書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

翰光(ハングァン) 『亡命 遙かなり天安門』

2012年01月11日 | 現代史
 科学研究にイデオロギーがあってはならないし、政治の介入があってはなりません。西洋でも宗教が科学の発展の大きな妨げになっていました。中国には〔ママ〕そのことがまだ理解できていません。必ずマルクス主義による指導が必要などという。マルクス・レーニン主義がどうやって科学を指導するというのです。しれから毛沢東思想による指導。毛沢東思想がどうやって科学を指導するのです。これはまったく愚昧さをさらけ出しているようなものです。
 そのようなものを固持すれば、科学を発展させることはできません。そして科学の発展なくして近代化はありえません。近代化の実現には様々な要素がありますが、科学は絶対に不可欠です。科学を発展させるには、縛りの少ない環境が必要になります。ですから、自由な環境、民主的な環境を要求しているのです。
(方励之「第2部 天安門事件の証言」「第6章 高まる学生運動――方励之」本書128-129頁。段落は引用者が施した)

 中国になぜ自由と民主が必要かについて、政治改革との関わりをおもに科学の発展=近代化の面から説明した、私のしるかぎり殆ど唯一の説明。
 中国民主派がこの説明をできないのは、彼らはイデオロギーとしてのマルクス・レーニン主義および毛沢東主義(あと小平理論と並べて、江沢民の「3つの代表」思想も入るだろうが)に反対しているだけで、科学研究にイデオロギーによる指導や政治の介入があることの不可を理解していないし、当然だとも思っているからであろう。こんな簡単な道理が判らないのはそのためであるとしかかんがえられないだ。そして彼らにとっては「自由」と「民主」がイデオロギーの定理であるがゆえに、どうして大事なのか理論的に、あるいは自分の言葉で説明できないのである。

 ニュートンが定理を考え出したとき、〔小平の〕「四つの基本原則」がありましたか。まったく無関係です。 (同上、129頁)

 同じように、日本のオールドタイプの戦後中国研究者のおおかたも、体質的に同じだからこの簡明すぎる道理に気が付かなかったのだろう。
 方氏は、そのような人々を、自分の頭でかんがえない権威主義的な人々であるとも言う。

 権威あるものを信じてはいけない。アインシュタインであっても間違いはあります。誤りは無批判に何かを信じ込むことで生まれます。どんなことでもよく考えてみる力を養い、とことん考えるところから、少しずつ科学は発展するのです。教育の優れた点は自ら思考する力を養い奴隷根性を持たないように教えるところ、型にはまる人間にならないよう教えるところです。だから彼ら〔中国の党と政府〕の方針と衝突したのです。
 (同上、129頁)

 以下は、私が常々かんがえ、ここにも書いている内容と、ほとんど同じである。太字は引用者。

 中国には科学が必要です。それも西欧的科学が。伝統的科学ではありません。伝統的科学は無論必要ですが、西欧的科学も絶対取り入れなければならない。〔略〕西欧的科学は全世界のどこをも統括するものだからです。現代物理学もそうですし、天文学はもっとはっきりしている。〔略〕物理も数学もずっと先進的です。発展の成果を中国が導入しなければ、近代化は果たせません。そして科学を発展させるには、国外から導入する必要があるだけでなく、自分たちで人材を育てる必要があります。 (同上、131-132頁)

 じつはこのあと、「党はそれもわかってきました」という方氏の言葉が続くのだが、これについては私には異論がある。もちろんわかっている人もたくさんいるだろうが、わかっていない人もまた多いのではないか。そしてわかっているとしても、そのためには「科学研究にイデオロギーがあってはならないし、政治の介入があってはなりません」ということをわかっている人間は、ほんの一握り程度しかいないのではないか。
 中国(小平)は、方氏のこのような考え方を「ブルジョア自由化」と呼んで氏を党から除名した。現在の中国はやはりこのような「科学研究にイデオロギーがあってはならないし、政治の介入があってはなりません」という態度を、「全面的西洋化」と呼んで拒否している。私と方氏の中国観は、ここで分かれる。

(岩波書店 2011年6月)

「Tibetan Villagers Clash With Police」 を読んで

2012年01月11日 | 地域研究
 〈http://www.rfa.org/english/news/tibet/clash-01102012141022.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

 むかし、20年近く前、厳家其(いま祺)氏の『聯邦中国構想』(明報出版社 1992年5月)を、思い立って訳した。いろいろな出版社に原稿を持ち込んだが、ことごとく拒否された。「これからの中国ものは経済ものなので」という理由が多かったが、「訳者が無名だから」というのも多かった。ある編集部から「出版事情が厳しいので基本的に依頼原稿しか受け付けません。御了解を」という丁寧な返事をいただいたので、その他の木で鼻を括ったような、いわば無礼な応対も納得がいった。そういえばあの原稿はどこにいったか。納得しても腹の虫は収まらなかったので、どこかへうっちゃったままだ。忘れた。捨てたかもしれん。
 まあそんなことはどうでもいい。その時に、厳氏は、台湾やウイグル自治区同様、チベット自治区が連邦制の枠内で大幅な自治権(というかほとんど独立国家の地位)を得ることを想定していたので、同地域にも多くの頁を割いていた。氏のいうチベットとは、現在のチベット自治区ではなく、大チベットのことである(同時に、それでいろいろ問題もあること――たとえば青海・甘粛・四川・雲南省との境界画定問題――も、指摘されている)。それはともかく、氏はチベット自治区の外にあるチベット人居住地域についても言及されていて、それを訳出するうえで、私はその所在と当時の実情をできるかぎり知ろうと努めたわけである。訳者の当然として、否応無しに。
 さてそこで私は何をいいたいのかといえば、いまごろ騒ぐなということである。昨今のこれは結果に過ぎない。状態と原因とはずっと以前からあったのだ。これを言いたい相手は RFA ではない。