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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

重光葵 『昭和の動乱』上 から

2008年05月16日 | 抜き書き
“西安事件の際の、西安における蒋介石の交渉相手は、張学良でなくして周恩来であった。張学良は、全く共産軍の指導下にあったのである。” (「第四編 日支事変」、本書186頁)

(中央公論新社 2001年10月)

ジョセフ・S・ナイ・ジュニア著 田中明彦/村田晃嗣訳 『国際紛争 理論と歴史〔原書第5版〕』から

2008年05月15日 | 抜き書き
“国際政治とは、共通の主権者の存在しない状況において、自らより上位の支配者を持たない政治体の間で行われる政治である、と定義される” (「第1章 世界政治における紛争には一貫した論理があるか?」、本書4頁)

“国際システムは、単なる国家の集合ではない。国際政治システムは、国家間の「関係のパターン」のことなのである。” (「第2章 20世紀における大紛争の起源」、本書44頁) 

(有斐閣 2005年4月原書第5版第1刷)

西嶋定生 『中国史を学ぶということ わたくしと古代史』

2008年05月15日 | 東洋史
“戦後の歴史学では万邦無比といったような国粋史観を排除するために、日本の歴史においても世界史の法則が貫徹していることを立証することが課題とされた。奴隷制社会のあり方、封建的農奴制社会の発生とその展開、近代資本制社会の展開などを日本史のなかに発見し、日本民族の歴史的総過程を法則的に理解しようとすることがそれである。” (「一 なぜ日本史を世界史として理解することが必要か――東アジア世界のなかの日本――」、本書3頁)

 国粋史観の排除(およびその担い手と支持者つまり保守派・右翼の打倒)が真の目的で、歴史学はそのための手段だったということである。つまり日本歴史の研究はたんなるダシだったと言っているに等しい。

(吉川弘文館 1996年3月第2刷)

劉暁波著 野澤俊敬訳 『現代中国知識人批判』から

2008年05月15日 | 抜き書き
“中国人が書籍と文字の考証をかくも重んずるその深層の原因は、これらの書籍の文字が権威として奉られている者たちによって書かれているからということにある。権威は永遠に正しいというのが考証をおこなう心理的前提であり、後世の人がしなければならないのは、ただ考証のなかから権威にたいする誤解を排除することだけである。もし権威が最初から間違っていたなら、あるいは権威も歴史とともに時代遅れの骨董になるものであるなら、自分たちの考証はそれこそまったく徒労な仕事ではないのかといった問題を、中国の文化人はほとんど考えたことがない。” (「第7章 真理を堅持せぬ功利的人格」、本書193-194頁)

(徳間書店、1992年9月)

エドガー・スノー著 宇佐美誠次郎訳 『新版 中国の赤い星』

2008年05月15日 | 東洋史
 1944年出版の新版の日本語訳。

“私は七年間中国に居住した後にはじめて共産党員に出会ったが、私自身は共産主義者ではなかったし、今でもそうではない。それ故本書は一方に偏した報告ではない。” (「日本版への序」、1946年2月の日付、本書2頁)

"Though it is generally accepted that he reported what he believed to be true, recent research argues that the text was edited and approved by Party officials."  (Wikipedia, Red Star Over China
 →http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Star_Over_China

  This remark is accompanied with the footnote 3, saying that it is based upon Anne-Marie Brady: Making the Foreign Serve China: Managing Foreigners in the People's Republic (Lanham: Rowman & Littlefield Publishers, 2003).
  Let's check it out!

(筑摩書房 1971年6月初版第25刷)

曹長青 「和劉賓雁分道揚鑣(上)」から

2008年05月15日 | 抜き書き
“早在八九民运爆发之前,当时在纽约的刘晓波约我到纽约来,说准备开一个关於刘宾雁的讨论会,旨在批评其代表作《第二种忠诚》所代表的观点。我特地从洛杉矶过来,但刘晓波临时决定回国参加八九民运,这个会没有开成。我之所以愿意参加这个会,因为早已对《第二种忠诚》有看法。刘宾雁的「忠诚论」,不管提出第几种,最後还是要「忠诚」共产党,而不是像原苏联和东欧的知识份子索尔仁尼琴、哈维尔、昆拉那样,从整体上否定共产党,结束共产主义。/刘宾雁的观点,代表不少那一代老共产党人,他们坚持认为,四九年以前的共产党是好的,是追求民主自由,是有理想的,因此他们才会参加这个党;中共获得政权後,这个党腐败专权,变坏了,因此他们才和共产党分手;或者说他们仍坚持理想,而遭到堕落的共产党的迫害。刘宾雁在自传中说,「正是在我要同心同为这个党的事业主动地、多少有点创造性地献出我的力量时,我却开始成为它的最危险敌人。」/刘宾雁所代表的这种对共产党的看法,是对共产主义这种理论的本质完全认识不清。这种理论是建立在用暴力推行其理想之上,无论理想多麽美妙,手段的邪恶,其结果一定是罪恶。共产主义在全世界的历史早已证明了这一点。但以刘宾雁为代表的老一辈共产党人总是用强调他们当年的理想之崇高,来推卸他们参与建造那个制度的责任。没有人要追究那些老共产党人的责任,让他们上绞刑架,但他们为什麽就死活不承认自己年轻时选择了一个错误的理论呢?如果他们都没错,从胡耀邦、赵紫阳,到刘宾雁们,个个都是受害者,都没有责任,难道中共的所有罪恶,都是毛泽东一个人干的?” (「開放」2006年1月号発表)

(http://caochangqing.com/gb/newsdisp.php?News_ID=1316)

 ★太字は引用者による。

劉賓雁著 陳逸雄訳 『第二種の忠誠』

2008年05月14日 | 政治
“顧卓は劉長春がこう言ったのを覚えている。/「王守信を打倒しないことには、死んでも成仏できない」/彼はどうしてこんな言い方をするんだろう、これじゃたんなる個人的怨恨に過ぎないではないか、と思った。邪悪な勢力に対して、少しぐらい個人的怨恨があってもいいだろう、と考えてもみなかった。劉長春は王守信が代表する社会勢力によって迫害され、家破れ人亡びたのだ。白毛女が黄世仁を恨んでいけないだろうか。(中略)燃料公司の党員たちは王守信に個人的怨恨がなかったにせよ、社会正義に立脚した怨恨すら持たなかったのだ・・・・・・” (「人妖の間」、本書79頁)

 ルポルタージュとしてはあまりに主観的な描写であろう。だが、これが綿密な取材と客観的証拠に基づくものであるなら、ニュー・ジャーナリズムとして通るかと思える。
 しかし、曹長青「和劉賓雁分道揚鑣(下)」(2006年1月「開放」発表)によると、事情はそうではなかったようである。

“而以刘宾雁的报告文学为代表的这类作品,基本是报导和文学不分,事实、引言不给出处的地方占据绝大部份,然后和作者的主观描述、感叹、感慨、评论掺杂在一起。例如他的代表作《人妖之间》,写龙江省宾县燃料公司经理王守信贪污案。开篇作者就评论说,王守信“名声不好,是个破鞋”,后来就描述王在那些男性主管面前,“裤子都脱下一半了,那种亲昵劲儿,对于年岁相仿的男性也不是没有一点魅力。”“这么一个粗鄙、浅薄的家庭妇女不管是多大的官,她能一见如故,把一个五十岁的女人所剩无几的魅力以最不令人厌恶的方式展示出来:哎呀,我说王书记(或高经理,聂秘书长,反正都一样)呀,咱们宾县老百姓可难啦。”/这些描述全没有出处,都是刘宾雁自己的文学想象和虚拟。从刘宾雁的文中得知,他既没有采访任何“男性主管”,更没采访过王守信本人。只是用“粗鄙、浅薄”等贬意形容词,来渲染暗示王守信可能用色相交易。/除了随意使用形容词,主观论断之外,还动不动就“她想” “他纳闷”之类的。记者只能报导某某怎么说,却不可以描述对方心里怎么想,因为记者怎么能知道对方心里想什么呢?那一定是你的猜测,而猜测不是新闻,是心理描写,属于文学。上述那些类似说书的情形,在刘宾雁的报告文学中不是比比皆是,而是通篇都是。/正由于这种真假虚实不清,据前《人民日报》总编辑胡绩伟的回忆文章,对刘宾雁的报告文学,不断有人指责“失实”,到《人民日报》、省里和中央告状。” (「曹長青網站」http://caochangqing.com/gb/newsdisp.php?News_ID=1315)

 劉賓雁作品の「虚実不清」な性格については、たとえば諸星清佳氏の指摘がある(『劉賓雁ルポ作品集』白帝社、2004年7月、「訳者あとがき」)。氏の指摘によれば、「橋梁工事現場にて」や「本紙内部ニュース」などは「事実を取材しているが構成は虚構」の、いわゆる「ノンフィクション・ノベル」であるそうだ。「中国の文学概説書にはこの二作品を小説のジャンルに入れているものもある」由。

 ただし、これら一切に関わりなく、以下の、氏の中国社会に対する洞察は傾聴に値するものである。特に最後の段落については、この文章は1985年に発表されたものだが、20年を経た現在から見て、みごとに的中した予言であると言えよう。

“忠誠には美と同じく、いろいろな種類がある。まじめにコツコツやって労をいとわず罵言に耐えて、異議を唱えず言われることにおとなしく従うのも一種の忠誠である。これだと本人の個人的利益は多かれ少なかれ犠牲にしなければならないが、比較的安全、順当で災難を招くことはまずない。かわいいやつだということでトントン拍子に昇進もできる。/第二種の忠誠は(中略)身をもってひたすら実践するタイプで、人に喜ばれないだけでなく、自由、幸福はては生命といった貴重な代価を支払わないといけない。/永年来、前者の忠誠は格別な愛護、栽培を受け、絶えず灌漑、施肥されてすくすく育ち繁茂している。これも時代が必要としたもので、別に非難するには当たらない。/ただ比較して見ると私たちの政治分野では、第二種の忠誠があまりにも弱々しく、まばらである。乾き切った貧しい土壌で、この種の忠誠が絶滅しなかっただけでも奇蹟に近い。/危険なのは、この種の生物の生長が困難な時に第三種の忠誠が現れて、それと第一種の忠誠が分かち合っている陽光、水分、栄養を奪いあうことである。第三種の忠誠にはこぼれんばかりの愛嬌となまめかしさがあり、愛すべき点では第一種の忠誠にもまさるものがある。ただそこに実を結ぶ果実は常に渋く、特定の気象条件下では有毒でさえある。” (「第二種の忠誠」、発表1985年、本書158-159頁)

(学生社 1991年8月)

小野信爾/吉田富夫/狭間直樹 『中国文明選』 15 「革命論集」

2008年05月14日 | 東洋史
 1972年3月初版第1刷。

“中国革命は全人類の解放と共産主義の世界の実現をめざして闘いを続けている。” (小野信爾「総説」、本書26頁)

 姚文元「工人階級必須領導一切」、林彪「在中国共産党第九次全国代表大会上的報告」(どちらも吉田氏による訳・解説)が収録されている。
 巻末の関連年表は出版年の1972年まであるが、1971年条に林彪に関わる言及はない。

(朝日新聞社 1975年1月第2刷)