再読。
この書は、侯外廬主編『中国思想通史』とはちがい、清末民国初期(1840年-1919年)までをカバーしている。しかしながら、それでも原子唯物論(原子論)は出てこないし、中国の「気一元論」に対する後世の見地からの評価もない。
たしかに、『百度百科』の「素朴唯物主義」項と同様の、批判めいたものは見られる。
夏・商・西周期,農業・青銅・陶磁などの生産技術が,原始社会とくらべて大きく向上した.農業生産と密接な関係がある学科――天文・数学・物理学なども,初歩的な進歩をとげた.だが古代の諸科学は依然として経験の蓄積・整理という感性的な段階に留まっており,当時の人びとの自然法則に関する知識はいまだ理性的な認識の段階に達しておらず,また到達不可能でもあった.素朴弁証法思想を有する“五行”“八卦”などの学説が当時,経験の蓄積や整理を基礎として出現した.それらは中国後世の科学技術の発展のため一定の影響を及ぼしたが,歴史的条件の制約もあって,それ自体濃厚な神秘主義や唯心主義の要素を帯びていたことも否めない. (「第2章 技術と科学知識の蓄積」「小結」、上巻79頁)
しかし万物の構成元素を“気”とすることが、間違っていたこと――あるいは原子と異なりいまだにその存在が実証されていないこと、そして現代の科学が古代西洋の原子唯物論を原理としまたその基礎とすること――については、一言も触れられていないのである。
近代中国の科学技術が長期にわたって立ち遅れた根本の原因は,中国の長期の封建制度の束縛のいたすところにあり,近代科学がヨーロッパにて誕生した根本の原因も,新興の資本主義制度がまずヨーロッパにて起こった結果にほかならない,というのがそれである. (「結語」、下巻647頁)
今回は再読であり、前回からさらに前へ進まねばならない。
前回の結論は、「本気でこんなことを書いているのなら、なぜ中国が近代化できなかったかなど、永久に解らないだろう」というものであった。
この書には、前回引用した上記部分の他、中国の科学文明が西洋に立ちおくれた原因として、以下の分析もなされている。
中国の自然科学は16-17世紀をもって,自らの学的優位を覆され,後進の位置に貶められたのである.‘西洋に落後し’た理由は,中国の資本主義がヨーロッパのように迅速に発展せず,社会生産の迅速な発展から来る科学への切迫した要求がなかったところにある.(「第8章 伝統科学技術の緩慢な発展」、下巻516頁)
そもそもの仮説がまちがっていたのだから、いくら「中国の資本主義がヨーロッパのように迅速に発展」し,「社会生産の迅速な発展から来る科学への切迫した要求が」あったとしても、伝統中国の科学文明が西洋のそれと同じ水準にまで進歩することは決してなかっただろう。早い話が、気一元論では、真空の存在さえ認められないのだから。西洋の古代ギリシア時代以下、よくいって17世紀以前である。
これらを承けての今回の結論は、これである。
「気一元論」に対する(おそらくは政治上からの)曖昧な評価を精算しないかぎり、中国は現代科学を根底から受用できない。原理を理解せずして、模倣とパクリと応用とそれに連なる部分的新開発はできるだろう。しかし新発明/発見や新理論の創出、まったき新開発は無理である。だから中国は永遠に米国に比肩する超大国にはなれないだろう。かつてのソ連の位置にも及べない。
中国では「気一元論」を否定することはやはり「全盤西化」であり、「和平演平」を企む西側の陰謀であるという理屈で、その後進性を批判するものの、完全な否定はしないのだろうか。中国特色の唯物論として。その誤謬であることを確言しないから、天人感応説(天人合一説)を中身に、19世紀の社会科学を外皮に、中国人の心性において物理法則と倫理原則(或いは主観と客観)の未分化状態がいまだに続いているのである。その挙げ句に、「風水は中国特色の自然科学である」などという世迷い言が国営メディアで堂々と主張されるようになる。
(東京大学出版会 1993年2・3月)
この書は、侯外廬主編『中国思想通史』とはちがい、清末民国初期(1840年-1919年)までをカバーしている。しかしながら、それでも原子唯物論(原子論)は出てこないし、中国の「気一元論」に対する後世の見地からの評価もない。
たしかに、『百度百科』の「素朴唯物主義」項と同様の、批判めいたものは見られる。
夏・商・西周期,農業・青銅・陶磁などの生産技術が,原始社会とくらべて大きく向上した.農業生産と密接な関係がある学科――天文・数学・物理学なども,初歩的な進歩をとげた.だが古代の諸科学は依然として経験の蓄積・整理という感性的な段階に留まっており,当時の人びとの自然法則に関する知識はいまだ理性的な認識の段階に達しておらず,また到達不可能でもあった.素朴弁証法思想を有する“五行”“八卦”などの学説が当時,経験の蓄積や整理を基礎として出現した.それらは中国後世の科学技術の発展のため一定の影響を及ぼしたが,歴史的条件の制約もあって,それ自体濃厚な神秘主義や唯心主義の要素を帯びていたことも否めない. (「第2章 技術と科学知識の蓄積」「小結」、上巻79頁)
しかし万物の構成元素を“気”とすることが、間違っていたこと――あるいは原子と異なりいまだにその存在が実証されていないこと、そして現代の科学が古代西洋の原子唯物論を原理としまたその基礎とすること――については、一言も触れられていないのである。
近代中国の科学技術が長期にわたって立ち遅れた根本の原因は,中国の長期の封建制度の束縛のいたすところにあり,近代科学がヨーロッパにて誕生した根本の原因も,新興の資本主義制度がまずヨーロッパにて起こった結果にほかならない,というのがそれである. (「結語」、下巻647頁)
今回は再読であり、前回からさらに前へ進まねばならない。
前回の結論は、「本気でこんなことを書いているのなら、なぜ中国が近代化できなかったかなど、永久に解らないだろう」というものであった。
この書には、前回引用した上記部分の他、中国の科学文明が西洋に立ちおくれた原因として、以下の分析もなされている。
中国の自然科学は16-17世紀をもって,自らの学的優位を覆され,後進の位置に貶められたのである.‘西洋に落後し’た理由は,中国の資本主義がヨーロッパのように迅速に発展せず,社会生産の迅速な発展から来る科学への切迫した要求がなかったところにある.(「第8章 伝統科学技術の緩慢な発展」、下巻516頁)
そもそもの仮説がまちがっていたのだから、いくら「中国の資本主義がヨーロッパのように迅速に発展」し,「社会生産の迅速な発展から来る科学への切迫した要求が」あったとしても、伝統中国の科学文明が西洋のそれと同じ水準にまで進歩することは決してなかっただろう。早い話が、気一元論では、真空の存在さえ認められないのだから。西洋の古代ギリシア時代以下、よくいって17世紀以前である。
これらを承けての今回の結論は、これである。
「気一元論」に対する(おそらくは政治上からの)曖昧な評価を精算しないかぎり、中国は現代科学を根底から受用できない。原理を理解せずして、模倣とパクリと応用とそれに連なる部分的新開発はできるだろう。しかし新発明/発見や新理論の創出、まったき新開発は無理である。だから中国は永遠に米国に比肩する超大国にはなれないだろう。かつてのソ連の位置にも及べない。
中国では「気一元論」を否定することはやはり「全盤西化」であり、「和平演平」を企む西側の陰謀であるという理屈で、その後進性を批判するものの、完全な否定はしないのだろうか。中国特色の唯物論として。その誤謬であることを確言しないから、天人感応説(天人合一説)を中身に、19世紀の社会科学を外皮に、中国人の心性において物理法則と倫理原則(或いは主観と客観)の未分化状態がいまだに続いているのである。その挙げ句に、「風水は中国特色の自然科学である」などという世迷い言が国営メディアで堂々と主張されるようになる。
(東京大学出版会 1993年2・3月)