく軍民の限りなく純潔な衷情の世界を人間であることをやめた連中がいかにして想像さえできようか。

百回生まれ変わっても、民族の構成員になれない天下の人間のくずらである。

いかほどであれば、ロシアをはじめ各国の人士らがかいらいの謀略宣伝を断固と否定することによって、世界の前で憤怒の良心宣言をしたであろうか。

敵対勢力の醜悪なざまを見るわれわれとしては憎悪を超えて勝利の信念が百倍になる。

われわれは過去と同様、今後も永遠に誰が何と言ってもわれわれの一心団結をあらゆる面から強化し、すでに選択した道に沿って揺るぎなく進むであろう。

世の中の悪口集を集めておいて誹謗・中傷に血眼になって狂奔する李明博逆賊一味は、正義と真実の最も恐ろしい天罰を受けるであろう。

わが軍隊と人民は、最高の尊厳まで触れながら一心団結に泥を塗り、いわゆる「変化」を誘導してみようとする逆賊一味を代々孫々、最後まで追跡して最も身震いするように懲罰するであろう。---

ツイッターから続き

2012年01月15日 | 思考の断片
 リチャード・チェンバレンで思いだしたが、この人がアラミスを演じた映画の『三銃士』と『四銃士』は観たが、『新・三銃士』(『二十年後』の映画化)はまだ観ていない。大デュマ作『ダルタニャン物語』の第三部『ブラジュロンヌ子爵』の大半はつまりは『鉄仮面』で、『仮面の男』などで映画化されているが、中間の第二部、フロンドの乱を舞台にしたこの『二十年後』だけ、まだ映画で観たことがない。
 私は中学生のころ、『ダルタニャン物語』(鈴木力衛訳、講談社)にはまっていた。第一部『三銃士』だけは生島遼一訳(角川文庫)で、あとは鈴木訳で楽しんだ。別に他意はない。最初に手に取ったのが生島訳だったから。ただ、鈴木訳になると、主人公たちが「・・・だぜ!」という言葉遣いになるその違和感にちょっと苦しんだ。